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8月, 2018の投稿を表示しています

満員御礼!「紙と鉛筆で学ぶ量子コンピュータの基礎」

昨日から申し込みを受け付けていた「紙と鉛筆で学ぶ量子コンピュータの基礎」ですが、IBM, Google, Microsoft の三会場ともに、満席になりました。 たくさんのお申し込み、ありがとうございました。 年内、200人に「量子コンピュータの基礎」の6時間レクチャーをしようと思っていたのですが、300人にできそうです。 あらためて、IBM, Google, Microsoftさんの協力に感謝します。

10/15「楽しい数学:第三夜」 開催します

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「楽しい数学:第三夜」を、10月15日、 DMMさん(六本木一丁目)で開催します。 開催が遅れたことを、お詫びします。告知、申し込みページは、9月末に開設します。 こころよく会場を提供していただいたDMMさんに、感謝しています。 「楽しい数学:第三夜」のテーマは、  「「やさしい計算」と「むずかしい計算」」 です。わかりやすい「計算理論」の入門にしたいと思っています。 有名なゲーデルの不完全性定理と、これもまた有名なチューリング・マシンの話をします。あと、あまり有名ではないゲーデルの完全性定理の話をします。 時間があれば、「計算可能性の理論」から「複雑性の理論」への進化を紹介したいと思っています。 冒頭に、次のような「思考実験」の課題をあげています。興味があれば、自分の頭で考えてみてください。 思考実験1:二桁の数どうしの計算について、小学校で習った足し算・引き算・掛け算の計算の仕方を、すべて「文章」で記述してみよう。それぞれ、400字以内にまとめられるか? 思考実験2:「二分の一を三分の二で割る」を、「例え話」で説明せよ。 思考実験3:ある人が、「私の言うことはすべて嘘である」と言ったとしよう。この人のこの言葉は嘘だろうかか? 嘘ではないだろうか? 「楽しい数学」、引き続き、よろしくお願いします。

紙と鉛筆

「紙と鉛筆で学ぶ」というセミナーやっているんですが、20代前半の若者に「鉛筆、持ってません」と言われました。なるほど。 https://quantum-basic.peatix.com/ もちろん、ボールペンでも万年筆でも毛筆でも、構いませんよ。 ところで、「紙」は、持っているのかな? (そういえば、この前のセミナーでは、全部、タブレットとスタイラスで、でも「手書き」で「計算」している人いました。)

紙と鉛筆で学ぶ「量子コンピュータの基礎」無料リピート開催、申し込み受付始まりました!

受け付けページです。 https://quantum-basic.peatix.com/ 本セミナーは、丸山が展開してきた「紙と鉛筆で学ぶ量子情報理論基礎演習 I」の無料リピート版です。 開催の日時・会場は、次の通りです。   1. 9/15 13:00~19:00 会場 IBM 箱崎   2. 9/22 13:00~21:00 会場 Google 六本木   3. 10/6 13:00~19:00 会場 Microsoft 品川 第二ラウンドのGoogle会場では、同社のフレームワーク cirq の解説が含まれています。この回は、Googleさんが、夕食を提供してくれるそうです。(夕食が出るのは、この回のみです。) 土曜の午後半日を使うコースです。それぞれの予定に合わせて、三会場からお選びください。開催の日時・場所・コンテンツが異なりますので、ご注意ください。 満席が予想されますので、お一人で複数の会場に申し込むのはご遠慮ください。   -------------   セミナー概要   ------------- 本セミナーは、初心者を対象に、現在、関心が高まっている量子コンピュータを、その基礎から学ぶことを目的にしています。 本セミナーの基本的獲得目標は、「量子ゲート」型量子コンピュータを構成する「量子ゲート」の基本的な働きを理解することです。 量子の奇妙な振る舞いを理解する為には、我々の感覚や直感に頼ることはできません。量子の理解の為には、数学の助けが必要です。 ただし、「量子ゲート」の働きを知るだけなら、とても簡単な数学の助けを借りるだけでいいのです。それは、高校数学のちょっとした延長線上にある、ベクトルと行列の演算を理解できればいいだけです。 本セミナーでは、ベクトルと行列を学んでいない人にも、その計算ができるように、補講のコマを設けています。 量子コンピュータが、実際に目の前になくても、我々は「紙と鉛筆」で「計算」することで、量子コンピュータの働きを理解することができるのです。 本セミナーでは、量子コンピュータの基礎原理として、次の三つのことを学びます。   1. 重ね合わせの原理   2. 観測の原理   3. 状態変化の原理 その上で、n個の量

