投稿

12月, 2018の投稿を表示しています

「同じ」という言葉は何を意味するのか? 2

先に、「同じ」型A に属する二つの項 aとb(a : A かつb : A)が「同じ」だという a = b : A で表現される「同じ」さと、二つの型AとB(A : Type かつB : Type)が同じだという A = B : Type で表現される「同じ」さは、同じ「同じ」でも、違う「同じ」であるという話をした。

前者は、例えば、Aを「三角形」という型だとして、三角形a と三角形b が「同じ」だと言っているのだが、後者は、例えば、Aを{異なる三つの点を結んでできる図形}、Bを{平行でない三つの直線で囲まれた図形}とした時、AとBは、同じ型の図形であることを主張している。

型を持つプログラミング言語の場合、あるインスタンスがどの型に属するかを意識することは大事なことだ。面倒と言えば面倒なのだが、そのことがプログラムの誤りを少なくするのに効果的なのだ。

型を持つプログラミング言語のうちのいくつかは(例えば、COQ, Agda, Haskell, 部分的にはScalaも)は、不思議な型 dependent type をサポートしている。dependent type は、パラメータによって(パラメータにdepend して)、型が変わる型だ。

パラメータxが型Bを持つなら、このdependent type E(x)を次のように表す。
   (x : B) E(x)
また、あるsが、dependent type Eを持つことを、次のように表す。
   (x : B)  s(x) : E(x)

あまり正確ではないが、B={ 整数、実数、複素数 }として x : B なるパラメータ x によって、dependent type E(x)は、整数型、実数型、複素数型 に型が変わるのだ。

昔のwakhok時代、同僚の浅見さんから、dependent type がすごいことはよく聞いていた。ただその頃、僕はそれをよく理解できなかったのだと思う。僕が、その重要性に気づいたのは、だいぶ後になってからだ。

5年前の2013年のマルレク「「型の理論」と証明支援システム — Coqの世界」で、ようやく後追いを始めることになる。https://www.marulabo.net/docs/typetheory-coq/


「同じ」という言葉は何を意味するのか?

あるものAとあるものBが「同じ」だというのは、何を意味するのだろう。

もしも、AとBが数字なら、その意味ははっきりわかる。
例えば、A=1でB=1なら、AとBが「同じ」だということになる。それは、1=1のことだ。

もしも、AとBが集合なら、AとBが同じだということは、Aに含まれる要素がBに含まれる要素が全て等しいということだ。集合 A={ りんご、みかん、バナナ } は、集合 B = { バナナ,  みかん. りんご } と「同じ」である。

もしも、AとBが三角形なら、二つの三角形の二辺の長さが等しく、その二辺が作る角度が等しい場合、三角形Aと三角形Bは、「同じ」だと言える。

これらの例でわかることは、あるものとあるものが「同じ」だというためには、それぞれが、同じ種類のものでなければならないということ。数字と三角形は、「同じ」にはなれない。

ここでの「同じ種類」というものを、「同じ型を持つ」ということにすれば、あるものAとあるものBが「同じ」だというためには、AとBは、「同じ型」を持っていなければいけないということになる。

このあたりのことを、数学者のドリーニュが例を挙げて丁寧に説明しているビデオがある。"What do we mean by "equal" " https://goo.gl/nXhqmb
今年の9月にプリンストンの高等研究所で開催された "Vladimir Voevodsky Memorial Conference" https://www.math.ias.edu/vvmc2018 での、彼の講演である。

ドリーニュは、若くして、グロタンディックを出し抜いて「ヴェーユ予想」を解いた有名な数学者なのだが、不思議なことに、彼が説明していることは、コンピュータでプログラミングをしたことがある人は、よくわかっていることだということである。

整数 A=1 と浮動小数点実数 B=1.0 とは、コンピュータ内部での扱いは違うものである。もしも、あるプログラミング言語が、整数型・実数型の他に複素数型をサポートしているとすると、A=1, B=1.0, C=1.0+0.0i は、皆、違うものである。

