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マルレク「エンタングルする認識」 ダイジェスト #1

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認識の客体としての「エンタングルする自然」の理解の進行と、認識の主体としての人間の認識能力の深化は、お互いに絡み合っていますが、相対的には独立の過程です。4月のセミナー「エンタングルする認識」では、後者に焦点を当てようと思います。 【エンタングルメントの実在の認識 -- CHSHゲーム】 「それは馬鹿げた遠隔作用だ。」 アインシュタインは、エンタングルメントのことをそう呼びました。確かにそれは、二つの量子がどんなに離れていても、片方の量子の状態を観測すると他方の量子の状態が瞬時に分かる現象のように見えます。 それは、アインシュタインが特殊相対論で確立した、ある事象の影響は光のスピードを上限としてしか他の事象に影響を及ぼさないという「事象の局所性」に反しているように見えます。物理的な「因果関係」は、局所的な性質を持ちます。 物理的な「実験」では、単純化していうと、実験の対象と観測機器と観測者の知覚が、すべて物理的な因果関係のチェーンで結ばれたされたシステムを構成しています。 それでは、そうした局所的な因果関係を破るエンタングルメントのような現象の実在は、どのような「実験的」手段で確かめることができるのでしょうか? それは、物理的な因果関係に従わない「テレパシー」の存在を、物理的な因果関係に従う実験で証明しようというのに似ていないでしょうか?  ちなみに、こうした理論化は、1960年代になされたものですが、21世紀に入って、Interactive Proofの流れの中で再評価が行われ、次の認識の飛躍 MIP*=RE を準備することになりました。 詳しくは、セミナーで。 --------------------------------------------- 0または1を入力X,Yとして受け取り、0または1を出力A,Bとして吐き出す箱があるとしましょう。内部の仕掛けはわからないブラックボックスです。 ブラックボックスだとしても、入力と出力を観察すれば、両者の「相関 C」は知ることができます。入力と出力の「相関 C」は、入力X, Yが与えられた時の出力A, Bの条件付き確率で与えられます。C = P(A, B | X, Y) です。 今、ブラックボックスの入力 X, Yと出力 A, B が、ある関係 D(X,Y,A,B)=1を満たす時、青いランプがついて、そうでない時は赤

「自分の部屋を持ちなさい」#2

以前の「自分の部屋を持ちなさい。」という投稿 は、ヴァージニア・ウルフの  "A room of one's own" からの引用でした。文学を志す女性に向けた彼女の1928年の講演をもとにした作品です。 彼女が造形した、シェイクスピアと同じ才能に恵まれながら、その才能を発揮する環境も機会も与えられず、ついには自殺し、ロンドンの街の路傍に埋葬されるシェイクスピアの妹の Judithの「物語」は見事なものです。 この先品で、印象的な場面が、僕にはもう一つありました。 それは、この物語の「語り手」が、彼女は"OxBridge"大学 (!!)で学んでいるのですが、近道をしようとしてキャンバスの芝生を横切ろうとしたら、守衛が「とんでもない」という表情で飛び出してきて、行手を阻まれるのです。「芝生を横切れるのは、大学のエライ人だけ。女はダメ。」 嫌がらせを受けて、彼女は、大学の壮麗な図書館に向かうのですが、その膨大な書庫には、女性文学についていえば見るべきものは何一つなく、クソのような本だけが並んでいます。いわく「女性には、シェイクスピアのような作品が作れないことは、明らかである。」 実は、昔、この作品を読んだ時、このシーンはあまり印象に残っていませんでした。ただ、数年前、物理学者のサスキンドの本を読んだ時、このエピソードを思い出しました。 サスキンドも、Trinity Collegeの芝生を横切ろうとして、守衛に阻止されます。前日、教授と一緒の時には、何も言われないで同じ芝生を渡れたのに。大学のエライ人と一緒でなければ、芝生の横断は認められないと言われます。彼の "Black Hole War" という本に出ています。 サスキンドは、サウス・ブロンクスの配管工の息子です。配管工の青い仕事着をきて大学の面接を受けたというエピソードも、この本の中で語っています。 ウルフが、「イギリスの大学はこのクソみたいなルールを 300年も守り続けている」と書いたのは 1920年代のことですが、サスキンドの経験は、彼が32歳のときで、1972年のことです。1970年代にも、このルールは生き続けていたのです。 つい先日 (2021年3月8日)も、イギリスのバーガー・キングが " Women belong in the