8/27 マルレク「自然言語とコンピュータ概論」講演資料

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本日のマルレクの様子です。終わる頃には、激しい雷雨が一段落してよかったです。 更新された講演資料は、こちらです。ご利用ください。 https://goo.gl/B87wxk

文法を計算する(3)

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日本語についても、Lambekにつらなるカテゴリー文法のアプローチを取る言語学者は存在する。戸次大介先生の「日本語文法の形式理論」は、そうした立派な仕事だと思う。 https://goo.gl/DLgmxK   僕は二年前にこの本を見つけて喜んだのだけれども、冒頭の第一章「はじめに」の「文科系言語学と理科系言語学の乖離」は、気が滅入る内容だった。 この2-30年にわたって、日本の言語学会には、「埋めがたい」「溝」があるという。 そのきっかけは、「1990年代にさしかかると、自然言語処理のコミュニティにおいて、文科系言語学、ひいては記号論的アプローチそのものに対する失望感が蔓延するようになり、その後、統計的アプローチが成功を収めてからは、コミュニティ間の溝は埋めがたいものとなってしまった。」 ただ、それは20世紀の話だ。20世紀の統計的アプローチは、そんなに成功したのかと、ふと思う。 20世紀の終わりには、ChomskyのMinimalist Programが現れ、21世紀の初頭(2004年)には、Benjioが、それまでの機械翻訳の主流であった「統計的機械翻訳モデル」に代わる、「ニューラル機械翻訳モデル」を提案する。“A Neural Probabilistic Language Model”  http://goo.gl/977AQp ただ、こうした機械翻訳へのディープラーニングの手法の応用が「成功」するのは、2016年のGoogleの「ニューラル機械翻訳」を待たねばならなかった。 もちろん、それも、単純に「成功」と喜んではいられないのだ。Alexa等のボイス・アシスタント・システムの一般消費者への普及は、自然言語処理の難しさを、今では、誰もが理解できる問題にしていると、僕は考えている。 「自然言語処理のコミュニティ」に、成功者は、いまだ存在しないのだ。

「紙と鉛筆で学ぶ量子情報理論基礎演習」のリピート開催について

9月から「紙と鉛筆で学ぶ量子情報理論基礎演習 I」を、次の日程で三会場で開催します。参加費は無料です。   9月15日  13:00~19:00 会場 IBM    9月22日  13:00~21:00 会場 Google   10月6日  13:00~19:00 会場 Microsoft (Google会場では、同社のフレームワークcirqの解説が入るので。8時間コースになっています。) 休日の午後半日を使うコースなので、都合に合わせて三会場から一つをお選びください。来週から募集を開始します。 必要な数学は、高校程度のものです。(もっと言えば、掛け算と足し算でいいのです)量子コンピュータの基礎を学ぶ、いいきっかけになると思います。多くの皆様の参加をお待ちしています。 会場を提供してくれた、IBMさん、Googleさん、Microsoftさんに感謝します。 「紙と鉛筆で学ぶ」シリーズですが、次のステップ「量子情報理論基礎演習 II -- エンタングルメント」の準備も進めていますので、ご期待ください。 (別件ですが、「楽しい数学」の50人規模の会場を探しています。丸山に、お声がけください。)

文法を計算する(2)

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1958年の論文の後、Lambekは数学の世界で研究を続けることになる。ところが、それから50年経った2008年、Lambekは興味ふかい言語学の論文 "From Word to Senrence" を発表する。 http://www.math.mcgill.ca/ba…/lambek/pdffiles/2008lambek.pdf なぜ彼は50年経って、また言語学に興味を覚えたのか?  その理由は、明らかだと思う。かつての僚友 Chomskyが、1998年に発表し、現在の言語学の大きな潮流となった "Minimalist Program"とその"Merge"という基本コンセプトに大きな刺激を受けたからだと僕は考えている。 基本的なアイデアは、1958年の論文と同じだ。ただ、ノテーションが異なっている。 かつての二つの基本的な計算ルール    (x/y)y --> x    y(y\x) --> x は、次のように表現される。    Xl・X --> 1    X・Xr --> 1 本当は、XlのlもXrのrも、Xの右肩上に添字として乗っかっているのだが。(Facebookじゃ表現できないのでお許しを。) lはleftのl、rはrightのrである。 lを右肩上の添字に持つXの後ろにXが現れれば、それは、消えてしまうし(積として1をかけるということは、なにもしないことだから)、同様に、Xの後ろに、rを右肩上の添字にもつXrが続けば、それは消えてしまうということ。 同じことだが、Xに「左から」Xlを作用させると打ち消し合い、Xに「右から」Xrを作用させると打ち消しあうということ。 文字で説明すると面倒だが、慣れると、スラッシュとバックスラッシュを使った58年の論文の記法より、わかりやすくなる。 Lambekが言いたいことは、二つのものから一つのものを作るChomskyのMergeの本質は、こうした数学的操作の導入で、もっとわかりやすくなるということだと思う。 それだけではない。 58年の論文では、基本的な型として、nとsだけを使っていたのだが、2008年の論文では、もっとたくさんの基本的な型を導入している。