数字の場合いずれの型にも、加減乗除の演算は定義される。複数の型に適用可能な演算子は、「ポリモーフィズム」と…

Inventing Ourselves: The Secret Life of the Teenage Brain

恋は盲目。  恋人たちは、自分たちが犯している  ひどい愚行を、自分では見ることができないのだ。
シャイロックの娘ジェシカは、父の財産を持ち出してキリスト教徒と駆け落ちする。これが金貸しシャイロックが、キリスト教徒のアントーニオを憎む理由の一つとなる。かわいそうなシャイロックと馬鹿な若い娘。
ジェシカに限らず、シャークスピアの作品に登場する「若者」は、とても若い。 佯狂ハムレットに「尼寺に行け」と罵倒され、身勝手な狂言に翻弄されて、川に身を投げるオフィーリアは、多分、10代前半だ。可哀想な幼いオフィーリア。ハムレットは生き延びる。
イギリスの脳科学者、サラ・J・ブレークモアの"Inventing Ourselves: The Secret Life of the Teenage Brain" を読む。https://goo.gl/QoLX6o
 「思春期の若者の脳を研究しているの。」  「十代に脳なんかあったっけ?」
彼女の研究手法は、MRIを使って脳を観察するのだが、同じ集団をずっと追いかけて、その経年変化を見るというもの。この本の大事な結論は、子供の脳とも大人の脳とも、思春期の脳は違うということ。思春期に起きる脳の変化は、特別なのだという。
確かに、男子なら声変わりしヒゲが生え、女子なら生理が始まり胸が大きくなる。(あいみょんが歌っている) こうしたドラスティックな変化が脳の中でも起きるというのだ。言われてみれば、確かにそうだろうと思う。
自意識が芽生え、危険を顧みず行動し、仲間の影響を強く受けること。そうした思春期の行動の特徴は、古今東西・民族・文化を問わず共通しているという。(「学校」ができる遥か以前から)こうした向こう見ずな若者の行動が、芸術にインスピレーションを与え、歴史的なインパクトを与えたことも数多くある。
日本には、「中二病」という言葉があるのだけれど、この本のサブタイトルの「十代の脳の秘密の生活」は、同じ問題を分析しているのだ。ただ、彼女は、それを単なる逸脱行動とも、知能の弱さ、常識・大人らしさの欠如としては捉えない。そうした時期を過ごすことは、人間が人間になるためのとても大事な経験なのだという。創造性も感情の豊かさもこの時期に生まれる。どのように思春期を過ごすかが、その後の人間形成に決定的な影響を与えるというのだ。
「…

意味を考える 6 -- 鏡

我々は、他人の顔は見れるのだが、自分の顔を直接見ることはできない。写真やビデオがこんなに普及する以前、自分の顔を見る手段は、鏡しかなかったと思う。

自分の顔を鏡で見る時、「見る人」と「見られる人」は、同じ人だ。ただ、この同じ人が、鏡によって「見る人」と「見られる人」の二人に分離される時、普段は見ることのできない自分の顔を見ることができる。

以前に、「私はあなたを愛しています」という文の「意味」を考えるより、「 "I love you." の「意味」は、「私はあなたを愛しています」だ」と考える方が簡単だと書いたのだが、このことも、「翻訳」はある言語を他の言語にうつす鏡のようなものだと考えれば、いいのだと思う。

確かに、鏡に映る自分の顔は、他人のみんながいつも見ている顔であることに変わりはないし、「私はあなたを愛しています」を "I love you." と言い換えたところで、「愛」についての認識が深まるわけではない。

ただ、ある二つのものの関係の中で、あるものを考えるのは、あるものだけをじっと見ているより、普段は気づくことのないものへの気づきが生まれると僕は考えている。

「意味」についてもそうだ。意味についてのアプローチは、様々あるのだけれど、ソシュールのシニフィアン(signifiant:意味するもの)とシニフィエ(signifié:意味されるもの)にしても、オグデン=リチャードの「意味の三角形」の「シンボル」と「指示するもの」「指示されるもの」にしても、こうした「二項関係」が基本になっている。(三角なのに二項なのかにというツッコミは、あとでこたえる)

こうした二項関係は、もっと深いところでは、「主体」と「客体」、「認識するもの」と「認識されるもの」という認識の構造そのものに基礎を持っている。

図は、ペンローズから。彼は、ビデオで鏡に映るビデオを撮影しても、ビデオは何も認識していないという。確かにそうだ。ただ、彼は、機械は、それだけでは意識を持ち得ないという立場を取っている。コンピュータのプログラムに意味など理解できるはずはないというのだ。

