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今、僕が悩んでいること

科学のダイナミックな発展の中で、物理の世界と情報と計算の世界が、どんどん近づいているのに、僕はワクワクしているのだが、これをみんなに(主要にはITの世界にいる人になるのだが)どう伝えていけばいいのか、少し悩んでいる。 現実的には、量子コンピュータや量子暗号あたりが、いい接点になるのだと思っているのだが。(それとても「現実的」だとは思われていない気もするが。) 当面、すこし、皆の関心との接点を探って、皆がわかることからアプローチしようとも思っている。ヘタレなアプローチではあるが、誰も関心を持ってくれないより、ましなのかも。 ただ、こうした対応で問題が解決するわけではないとも思う。 一つには、「教育」の問題がある。 量子コンピュータでもディープラーニングでも線形代数(と言っても、簡単な行列の計算でいい)の知識は必要だ。ただ、IT技術者が皆、行列の計算ができるとは限らない。 本来なら、高校で基本的な数学は教えられるべきだと、僕は思う。高校で学ばなかったことが、残念ながら、大学で補われることはほとんどない。これは大学の問題だ。 プログラミング教育の議論が盛んだが、現実的にも(教える先生も、施設も充実しているはず)、実践的にも(小学校よりは、ずっと現実の社会、就職先に近い)、一番重要なのは、大学でのプログラミング教育の充実・刷新だと、僕は考えている。 実は、高校・大学で学ばなくても、いつでもどこでも、いくらでも学ぶことはできる。技術コミュニティーでの勉強会、ネットを通じての情報の収集。学校制度に頼らずに、自分で学ぶという点では、IT技術者は先進的だと思う。 もう一つには、科学と技術とビジネスの関係を、どう捉えるのかという問題がある。 技術者がビジネスのことを意識するのは当然だと思う。ただ、ビジネス視点だけで科学を考えると、あまりいいことはないと思う。 このあたりのことを、試行錯誤しながら、もう少し、考えていきたいと思っている。

“From Qubits to Spacetime"

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スモーリンやバエズは、とびきり優秀な、でも、一風変わったところのある物理学者だ。スモーリンはライプニッツを語り、バエズはグロタンディックを語る。ペンローズもそうしたタイプの学者なのだが、そんな物理学者はあまりいるわけではない。僕は、彼ら、多分、ループ量子重力理論とくくっていいと思うが、のファンだった。(心情的には、今でもそうだ) 今回の連休は、去年の夏、プリンストン大学で二週間にわたって行われた「理論物理学の展望 -- Qubitから時空へ -- 」というセミナーのビデオをずっとみていた。こちらは、ウィッテン、マルデセナ、サスキンドといった、物理学の「主流派」の集まりにも見える。 https://www.ias.edu/ideas/pitp-qubits-spacetime 僕は、いい歳になってから物理の再勉強を始めたのだが、それはサスキンドのスタンフォードのビデオ講義を通じてだった。それしか方法がなかったのだが、正直にいうと、それ以来、サスキンドの語ることにあまり違和感を感じなくなった。ヘタレである。サスキンドは、スーパー・ストリングのボスの一人だ。 ただ、それは、通信教育で物理を学んだと言っていい僕に「定見」がないせいだけはないのだと思う。 確かに、20世紀後半の物理学は、多数派のスーパーストリング派と少数派のループ量子重力派に分裂していた。そのあたりは、スモーリンの本が多くのことを語っている。 ただ、21世紀の物理学の出発点になったのは、マルデセナによる、1997年のAdS/CFT対応の発見だった。それは分裂した二つの陣営にとっても大きな事件だった。そこから全てが変わったように見える。 AdS/CFT対応というのは、簡単にいうと、d次元の「かたまり」の中の重力理論と、d-1次元のそのかたまりの「境界」の中の量子論とが対応するという発見だった。100年来の、重力理論と量子論との統一という課題の大きな手がかりを、物理学は得たのだ。 二つの理論の住む世界は、1次元だけ次元が違うのだ! このことは、二つの理論の「統一」が難しかったことの背景を示している。エネルギーを上げていけば、二つの理論の「大統一」ができると信じていたのは、ナイーブだったのだ。 このセミナーの基調になっているのは、次のような認識である。 ● セミナーのタイ