文法を計算する(1)

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我々は、他人が話す、いままで一度も聞いたことがない文でも、それが文法的に正しいものであれば、ただちにそれを理解する。また、話したいことがあれば、自分がいままでしゃべったこともない文を、正しい文法で即座に話すことができる。 我々が持っているのは、日本語・英語の同じ意味を持つ二つの文章のペアを、気が遠くなるほど大量に集めて、高性能のGPUを使って何日もかけて「学習」するディープラーニングの機械翻訳技術とは、違う言語能力である。 「正しい文法で」と書いたが、我々は、母語の文法を、あとで習得する外国語の文法のように明示的に「知っている」わけではない。ただ、我々のからだは、なにが文法的に正しく、何が文法的に正しくないかを、正確に知っているのは確かである。 複雑性の理論では、計算可能なもっとも簡単なクラスを「多項式時間で計算可能 P」と呼ぶのだが、我々の言語能力は、明らかにクラスPに属するはずだ。だって、「多項式時間」どころではなく、リアルタイムに相手の話す言葉が文法にかなっているかを判断して聞き取り、リアルタイムに文法的に正しい文を生成してしゃべることができるのだから。 言語能力を計算能力として捉えようとするときに、その中心的な課題は、文法的に正しい文を生成する計算規則を見つけることだ。それは、文法の計算ルールを見つけることだと言って良い。 60年ほど前に、Lambekは、驚くべき発見をする。 文法の計算ルールは、次のたった二つの式で表されるというのだ。    (x/y)y --> x    y(y\x) --> x (x/y)y --> xは、x/yという型を持つ語の後ろに、型yを持つ語が続けば、それは、型xを持つものに変換され、 y(x\y) --> xは、型yを持つ語の後ろに、x\yという型を持つ語が続けば、それは、型xを持つものに変換されることを意味する。 Lambekは、名詞を表す型nと、文を表す型sというたった二つの型を用いて、語の並びから、先の二つの計算ルールで文を導く計算をしてみせる。( 計算部分、青字でおぎなっておいた。) そのためには、伝統的な品詞分類を離れて、次のような新しい品詞分類を導入すればいいという。(図2)  自動詞   n\s  形容詞   n/n  副詞

第三回マルレク「自然言語とコンピュータ概論 -- 計算主義的言語理論入門」

来週 8月27日、富士通さんで開催の第三回マルレク「自然言語とコンピュータ概論 -- 計算主義的言語理論入門」の一般申し込み受付中です。 https://language1.peatix.com/ 自然言語をコンピュータに理解させることは、人工知能技術の大きな課題です。ただ、その取り組みは、まだ道半ばです。 今回の講演では、コンピュータによる自然言語理解をめぐる主要な三つのアプローチを取り上げ、その現状を概観します。特に、人工知能技術の文脈では、あまり取り上げられてこなかった、「計算主義的」な言語へのアプローチを紹介しようと思います。 次のような構成を考えています。ご期待ください。 ------------------------- 第一部 ディープラーニングからの 自然言語へのアプローチ -------------------------  ● ニューラル確率言語モデル -- Bengioの「次元の呪い」  ● Encoder / Decoder -- HintonのAutoencoder  ● Word2Vec -- Mikolov 語の「意味ベクトル」  ● Sequence to Sequence -- Ilya Sutskever  ● Attention Mechanism -- Bahdanau  ● Google ニューラル機械翻訳 -- Yonghui Wu    ○ WordPiece  ● Google 多言語ニューラル機械翻訳 -- Melvin Johnson  ● Differentiable Neural Computer -- Alex Graves    ○ bAbI task ------------------------- 第二部 ボイス・アシスタント・システム      Entity Modelと知識検索 -------------------------  ● ボイス・アシスタント・システムのプロダクトを見る  ● ディープラーニングを用いた音声認識技術 – Hinton  ● Google 音声検索 / Google NowとGoogle Assistant  ● Google Home    ○ Dial
「心の貧しい人々は幸いである。」 多くの人は、「豊かな心」を持つことが、幸福に生きるためには、大事だと考えていると思う。それはそれで、いいことなのかもしれない。 以前に紹介したGoogleのラリー・ページの「幸福論」も、人々に「心豊かに」生きることを説いているように見える。  https://goo.gl/qfgV7K ところで、イエスの最も有名な説教である「山上の垂訓」は、 「心の貧しい人々は幸いである。」という言葉で始まる。なかなかショッキングな語り出しである。 イエスが呼びかけている対象は明確であるように思う。それは、生を「苦」と感じ、老いや病いに苦しみ、心が折れかけている人への呼びかけ、「絶望」している人々への呼びかけなのだと思う。「豊かな心」の「リア充」の人に語りかけているのではない。けっして、ネットで散見する「誤訳」なのではないと思う。 それは、法然・親鸞らの「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。」という教えと、通底する。 イエスが「心の貧しい人々」と対比しているのは、どのような人たちなのだろう? それは、次のような祈りを捧げるファリサイ人に対する、イエスの非難を見ればわかるような気がする。 『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。 わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』(ルカ18) 「徴税人」は、当時は、もっとも下賎な職業とみなされていたらしい。( 財務省次官や国税庁長長官のような現代のエリートとは違うのだ。 )イエスが非難しているのは、 「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」のことだ。「豊かな心」を持とうとする人が、そうならないことを願う。