意味を考える 5 -- 辞書

言葉の意味を調べようとするとき、我々に一番身近な行為は、「辞書」を引くことである。ただし、辞書が与えるのは、語の意味である。

翻訳が文を対象にするのに対して、辞書は語を対象にする。文は語からできているので、辞書が与える語の意味の情報は、その語を含む文の意味を考えるもっとも基本的な情報を与える。

辞書で 、I = 私、love = 愛する、you = あなた という情報が得られたとしよう。この情報だけから、"I love you"という文を翻訳すると、「私 愛する あなた」になるのだが、これはどうも日本語としてはうまくない。

その理由ははっきりしている。

語から文が構成されているのは明らかなのだが、語から文を構成するときに、日本語でも英語でも、ある構成規則に従う。それを「文法」という。文法は、ある言語での語の出現順序に強い制限を与える。「私 愛する あなた」は、日本語の語の出現順序にそぐわないのだ。

辞書だけに頼る翻訳がうまくない理由は、もう一つある。辞書が与えるのは、名詞でも動詞でもその基本形だけだからである。名詞は「格」によって変化し(日本語だと、「私は」「私に」「私を」 ... というように、名詞の部分は変化しないように見えるのだが)、動詞は「活用」する。こうした語の「屈折」形は、その語のその言語の文法上の情報を与えるのだが、辞書はその屈折形を網羅しない。それは、文法規則として基本的には辞書の外部でカバーされることになる。

先に、簡単に「文は語からできている」といった。それはそれで間違いではない。もう少し正確に言えば、「文は、文法という構成規則に従って、語から構成される」ということになる。

「異なる語から異なる構成規則で構成された文が「同じ意味」を持ちうるのはなぜか?」というのは、言語の意味についての最も重要な問題なのだが、その問題に入る前に、ここでは、辞書上の語彙項目と実際に発せられる文と文法の関係について、基本的な事実を確認しようと思う。

全ての言語において、基本的な語彙の数は、有限である。例えば、26文字のアルファベットで15文字以内で構成される語の数は、高々、26^15である。ところが、10万語の語彙を持つ言語で、10語の語からなる文の数は、100000^10で、約10^50になる。10語文というのは、そんなに長い文章ではない。が、…

意味を考える 4 -- 接触

イメージ
翻訳は、基本的には、外国語を母語に変換する。外国語に接する必要がなかったら、翻訳ツールのお世話になることはない。僕のひいおじいさんやひいおばあさんの世代は、おそらく、翻訳の必要はほとんど感じなかったようにも思う。僕の世代の場合は、おじいさんやおばあさんの世代に「敗戦」と「進駐軍」を体験する。外国語事情は、大きく変わる。

ただ、歴史的には、近年の「グローバル化」が始まる遥か以前から、異なる言語を用いる共同体の接触は、珍しいことではなかったと思う。
世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。  ... 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」 (創世記11章) なんて意地悪な神だと思うのだが。人間だって「互いの言葉が聞き分けられぬ」ままでいたわけはない。異なる言語が接触した場合、直ちに、翻訳の必要性は生まれたはずだ。

そこで一番大事なことは、言語が異なっても、それが伝えようとすることが「同じ意味」を持ちうることを双方が確信することだと、僕は思う。それは、自明のことのように思えるが、とても大事なことだ。

相手が宇宙人であって同じだと、我々人間は考える。

太陽系外に飛び出すパイオニアにもボイジャーにも、宇宙人に向けたメッセージが積まれていた。それが知性を持つ宇宙人に発見される可能性は、我々が異星人からのメッセージを受け取る可能性と同じくらいに低いのだが。

図1は、パイオニアにつまれたプレート。水素の構造、男女の姿、探査機の外形、銀河系中心と14個のパルサーに対する太陽の相対位置、太陽系が描かれている。

図2は、ボエジャーにつまれたゴールデン・レコード。地球上の様々な音や音楽、55種類の言語による挨拶や様々な科学情報などを紹介する写真、イラストなどが収録されている。「ボエジャーのゴールデンレコード」https://goo.gl/5NZ8Wn

これらでは、画像・音・科学的な知識が、「共通言語」として想定されているのは興味ふかい。科学的な知識をメッセージに使うというアイデアは、電波を用いた「アレシボ・メッセージ」では、も…