「博士の異常な愛情 ... 」

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スモーリンは量子重力理論の第一人者だ。彼が、50年代のボームの理論(Bohmian Physics)を手がかりにして量子論の再構築をしようとしているのは、アインシュタインの重力理論と量子論の統一という、物理学の100年来の課題に挑戦しようとしているからだ。 彼の「素朴実在論」("naive realism" の"naive"を「素朴」と訳していいものかは、すこし微妙なところもあるのだが)の立場や、ライプニッツの「充足理由律」への注目は、自然あるいは世界に対する、ある意味「哲学的」関わり方が、自然科学研究をドライブする大きな力になることを示していて興味ふかいものだ。 今日、紹介しようと思ったジョン・バエズのアプローチも面白い。彼が、先々月、一般向けの科学雑誌「ノーチラス」に寄稿した記事「数学がニュートンを量子の世界に連れて行く」  http://bit.ly/2w0HaiA  は、グロタンディックの数学を使って、アインシュタインを飛び越えて、ニュートンと量子論を結びつけようというアイデアを述べている。 もう少し、彼の構想を説明しなければならないのだが、あるニュースを聞いて、それは次回にしようと思った。 バエズの記事のサブタイトルを見て欲しい。 「ある数学教授は、如何にして心配するのを止めて代数幾何を愛するようになったか」"How a math professor learned to stop worrying and love algebraic geometry." これは、キューブリックの次の映画の長い題名をもじったもの。 「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」"Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb" あるニュースというのは、このキューブリックの「博士の異常な愛情 ... 」が、4Kで復刻されて、今週、上映されるというものだ。残念ながら、ロンドンでだが。 http://cinefil.tokyo/_ct/17264853 予告編は、このページでも見れる。あらすじは、日本語wikiにも、まとめ

Bohmian Rhapsody

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スペルを間違えている訳ではないのだが。 連休中に、スモーリンの新著 「アインシュタインの未完の革命:量子を超えたところにあるものの探求」を読んだ。 https://www.amazon.com/Einsteins-Unfinished-Revolution-Search-Quantum/dp/1594206198 それは、ボーム(David Bohm)の理論の再評価を熱心に勧めるものだった。僕には、少し、意外だった。というのも、僕のボームのイメージは、神秘主義者のクリシュナムルティやダライ・ラマとも交流する「ニュー・サイエンス」の代表格だったから。 ただ、僕のボームに対する神秘主義というイメージは、一面的だったのかもしれない。というか、ボームについては、僕は、ほとんど知らなかった。彼がマッカーシズムでアメリカを追放されたことも、晩年に至るまで、一貫して「実在論」者であったことも。 この本でのスモーリンの議論の矛先は、「観測によって、波動方程式が収束する」という、ボーアらのコペンハーゲン派の量子論解釈に向けられている。 主観的に解釈された「観測」で自然法則が影響を受けることはない、我々の意識から独立に自然が存在する、という「素朴実在論」の立場に、スモーリンは、あくまで立ち帰ろうとする。それは、アインシュタインのボーア批判にもつながるものだ。 彼は、現在の量子論で普通に使われている「観測可能(Observable)」という術語を「存在可能(Be-able)」に置き換えようとする。"Be-able"は、Entanglementの存在を理論的に証明したJohn Bellが作り出した言葉のようだ。ド・ブロイやベルやアスペも、Bohmianの系譜に属することも、僕は、この本で初めて知った。 確かに、「宇宙」を考えてみれば、宇宙の外側に観測者がいる訳ではない。 この本を、ボームの再評価を勧めるものと先に書いたのだが、基本的には、この本のタイトルにもあるように、アインシュタインの再評価を、現在の物理学の到達点から行おうとするものだ。 スモーリンの長年の「論敵」であるサスキンドも、「ER=EPR」をスローガンに、ブラックホールを舞台に、アインシュタインの再評価を行なっているのは偶然ではないと思う。 この4月に、スモーリ

6/3 マルレク リマインダ

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6/3 マルレク「量子暗号と暗号通貨」のマルレク協賛会員の方の申し込みは、本日5/13 12:00から受付開始です。 https://qcrypt.peatix.com/view 告知ページに記載したNSAサイトのURLが、読み込めなくなっています。次のページに変更しました。 NSA: "Commercial National Security Algorithm Suite" https://apps.nsa.gov/…/progr…/iad-initiatives/cnsa-suite.cfm その一部を紹介します。2015年のものです。   ------------------------------------------   量子耐性アルゴリズムへの移行のための準備計画   ------------------------------------------ 現在のグローバルな環境では、我々の国家とその市民とその利益を守る上で、高速で安全な情報の共有が重要である。強力な暗号化アルゴリズムと安全な標準プロトコルは、我々の国家の安全に貢献し、安全への普遍的な要請と相互運用可能なコミュニケーションに向けた取り組みを助ける死活的に重要なツールである。 現在では、Suite B の暗号化アルゴリズムが 国立標準技術研究所(NIST)によって規定され、機密あるいは非機密の国家安全保障システム(NSS)を保護するソリューションの認可で、NSAの情報保証局で利用されている。以下で、量子耐性アルゴリズムへの移行のための準備計画について告知する。   ----   背景   ---- IAD は、そう遠くない将来、量子耐性アルゴリズムへの移行を開始するであろう。我々は、Suit B を展開した経験に基づいて、来るべき量子耐性アルゴリズムへの移行について、早いうちから計画づくりとコミュニケーションを開始することを決定した。 我々の最終的な目標は、量子コンピュータの潜在的な能力に対して、コスト効率の良いセキュリティを提供することである。我々は、合衆国政府、ベンダー、標準化団体をまたいだパートナーと共に、アルゴリズムの新しいSuitを獲得する明確な計画が存在することを保証するための作業を行なっている。そのアルゴリズムは