量子コンピュータ関連の取り組みのご報告

---------------------------- 6月22日開催 マルレク第二回「量子コンピューティングの現状と課題」のマルレク・ネットでの動画配信が始まりました。 ---------------------------- 動画のURLは、次の通りです。 https://crash.academy/class/297 概論の部分は、無料で視聴できます。 このセミナーに関連した資料です。 ・講演資料: https://goo.gl/wgTmPV ・翻訳:Preskill「NISQ時代とそれ以降の量子コンピューティングについて」 https://goo.gl/6qh1oE ・セミナー概要: https://quantum0626.peatix.com/ ご利用ください。 ---------------------------- 本日、8月19日、台風の影響で延期した、「紙と鉛筆で学ぶ量子情報理論基礎演習 I」が、無事に開催できました。 ---------------------------- 写真は、「固有ベクトルというのは、行列の作用を受けても、向きが変わらないベクトルのこと」と、腕を振り回したところ。(下を向いちゃった。) この「紙と鉛筆」のシリーズは、9月以降も受講者の増大を目指して(できれば年内延べ200人くらいまで行ければいいのですが)、リピート開催したいと思っています。(「基礎」がわからないと、次の話ができないのです。) 10月の第四回マルレクのテーマは、「拡大する量子アルゴリズム」しようと思っています。 ---------------------------- 来週開催の第三回マルレクのテーマは、「自然言語とコンピュータ概論 -- 計算主義的言語理論入門」です。明日、8月20日12:00から、一般の受付が始まります。 https://language1.peatix.com/ 申し込み、お待ちしています。 ----------------------------

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」

「「歎異抄」に伝えられる親鸞の有名な言葉だ。 去年、母の一周忌の法要のお経(かな?)の中で、この言葉が耳に入り「あれ?」と思う。というのは、うちは法然の浄土宗で、親鸞の浄土真宗ではないからだ。 不思議と思って調べてみると、この言葉は、親鸞オリジナルなものではなく、もともとは、法然の言葉だったらしい。「浄土宗全書検索システム」(!)でみると、「法然上人伝記」にこの言葉が確かにある。https://goo.gl/u8jFbx  先日、母の三周忌で、会食した住職に聞いて見た。僕と住職だけがタバコをすうので、会食の場所から追い出された二人の喫煙所での立ち話。 大正年間に発見された「法然上人伝記」の信ぴょう性には、いろいろ議論はあったのだが、現在では、浄土宗の法話で、この言葉を使うことは認められているとのこと。それについては、いつだったか(住職は日付を言ったのだが、僕は忘れてしまった)、浄土宗と浄土真宗の教学のトップが正式に会って、話はつけてあると。(もちっと、上品な言い方だったが) 「法然上人伝記」は、この教えは「口伝」だとして、後半では、間違った理解をしないようにと念を押している。親鸞は、法然の高弟だったので、師から「口伝」を受けたのだろう。大事な教えなのに、口伝でしか伝えられず、一般に広がることをさける。そういえば、蓮如は「歎異抄」を禁書にしたんだった。 同じような話が「カラマゾフの兄弟」の中にある。 魔女狩りの時代に、この世に再臨したキリストを、キリスト教会トップの「大審問官」が、彼をキリストと知りながら、捕まえて牢獄に放り込んで、民衆との接触を断つという話だ。「大審問官」は、おまえが今頃現れてもだれにもいいことはないと、さんざんキリスト(本人だ!)とその教えを罵倒するのだが .... 。 宗教もラジカルだが、芸術もラジカルだったんだな。