第五回マルレク 「人工知能と意味の形式的理論」

イメージ
来年早々になりますが、1月8日に、マルレク第五回を、富士ソフトさんのアキバプラザで開催します。テーマは、「人工知能と意味の形式的理論」です。

告知ページ・募集要項は、近日中に公開します。
募集期間が、年末・年始の時期に重なっているため、いつもより募集時期を若干早めたいと考えています。ご注意ください。

【講演概要】

人工知能研究の大きな課題の一つに、意味の理解をどのように機械上で実現するかという問題があります。

講演では、まず、この分野で、現時点で一定の成功を収めている三つのアプローチを紹介します。

第一は、Amazon Alexa, Google Home 等のボイスアシスタント・システムで多く利用されている、ヒューリスティックなアプローチです。そこでは、チューリング・テストをパスすることを意識した、意味のプラグマティックで「操作主義的」理解が中心にあります。

第二は、Google等の大規模な検索エンジンやDiffbot等が利用している。Knowledge Graph的なアプオーチです。グラフの規模の大小はあるのですが、そこで中心的な役割を果たしているのは、「エンティティ・モデル」です。

第三は、Googleニューラル機械翻訳の成功に刺激を受けた、「機械翻訳技術」の発展と普及を背景としたアプローチです。そこでは、大規模なパラレル・コーパスを大規模なハードウェアを利用して「学習」が行われます。

講演の後半は、現在の実装技術の紹介を目的とした前半と切り口が異なります。「意味の理解」は、「意味」についても「理解」についても、新しい枠組みが必要だというように、丸山は考えています。また、そうした理論は形式的なシステムで記述できるとも考えています。

次のような話をします。

・文法の構造と意味の構造の対応、あるいは二つの構造の「二重化」の必要について。
・理論とモデル。数学での意味の扱いに学ぶ。
・ローヴェールのFunctor Semantics
・新しい「型の理論」



意味を考える 3 -- ジャンボジェット

イメージ
先の投稿、億単位のパラレル・コーパスを「学習」する機械学習技術にケチをつけるみたいな終わり方をしたので、若干、釈明を。

同じことが人間にできず(人間がこういうスタイルで、言語の「意味」を「学習」しているわけではないのは明らかだと思うのだが)、機械にそれができるのなら、それはそれでもいいのではとは思う。

空を飛ぶのに、生物の進化は昆虫や翼竜や鳥類を生み出したが、人間が発明したのは飛行機だった。同じ目的を達成するのに、生物と人間が発明した機械とが、違うアプローチをとってもいいのだ。

我々が、蝶々や鳥のように空を飛べないのは残念なことだが、空を飛ぶことについては、機械の勝ちかもしれない。翼竜のプテラノドンよりジャンボジェットの方が巨大だし、それに、ロケットなら宇宙にも行ける! (と言っても、「となり」の火星程度までなのだが)

もしも我々が妖精のように自由に空を飛べていたら、「空を飛ぶ機械」の進歩の歴史は、今とは少し違っていたとは思う。(妖精は、自力では火星に行けないもんね。多分。)

機械翻訳に要するデータの巨大さだけに驚いてはいけない。それに必要なハードと計算時間も巨大である。先の論文によれば、Googleニューラル機械翻訳では、GPU100個を使って、フルトレーニングには最大1,000万ステップ、収束までには3週間かかることがあるという。

ただ、巨大さと複雑さで言えば、人間の脳だって負けてはいない。脳には、この銀河系の星の数より多い、860億個のニューロンが存在する。大脳新皮質には100億のニューロンがある。もっとすごいのは、その星の数ほど多いニューロンがお互いに結びついてネットワークを構成していることである。そのグラフなど書けっこない。

(人間の脳の構造と発達については、最近読んだ次の本がとても面白かった。「我々自身を発明する:ティーンエイジャーの脳の秘密の生活」"Inventing Ourselves: The Secret Life of the Teenage Brain" https://goo.gl/RBLn3H いつか紹介したい。)

今はどうなったかわからないが、ついこの間まで、人間が生物のニューロンの正確な接続のグラフを書けたのは、302個のニューロンと8,000のシナプを持つ C-Elegance だけだった。名前は優雅だが、線…

意味を考える 2 -- パラレル・コーパス

イメージ
「私はあなたを愛しています。」

この文の「意味」は、何かと言われると、なかなか答えるのが難しい。(日本語では、まずこういう言い方はしないと思うのだが、そのことはおいておく。) ただ、"I love you." の「意味」はと聞かれれば、「私はあなたを愛しています。」だと答えるのは易しい。

「それは、意味の意味が違う。」 確かに、そうかもしれない。

それでは、「二つの言語で、同じ意味が表現されている」と考えるのは、どうなのだろうか? この文章で使われている「意味」は、先に「なかなか答えるのが難しい」と考えた「意味」そのものではないだろうか?