カート・ヴォネガット

今日は、カート・ヴォネガットの命日だ。 12年前の今日、彼が亡くなった日に、僕はアメリカにいた。Google IOだったかMS BulidだったかJava Oneだったか、なんかのカンファレンスでサンフランシスコにいたのだ。 参加したカンファレンスの中身はすっかり忘れているのだが、帰国の時に空港の書店に、彼の死を悼んで特設のコーナーが設けられていたのを、今でも覚えている。彼は、アメリカでは広く愛されている作家なんだと、改めて思った。 ハヤカワからたくさん本が出ているので、日本では、SF作家の一人だと思っている人も多いのだが、 最初に読んだのは、「スローター・ハウス5」だった。ナチスによるユダヤ人の虐殺を非難する「連合国軍」側も、空爆で無数の無辜の命を奪っているという視点は、僕には衝撃的だった。この本を読んでから、「ヒロシマ・ナガサキ」と聞くと、「トウキョウ・ドレスデン」を一緒に想い出すようになった。(もちろん、「アウシェビッツ・ダッハウ」も。僕は、ダッハウに行ったことがある。) 僕は、彼の熱心な読者になった。 SFなんか読まないよという人にも、「筒井康隆と井上ひさしと大江謙三郎を足して2で割ったような作家」だと紹介した。三人とも好きな作家なのだが、3で割らずに2で割ったところに、僕のヴォネガットに対する「敬意」を込めたつもりだった。 筒井康隆がノーベル文学賞を取れなくてもがっかりする人は少ないと思うのだが、村上春樹は、ヴォネガットの熱心な読者の一人だったと思う。(僕は、筒井も村上も好きである) ヴォネガットが、ノーベル文学賞にノミネートされたことがあったかは、僕は知らないが、20世紀の文学を代表する作家の一人だと僕は勝手に思っている。 彼は、ある作品の中で、彼の分身の一人に、ノーベル賞を与えている。文学賞ではなく医学賞なのがご愛嬌である。 もっとも、人間は、脳内の神経伝達物質(それらは「麻薬」の主成分でもある)の化学反応で動作する機械なのではという疑問は、彼の本で繰り返される主題の一つである。だから、ノーベル文学賞よりノーベル医学賞なのだと思う。 ヴォネガットが、彼が想像の中で作り上げた彼の分身キルゴア・トラウトに、ノーベル医学賞を与えるのは、「チャンピオンたちの朝食」の中でである。("Breakfa

2018年春稚内

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稚内に帰っています。 気温5度と、まだ風は冷たいのですが、ミズバショウが咲いていました。 稚内からドライブするとどの道を選んでも「南下」することになる。帰り道は、必ず「北上」だ。 主なルートは三つ。宗谷岬経由でオホーツク海沿いに南下するか、抜海(バッカイ)を通って日本海沿いで南下するか、サラキトマナイを抜けて内陸部を南下するかだ。 今日は、第三のルートで、オトイネップ(音威子府)で「黒いソバ」を食べて、ビフカ(美深・ピウカ)までドライブしてきた。 (ワッカナイ自体がそうなのだが、アイヌ地名がいたるところに残っている。) 音威子府の砂澤ビッキ記念館は、なぜか休館中だった。道北は、松浦武四郎生誕200年で、少しは、盛り上がったのかしら? 前に、美深で食べたチョウザメ料理が美味しかったので、また食べたいと思ったのだが、「チョウザメ・ラーメン」と「チョウザメ味噌パン(チョウザメの形をした味噌パン)」しかなかったので、諦める。残念。 まだ、雪が残っていた。 今日は、サロベツ原野の一部のペンケ・パンケ沼に野鳥を観にいく。多分 、数千羽はいるのだが、近づくと飛びあがって逃げてしまう。これみん な僕らから逃げているところ。なかなかスマホのカメラでは、迫力が伝わ らないのが、残念。 稚内のサクラが咲き始めました。これはエゾヤマザクラでピンクが鮮やかで す。稚内のソメイヨシノはこれから咲きます。多分、日本で一番遅いサクラに なります。 東京に帰ります。 今年は、稚内で過ごす時間、増やしたいなと思っています。