複雑性についてのリンク集

Facebookで「複雑性理論と人工知能技術」という投稿を連続しているのですが(まだ、少し続きます)、自分でも探しにくくなっているので、丸山のblogにエントリーを転載して、そのリンクを集めて見ました。あわせて、関連する2017年1月の「複雑さについて」というエントリーのリンクもまとめて見ました。 このまとめ自体のパーマリンクは https://goo.gl/Uv5jgU です。多分、更新していくと思います。ご利用ください。 複雑性理論と人工知能技術 (2018年 8月のエントリー)  複雑性理論と人工知能技術(1) はじめに    https://goo.gl/HDDWyK 複雑性理論と人工知能技術(2) ゲーデル=チャーチ=チューリング   https://goo.gl/MjEiwh 複雑性理論と人工知能技術(3) ナッシュとゲーデル   https://goo.gl/JJBTEK 複雑性理論と人工知能技術(4) ファインマン  https://goo.gl/9iPr7W 複雑性理論と人工知能技術(5) ドイッチェ   https://goo.gl/K7RHNA 複雑性理論と人工知能技術 (2018年 9月のエントリー)  複雑性理論と人工知能技術(6) 言語能力はP?  https://goo.gl/HmwmyP 複雑性理論と人工知能技術(7) 数学とNP問題  https://goo.gl/onbXAn   複雑性理論と人工知能技術(8) 中間まとめ   https://goo.gl/UoTLDn 複雑さについて (2017年 1月のエントリー) 複雑さについて(1) AI「フレーム問題」   https://goo.gl/zZQWsA 複雑さについて(2) Compositionality    https://goo.gl/HDWwF7 複雑さについて(3) コルモゴロフの複雑性   https://goo.gl/GVUv9d 複雑さについて(4) チャイティンの不完全性定理  https://goo.gl/ZKEbhy 複雑さについて(5) チャイティンとゲーデル       https://goo.gl/6XfYgF 複雑さについて(6) 複雑さと計算量の理論    https://goo.gl/

複雑性理論と人工知能技術(5) ドイッチェ

ファインマンの「量子コンピュータによる自然のシミュレーション」という刺激的な問題提起を受け、それを「計算可能性理論」の中心的な原理である「チャーチ=チューリングのテーゼ」との関連で整理しなおして「計算可能性」を再定式化したのは、ドイッチェである。 1985年の論文 "Quantum theory, the Church-Turing principle and the universal quantum computer" https://goo.gl/PVHGKa  で、ドイッチェは、「チューリング・マシンのクラスの量子論的一般化である計算機械のクラス」=「万能量子コンピュータ」を構成して見せる。 彼は、「チャーチ=チューリングのテーゼ」を次のように捉える。 『「計算可能と自然に見なされる関数」は、全て、万能テューリング・マシンで計算可能である。.』 ただ、彼は、この「チャーチ=チューリングのテーゼ」の基礎には、暗黙の物理学的主張がある」という。これが、この論文の眼目である。 彼は、彼が構成して見せた「万能量子チューリング・マシン」=「万能計算機械」を用いて、「チャーチ=チューリングのテーゼ」を書き換える。 「この物理学的主張は、次のような物理学的原理として、明確に表現することが出来る。」 『有限な方法で実現可能な物理システムは、有限な手段によって操作される万能計算機械のモデルで完全にシミュレート可能である。』 これを、「チャーチ=チューリング=ドイッチェのテーゼ」という。 ドイッチェは、論文で、これらの原理が、次の熱力学の第三法則に似ていること注意を向けているのは、興味ふかい。 『どのような有限のプロセスも、有限な手段実現可能な物理システムのエントロピーあるいは温度をゼロにはできない。』 形式的・数学的で抽象的な「計算可能性」の原理だった「チャーチ=チューリングのテーゼ」は、ここに「チャーチ=チューリング=ドイッチェのテーゼ」として、実在的な過程としての「計算」の原理として「物理化」されることになる。 「計算可能性」の原理の「物理化」は、関連する諸科学に、一つのインパクトをもたらすことになる。なぜなら、それは、それまで別々の学問の対象だった「計算過程」「物理過程」「情報過程」(それぞれ、数学・物