とりあえず、二つのことを、この後の議論のために、作業仮説として確認しておこう。

 1.  二つの言語を比較すると、意味は取り出しやすく(感じる)。
 2.  意味は、言語によって表現されるが、言語によらないものを指し示す。

実は、現代の自動翻訳技術は、二つの言語で、同じ意味を持つ文を大量に集め、それを学習させるのが基本技術だ。「私はあなたを愛しています。」= "I love you."  という文例をたくさん集めておく。「私はあなたを愛しています。」の「意味」を考えて、頭を抱えることはない。

ただ、そのデータ(「パラレル・コーパス」「パラレル・データ」と言ったりする)の規模は、多分多くの人の想像を超えていると思う。

機械翻訳についての基本的なカンファレンスは WMT "Workshop on Machine Translation" である。(2018年のページは、こちら。http://www.statmt.org/wmt18/ もっとも、僕は、二年近く最近の動向をフォローしていない) 

WMTは、機械翻訳の研究のために、基本的なパラレル・コーパスを研究者に提供している。WMT 14  https://goo.gl/9d4cyi

WMT‘14の英語(En)<-> フランス語(Fr)データセットには、 3,600万の文のペアが含まれている。
WMT‘14の英語(En) <-> ドイツ語(De)データセットには、 500万の文のペアが含まれている。

かなりの規模だ。

ところがである。僕が、Google ニューラル機械翻訳の論文 https://goo…

Q2Bカンファレンス

イメージ
来週から、Q2Bカンファレンスが、マウンテンビューのコンピュータ歴史博物館で始まる。去年に続いて二回目の開催。https://q2b2018.qcware.com/

第一回でのプレスキルの基調講演は、とても勉強になった。僕は、その全文を日本語に訳した。「NISQ時代とそれ以降の量子コンピューティングについて」 https://goo.gl/6qh1oE これは、量子コンピュータの動向について知る上の必読文献と言っていい。

今年は、僕が大好きなスコット・アーロンソンが、プレスキルと並んで基調講演に登壇する。二人の基調講演にとても期待している。

プレスキルの基調講演のタイトルは、「短期的・長期的に見た量子テクノロジー:応用の探求」、アーロンソンの基調講演のタイトルは、「量子優越性とその応用」だ。

プレスキルもアーロンソンも、量子コンピュータの世界を代表する研究者なのだが、Q2Bカンファレンスの特徴は、量子テクノロジーの「ビジネスへの応用」にフォーカスしようとしていること。

「Q2Bにようこそ」という呼びかけは、こう述べている。「Q2Bのミッションは、近未来の量子コンピュータのリソースを使った、最適化・シミュレーション・機械学習・暗号等のアプリケーションの開発を刺激することです。」「量子コンピュータを実世界の問題に応用する方法を開拓するために、研究者と産業界の実践者のコラボレーションを進めます。」

日本では、「量子コンピュータの応用は、まだまだ先のこと」と考えている人が多いのだが、アメリカでは実践的な応用への関心は、年を追うごとに大きく拡大している。

Q2Bカンファレンスの紹介のセミナー、日本でもやりたいなと思う。

意味を考える1 -- 「皇帝の新しい心」

ペンローズの「皇帝の新しい心」(1989年)の冒頭には、お母さんがコンピュータ科学者、お父さんがコンピュータを破壊しようという、今でいう「テロリスト」を両親に持つ子供が登場する。これって「銀河鉄道999」のメーテルの家庭環境と同じだ。

舞台は、国をあげて開発した、その国の全ての人間のニューロンの数より多い10の17乗個の論理ユニットを持ち、その知能は想像もつかないほど高いと言われている、巨大コンピュータUltronicの火入れとお披露目の場。

