バングラディッシュからの留学生


昨日は、PE-BANKさんのイベントで講演だったのだが、古い友人と再会した。
10年以上前、僕が働いていたwakhokの東京サテライト校にバングラディッシュから留学したRito Ahmed君だ。彼によると8年ぶりだという。元気で、日本で働いていた。嬉しい。
彼とは、英語で話していたはずだが、流暢な日本語の使い手になっていた。バングラの一流大学に在籍していた、もともと優秀な学生だった。
あのころ、アジアの各地を飛び回っていた。熱意のある大学人、優秀な若者にコンタクトできて、楽しかった。カトマンズでJavaのプログラム・コンテストをしたこともある。優勝したのは高校生だった。あの天才君は、いまどうしているのだろうか。
当時、ネパール、バングラディッシュを中心に、100名近い留学希望者を集めたのだが、入管が「不法就労」を疑って、入国できたのは10名にも満たなかった。
日本でIT技術を学びたいという彼らの期待に、僕は応えることができなかった。僕は、大学を辞めた。
「まだ、東京で消耗しているの」というフレーズがあるらしいのだが、田舎にいたって消耗はする。東京に活動の拠点を移してからは、アメリカには嫌になる程行ったけど、アジアの田舎には、パタリと行かなくなった。
ダッカでご馳走になった料理は(なぜかワインも飲めた)、僕の外国旅行で最高のディナーだった。また、ロブスター食べたいな。

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