複雑性理論と人工知能技術(4) ファインマン

「計算可能性」の理論として出発した「複雑性理論」が、質的な深化を果たすのは、1980年代になってからである。 大きな転回点になったのは、1982年のファインマンの論文 "Simulating Physics with Computers" https://goo.gl/ueVbdp  である。 この論文は、複雑性理論の進化の重要な画期を与えるとともに、現在の量子コンピュータのアイデアの出発点ともなる重要な論文である。(同時に、現在の量子コンピュータ技術の到達点は、ある意味、この論文への「回帰」として特徴付けられるのは、興味ふかいことである。) ファインマンは、次のように述べる。 「コンピューターが、正確に自然と同じように振る舞う、正確なシミュレーションが存在する可能性について話そうと思う。 」 「それが証明されて、そのコンピュータのタイプが先に説明したようなものであるなら、必然的に、有限の大きさの時空の中で起きる全てのものは、有限な数の論理的な操作で正確に分析可能でなければならないことになるだろう。」 「量子論的なシステムは、古典的な万能計算機で、確率論的にシミュレートされるだろうか?」 「 別の言い方をすれば、コンピューターは、量子論的なシステムが行うのと、同じ確率を与えるだろうか? コンピューターを今まで述べてきたような古典的なものだとすれば(前節で述べたような量子論的なものではないとすれば)、また法則はすべて変更されないままで、ごまかしもないとすれば、答えは明らかにノーである。」 「それは、新しいタイプのコンピューター、量子コンピューターで可能になるだろう。」 「 私が理解する限りでは、それは量子論的なシステムによって、量子コンピューターの要素によって、シミュレート出来るようになることは、いまや、明らかになった。それはチューリング・マシンではない。別のタイプのマシンである。」

安藤昌益

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安藤昌益は、秋田の大館で生まれ大館で死んだ江戸中期の思想家である。世界史的には、カントより20年ぐらい先の人。 彼女の母の七回忌で訪れた、彼女の実家近くの二井田温泉寺に彼の墓がある。ちなみに、安藤昌益を再発見した、狩野亨吉の生家は、僕の実家のすぐ近くにある。 狩野亨吉は、34歳の若さで一高の校長となる。夏目漱石の友人で、『吾輩は猫である』に登場する「苦沙弥先生」のモデルと言われている。 安藤昌益と狩野亨吉は、(ついでにいえば、僕も)同郷なのである。 安藤昌益は、封建的な身分制度とその思想的主柱だった儒教道徳を否定した、近世日本がうんだ稀有な革命思想家である。 中平土の人倫は十穀盛りに耕し出し、山里の人倫は薪材を取りて之を平土に出し、海浜の人倫は諸魚を取りて之を平土に出し、薪材十穀諸魚之を易へて山里にも薪材十穀諸魚之を食し之を家作し、海浜の人倫も家作り穀食し魚菜し、平土の人も相同うして平土に過余も無く、海浜に過不足無く、彼(かしこ)に富も無く此に貧も無く、此に上も無く彼に下も無く…上無ければ下を攻め取る奢欲も無く、下無ければ上に諂ひ巧むことも無し、故に恨み争ふこと無し、故に乱軍の出ることも無き也。上無ければ法を立て下を刑罰することも無く、下無ければ上の法を犯して上の刑を受くるといふ患いも無く、…五常五倫四民等の利己の教無ければ、聖賢愚不肖の隔も無く、下民の慮外を刑(とが)めて其の頭を叩く士(さむらい)無く、考不孝の教無ければ父母に諂ひ親を悪み親を殺す者も無し 「上がなければ下もない」「下がなければ上もない」という考えは、ヘーゲルの「主人と奴隷」の弁証法と同じものだ。目指すのは、ジョン・レノンの「イマジン」の世界に近いものだ。 安藤昌益以外にも、江戸後期の「国学者」の平田篤胤、佐藤信淵も秋田の出身である。明治期の著名な東洋学者内藤湖南も隣町出身である。 彼らの学者としての波乱万丈の人生を振り返ると(といっても、Wikipedia程度の知識しか僕にはないのだが)、現在のアカデミアのキャリアパスは全く異なるものであることがわかる。 逆に言えば、確固に見えるかもしれない現在のアカデミアのヒエラルキーも、たかだか100年少しの歴史しか持っていないのだと思う。それは、グローバルに見ても同じことだ。 た

ポッチャン便所

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義母の七回忌とお盆を迎えるので、彼女の実家の掃除に駆り出されているのだが、いつもより仕事が増えているのには訳がある。 この家のたたずまい、古民家然として、嫌いではないのだが、ひとつ困ったことがあった。便所が、汲み取り式のいわゆる「ポッチャン便所」なのである。(若い人には、分からないかもしれないが。一度、使ってみれば、なぜ、「ポッチャン」なのかは、すぐ、分かるはず。) 今年、お盆の直前まで、この便所を水洗トイレに改装する工事がはいっていて、家の中が、いつもよりちらかっていたのだ。 お盆と七回忌は当然として、「ポッチャン便所」撲滅は、それ以上の「大義」だったなと、工事が一段落した今思う。かり出されて当然なのかも。 古民家が好きな人は、「ポッチャン便所」も好きなのかしら?それでもいいのだが。 古い日本の家は、何も置かない、何もものがない時に、一番すっきり綺麗に見える。 でも、茶室で暮らせといわれたら、僕は、本も持たず、寝るスペースがあれば、寝ながら仕事すればいいので、全然困らないのだが、WiFiルータとMacとAndroidは持ち込むだろうな。 あと、やはり、隣にトイレが欲しい。