その子は、お母さんが有力な開発者だったので、セレモニーの前から三列目にいる。(お父さんは、爆発物が見つかって拘束されている)。司会者が、「誰か、Ultronicに、最初の質問をしてみませんか?」と会場に声をかける。みな、自分の無知を晒されるのがいやと思ったのか、誰も手を上げない。

その子は、Ultronicの開発と一緒に育ったようなものだったので、「彼」が何を感じているのか自分のことのようにわかるように思っているので、臆せず手を挙げる。司会者が彼を指名する。

その時、何かが起きる。

約400ページほど省略すると、あれ、これってネタバレ? でもネタバレしないと話が進まないな。まあ、いい。会場で起きたことについては、次のポストで書く。

それは、コンピュータによる「意味」の理解に関連した、とても面白い寓話だ。

(ちなみに、ペンローズの次の本「心の影」の冒頭にも寓話が掲げられているのだが、それは、プラトンの「洞窟の喩え」を寓話にしたものだ。彼は、数理哲学的には、プラトン流の「実在論者」なのだ。)

ペンローズのこの本は、30年前のものだけど、人工知能論としては、頭三つぐらい飛び抜けている。サールらの「強いAI」「弱いAI」論の批判などは、痛快なものだ。

僕は、人工知能論では、「計算主義」の立場に立つのだが、この本は、全力で「計算主義」を批判している。ペンローズの「計算主義」批判は、避けて通れない問題だ。

ある意味皮肉な話だが、個人的には、この本が出た頃、哲学では飯が食えなくて、僕は哲学からITの世界に転進する。この本が扱っている問題は、当時の僕の哲学的関心には、とても身近な話題だったのだが、ITの問題としては僕は真面目に考えてはいなかったと思う。それは、僕の視野の狭さのせいだと思う。

ITの世界に30年いて、最近は、人工知能がある意味…

万延元年のアメリカ情報

イメージ
スコット・アレクサンダーという作家がいる(SF作家かもしれない。"Science Fiction"じゃなくて"Speculative Fiction"だと、誰かが言ってた)。彼のblog("Slate Star Codex")、時々見ているのだけど、そこで見つけた画像。https://goo.gl/vZRpiy


2020年11月21日が、メイフラワー号アメリカ到着の400周年に当たるらしく、アメリカでは、自国の歴史への関心が高まっているのかもしれない。

この絵は、江戸時代の1861年に日本で出版された「童繪解萬國伽」("Osanaetoki Bankokubanashi"と読むらしい)からのもの。コロンブスのアメリカ大陸「発見」から、イギリスからの独立戦争までのアメリカの歴史を、日本の読者に伝えている。

160年前の日本人の知識欲は驚くほど旺盛である。もっとも、黒船騒ぎでアメリカへの関心は高かったのだろうが。でも、江戸時代にこんな形で、アメリカについての情報が広まっていたのは知らなかった。これ、子供向けの本ということになっている。

1860年は、万延元年だ。幕府はアメリカに大型の遣米使節を派遣して同年11月日本に帰ってくる。僕は、勝海舟や福沢諭吉やジョン万次郎もこの使節団の一員だと思っていたのだが、違うようだ。彼らは、この使節団を護衛する咸臨丸に乗っていた。(「万延元年遣米使節団員名簿」https://goo.gl/ArGZ53 ) 多分、そこでの知見が、この本に生かされているのだと思う。

確かに、いろいろおかしいところはある。弓を引いて戦っているのは、ワシントンだという。「國父 話聖東」は「建国の父 ワシントン」だ。(絵師は、アメリカ見ていないのだから。インスタもなかったし。)

ジョン・アダムスの母は、大蛇に飲み込まれ、アダムスはその敵討ちをするらしい。おいおい。ほとんどフェークだ。

「独立」とか「民主主義」がどう紹介されていたのか、興味があったのだが、ワシントンが虎と素手で戦い、アダムスが巨大なワシを召喚して大蛇と戦うんだから、多分、そんな話は出てこないだろう。