複雑性理論と人工知能技術(3) ナッシュとゲーデル

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1950年代に入ると、時代の先鋭な知性たちは、今日の複雑性理論の原型とも言える認識に到達し始める。 スコット・アーロンソンは、複雑性理論の到達点を概観した論文 "N = NP?"   https://goo.gl/TZUkgh  の冒頭に、ジョン・ナッシュの 1955年のNSA(スノーデンがいた、あのSNAだ!)宛の手紙をあげている。かつては「機密文書」とされていて、いつかの時点で情報公開されたものらしい。 誰にも破れない暗号を作るためには、指数関数的な計算が必要な暗号を作ればいいことを述べている。また、そうすれば、それまでの職人技的な暗号破り(多分、チューリングやファインマンがしていたこと)は「過去」のものになると、明確に自覚している! -----------------  現時点での、私の一般的な予想は次のようなものです。: ほとんどすべての十分に複雑なタイプの暗号化にとって、特に、鍵の異なる部分によって与えられた命令が、相互に複雑に相互作用して、それが暗号化の最終的な決定において影響を与えている場合、鍵の計算の平均的な長さは、鍵の長さ、すなわち、鍵の持つ情報の内容に関して、指数関数的に増加します。  もし、この予想が正しいと仮定すれば、この一般的な予想の重要性を理解するのは容易です。それは、実際的には誰も破れない暗号を設計することを、極めて簡単に実行できることを意味します。暗号が洗練されたものになるにつれて、熟練したチームなどによる暗号破りのゲームは、「過去」のものになっていくはずです。  この予想の性質は、たとえ特別な種類の暗号をとっても、私にはそれを証明できないようなものです。また、私は、それが証明されることも期待していません。」 ----------------- https://www.nsa.gov/news-features/declassified-documents/nash-letters/assets/files/nash_letters1.pdf 現文は、こちら。 僕は、ナッシュのNSAへの手紙は知らなかったのだが、有名なのは、1956年にゲーデルが、フォン・ノイマンに宛てた、次の手紙である。ゲーデルが、ほとんど完全に、問題の所在を把握していることがわかる。 -----

昔話 -- 誰も Coddを知らない

この前、この半年の講演のリンクをまとめたのだが、ある人から、「先生、こんなのも、まだネットにありましたよ」と言われた。  「UNIX データベース入門」 https://goo.gl/1mJRaj   資料の日付は8月5日、24年前の今日であることに気づく。すっかり忘れていたのだが、懐かしい。 これは、僕が IT関係で初めて「出版」した「本」なのだ。(もっとも、後半は、グダグダで本の体をなしていないのだが) 類書がなかったこともあり、ネット越しだったが、当時は、とてもよく読まれた。一月に多い時には数十万のアクセスがあった。(ページビューだが) スマホでは、文字化けして読めない「序章」は、こう書いてあった。 ------------------  本書は、急速に拡大しつつある新しいUNIXユーザーに、UNIXワークステーション上の リレーショナル・データベースを用いれば、本格的なビジネス・アプリケーション開発 が、UNIXワークステーション上で可能であることを示すことを一つの目的としている。  本書のもう一つの目的は、従来からのメインフレーム・ユーザーに対して、 コンピューターのビジネス・ユースの少なくない分野で、UNIXワークステーションが メインフレームに代わり得るしい可能性を持っていること示すことにある。 ・・・・ こうした新規ユーザーの大量参入、ハードウェア のコスト・パフォーマンスの飛躍的向上に基づく、処理の高度化の要求は、従来からの 生産性向上の要求に加えて、ソフト開発の現場に多くのことを求めている。 こうした課題に対する、現時点での有力な回答の一つは、UNIXワークステーションの ネットワーク上で、ビジネス・アプリケーションを開発することであり、こうした方向 には、次のようなメリットがあると我々は考えている。  第一。大規模で高性能で信頼性の高いシステムが、低コストで構築可能であること。 大型機のユーザーの中には、ワークステーション上のシステムに対して、信頼性の面で 危惧の念を持っている人が少なくないと思う。本書では、そうした疑念に出来る限り 答えようとした。  第二。メイン・フレーム上のシステムに対して、ユーザー・インターフェースが大幅 に改善されること。UNIXワークステーシ

複雑性理論と人工知能技術(2) チャーチ=チューリングのテーゼ

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複雑性理論は、もともとは、「計算とは何か?」「計算可能なものとは何か?」という問いから生まれたものである。この分野の代表的な成果は、ゲーデルの不完全性定理なのだが、それは、1930年だから、90年近く昔の話だ。 ただ、この不完全性定理は、確かに驚くべきものではあるのだが、ほとんど役に立たない定理である。 というのは、言い過ぎなのだが、この定理から、我々人間の(同時に、それは人工知能にとっての)認識能力の限界を議論するのは、あまりに、荒い議論であると僕は考えている。 一つには、不完全性定理による原理的な「限界」以外にも、形式的演繹による認識には、 実質的には、 様々な「限界」が存在しているからだ。我々の形式的認識の「限界」を構成しているのは、不完全性定理だけではないのだ。複雑性理論は、もっと精緻に、その「限界」を境界づけようとしている。 あと一つには、不完全性定理は、「証明不可能性」「形式的体系の無矛盾性」についてのショッキングな定理なのだが、いかなる計算、いかなる証明が「可能」であるかについては、あまり、多くのことを我々に教えてはくれないのだ。 歴史的に見ると、不完全性定理は、証明あるいは計算の性質についての探求の中で生まれた「最後の結論」ではないのだ。事実は、その逆である。1930年代に、この分野は、不完全性定理に強烈な刺激を受けて、「証明とは何か?」「計算とは何か?」という基本的な「問い」に突き進むことで発展する。 知的な展開としては、それに少し先行した、ハイゼンベルグやシュレジンガーやディラックといった若い天才たちが大活躍した量子力学の基礎付けの時代と比肩しうる、エキサイティングな「知的な黄金時代」だったと思う。(現代は、本当に、「イノベーティブ」なのかと、ふと思う。) ゲーデル=エルブランの「帰納関数論」、チャーチの「ラムダ・カリキュラス」、チューリング=ポストの「チューリング・マシン」が続々と登場する。この時代の白眉は、これらの「計算可能性」についての見かけは全く異なるアプローチが(もちろん、それは、ゲーデルの結果を再現できるものだ)、次々と、「同値」であることが証明されていくことだ! 1940年代には、今日、「チャーチ=チューリングのテーゼ」と呼ばれる「計算可能性」についての認識は、確立されることになる。これが、「複雑性理論」の第一世代であ

複雑性理論と人工知能技術 (1) はじめに

「複雑性理論」というのは、「計算」の「複雑さ」を階層的に整理しようとする数学の一分野である。 僕は、この複雑性理論が、人工知能技術の可能性を考える上で、もっとも基本的な手段を提供してくれると考えている。 こうした立場は、「感情」や「意識」や「意味」等々の様々なやっかいな問題を、当面は括弧に入れて保留して、人間の「知能」の本質を「計算」として抽象しようとするものである。人によっては、「なんと乱暴な」と思うかもしれない。 ただ、この抽象化によって、「機械」と「人間」は、等値される。「計算」を担うのが、タンパク質だろうがシリコンだろうが、していることは「同じ」であると考えるのである。 だから、この抽象のもとでは、機械ができることは人間にもできることになる。 「それじゃ、Googleの巨大なCPUパワーで出来ることも、人間が手計算で出来ることも同じだということ?」 そう。同じなのだ。原理的には、紙テープを1マスずつ読み書きするTuringマシンと同値だという意味では。(もっとも、その計算が「多項式時間」で出来るか否かは、重要なポイントになる。それについては、あとで述べる。) さらに、この抽象のもとでは、人間ができることは機械でもできることになる。これは、人工知能技術の可能性を考える上では、とても強い主張になる。 「まるで、人間が機械みたいじゃないですか」 残念に思う人も多いかもしれないが、僕は、そうした考え方をしている。人工知能の可能性を考える上では、「我々自身を見よ!」という以上の強いメッセージを、僕は、思いつかない。 その上、「知能」に対する「計算主義的」なアプローチは、僕が関心を持っている、人間の「言語能力」や「数学的能力」の機械による実現とは、とても相性がいいのだ。ディープラーニングの認識論的な基礎である「コネクショニズム」は、こうしたパースペクティブを持ち得ないと僕は考えている。 ここまで読んでもらって、「計算主義」と「複雑性理論」、面白いかもしれないと思ってもらえると嬉しいのだが。 ただ、残念なお知らせがある。 「複雑性理論」、まだまだわからないことが山のようにある。有名なのは、「P vs NP」問題が、解けていないことである。 「複雑性理論」というのは、「計算」の「複雑さ」を階層的に整理しようとする数