でも、160年前の日本人、一生懸命、こうした情報集めてたんだな。エライと思う。この本だけではないのだ。あとで見るNick…

画像を探す

イメージ
Adam Brownの学会でのプレゼン "Complexity and Geometry" を探していたのだが、表紙に格好いい絵が使われていた。https://goo.gl/Zuyg7Z よく見ると、持っているものに(元々は、ハープだったらしい)量子回路の図が書いてあって、「あっ。すごいな。この絵も彼が書いたのかな。」と感心した。



ところが、この学会 Strings 2017 自体のアイコンに、この絵が使われていることに気づく。もちろん、量子回路は書かれていない。画像は、http://www.strings2017.org/ でみれる。「あれ? おかしいな?」と思って、画像検索をする。




そうしたら、見つかったのがこの写真。これは、1965年に、ガザで見つかった7世紀初頭のビザンチン時代のモザイクらしい。ダビデ王がハープを弾いているところだという。wikiにも、このモザイクが紹介されている。"Gaza Sinagogue" https://goo.gl/56LYzn


この学会、イスラエルのテルアビブで開かれた超弦理論の国際カンファレンスなので、この地の文化遺産からハープを選んだのは、まあ、わからなくもない。

ただ、二つの絵、よく似てはいるが、いろいろ細部は異なっている。だいたい、僕には、Adam Brownの表紙は女性に見える。ダビデ王は、ヒゲを蓄えているように見える。

問題は、学会のアイコンが発掘されたダビデのモザイクより、回路図を除けばBrownの表紙の方に似ているように見えること。

この三枚の絵は、どういう関係なんだろう?

----------

酒井さんの指摘もあって、こう考えることにしました。

・この絵は、3枚とも、ダビデのもので、少女ナウシカではないですね。元の絵は、発見された古いやつです。

・元のモザイクは断片で古いものだから、修復されて綺麗になった画像(あるいはモザイクそのものかもしれません)が、使えるようになっていたと思います。美少年だったダビデは、少女のようにも見えます。ヒゲはありません。

・大会の主催者は、この修復バージョンを使いました。もちろん、この絵がダビデのものであることを知っています。

・ブラウンは、大会のアイコンを見て茶目っ気を出します。ハープをゲート回路に書き換えます。

・(細かい話)僕は、回路…

科学と哲学

12月14日開催の連続ナイトセミナー「人工知能を科学する」の今回のテーマは、「人工知能と哲学」です。https://lab-kadokawa72.peatix.com/

「人工知能を科学するのに、哲学必要ですか?」と思われた人も少なくないと思います。たしかに。

科学や数学は、確立された体系(少なくとも「これまでに確立された」という意味ですが)を持っています。その成果は、多くの人に等しく共有されています。今では誰もが、「地球が太陽のまわりを回っている」「リンゴが木から落ちるのは重力があるから」と考えています。もちろん「1+1=2」で「直角三角形ではピタゴラスの定理が成り立つ」ことも。そういう知識のあり方を「累積的知」と呼ぶことがあります。

哲学には、残念ながら、確立された体系も万人が認める真理も存在しないように見えます。人によって物事の捉え方が異なるのですから、哲学にも色々な立場があります。「残念ながら」と書きましたが、それはそれでいいことだし、これからも哲学が「完成」するようには思えません。

そうした意味では、科学と哲学は、かなり違っています。

ただ、科学と哲学は、想像以上に広い接点を持っています。それは、おそらく、技術がビジネスや経済合理性と強い結びつきを持っているのと同じだと思います。「科学と哲学」と「技術とビジネス」の二つの結びつきをくらべれば、その結びつきのの質はずいぶん違うし、「科学と哲学」のつながりはあまり意識されることは少ないのですが。

科学も数学も「発展」して、その体系を「更新」します。現在の科学が全ての問題に解答を用意しているわけではないのです。現在の科学では説明できない「謎」の存在こそ、科学を発展させる原動力です。「謎」に立ち向かうには、様々な「立場」、ある場合には矛盾する「仮説」が必要になります。そのような局面では、科学者も哲学していると考えていいのだと、僕は考えています。

今回のセミナーでは、三つの話をしようと思います。

一つ目は、「コンピュータは人間を超える」という「シンギュラリティ論」や、「そんなことはない。人間の脳の働きはコンピュータのアルゴリズムを超えている」というペンローズらの「量子脳」理論を、「計算主義」の立場から批判してみようと思います。

二つ目は、言語の意味の理解を例に、文法の理論と双対の意味の理論が必要だという話をします。…