自分の部屋を持ちなさい

「僕はAndroid」だ。 それでclubhouseに部屋を持てない。(iPadで入ることができたのだが、まだ始めていない。) 「僕はうなぎ」「彼はたぬき」「彼女はキツネ」 米津の「迷える羊」というアルバムに、「馬と鹿」という曲を見つけた時、ちょっと笑った。動物づくしをしたいわけではないのだが。実は、彼はAndroidだったので、clubhouseに入れなかったらしい。 冒頭のフレーズは、ある女性作家が、「女性」と「小説」について質問された時、答えた言葉だ。男性との差別に苦しむ女性、創作を志す女性に対するアドバイスだ。  「自分自身の部屋を持ちなさい。そして、お金も。」 興味深いのは、彼女がこのエッセイで紹介している、かつて、女性は自分の才能を発揮することが、いかに困難だったかをしめす、次のようなエピソードだ。(若干、補足が必要なのだが、それは後日。) シェイクスピアには、Judithという、彼と同じように才能に溢れた妹がいた。兄のように学校に行くことを許されず、両親に望まぬ結婚を押し付けられた彼女は、家出をしてロンドンに出て、兄と同じ役者の道を目指す。ただ、その道は厳しかった。 ある冬の夜、彼女は自殺する。彼女は、Elephant & Castle 郊外の、今はバスが通っている十字路の近くに埋葬された。  「自分自身の部屋を持ちなさい。そして、お金も。」 僕にとっても、いいアドバイスだと思う。 --------------------------------------------- Shakespeare had a wonderfully gifted sister, called Judith, let us say. Shakespeare himself went, very probably,—his mother was an heiress—to the grammar school, where he may have learnt Latin—Ovid, Virgil and Horace—and the elements of grammar and logic. He was, it is well known, a wild boy who poached rabbits, perhaps shot a deer, and had, ra

エンタングルメントをめぐるドラマ #4

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 【 3/27 「楽しい科学」ダイジェスト -- エンタングルメントをめぐるドラマ #4 】 【「時空」を生み出す「原理」としてのエンタングルメント 】 アインシュタインは、量子論の中に二つの量子の奇妙なもつれあった関係が存在することを発見して、それを「パラドックス」として提示しました。三人の著者 Einstein, Podolsky, Rosenの頭文字をとって、「EPR論文」と呼ばれます。1935年の5月のことです。 二ヶ月後の7月に、アインシュタインはローゼンとともに、"The Particle Problem in the General Theory of Relativity" 「相対性の一般理論における粒子の問題」という論文を公開します。この論文を「ER論文」と呼びます。   このER論文は、二つのブラックホールを結ぶ「橋」が存在しうることを指摘した論文です。この「橋」は、"Einstein-Rosen Bridge" と呼ばれ、別名「ワームホール」とも呼ばれます。 アインシュタインは、1935年に、「エンタングルメント」(ただし、パラドックスとして)と「ワームホール」を発見しているのです。同時期にアインシュタインによってなされた、この二つの発見に何か関連があるのでしょうか?  本来は、80年前になされるべきこうした問いかけを、現代に蘇らせたのは、あのマルデセーナとブラックホール/量子重力の専門家のサスキンドでした。 2013年の論文で、二人は、1935年にアインシュタインが発見した「エンタングルメント」と二つのブラックホールを結ぶ「ワームホール」は、スケールが全く違うのですが、同じものだという大胆な仮説を提示します。 「二つのブラックホールの間のワームホールは、二つのブラックホールのエンタングルメントによって生成される。」 時空の性質を記述する相対論(重力理論)と量子の世界を記述する場の量子論に「対応」が存在することをマルデセーナが発見したことは、既に述べました。ただ、その対応が、具体的にどんなものかについては、述べてきませんでした。 マルデセーナとサスキンドの主張は、AdS/CFT対応のもとで、相対論に現れる二つのブラックホールを結びつけるワームホールと、量子論に現れる二つの量子のエンタングルメントは、「対応

エンタングルメントをめぐるドラマ #3

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【エンタングルメントのエントロピー】 マルデセーナの量子論と相対論(重力理論)の「対応」の発見をきっかけに、エンタングルメントの理解は、飛躍的に深まります。 突破口を開いたのは、二人の日本人、笠真生と高柳匡です。 「「時空」が、二つの部分 AとBに別れているとする。AとBの「境界部分」は、「時空」の「境界」なので、マルデセーナの理論にしたがって量子論で記述できるはず。」 「やってみたら、この「境界」は、 なんと、量子論の「エンタングルメント」のエントロピーに対応するんだ!」 彼らは、「エンタングルメント」がエントロ ピーを持つことの、最初の発見者となります。(2006年) 先にマルデセーナの時空の「境界」の重要性の発見は、「再発見」かもしれないと書いたのですが、それには訳があります。時計を50年ほど巻き戻します。 ブラックホールは、観測可能な物理量としては、質量・電荷・角運動量の三つしか持たないと信じられてきました。ブラックホールは、極めて単純な構造の存在で、上の三つの物理量でその特徴を完全に記述できると。それを、物理学者のウィーラーは、「ブラックホールには毛がない」と表現しました。(「毛は、三本しかない」という意味です) 1973年、ベッケンシュタインは、これを覆す発見をします。彼は、ブラックホールが、先の三つの物理量の他に、エントロピー を持つこと、しかも、そのエントロピーが、ブラックホールの「地平」の表面積に比例することを見出します。 ブラックホールの「地平」とは、その一線を超えると、なにものも(光でさえ!)ブラックホールから脱出できなくなる、ブラックホールを周辺の時空とをへだてる「境界」のことです。 通常、ある空間のエントロピーは、その空間の体積に比例します。ブラックホールのエントロピーが、ブラックホールの体積(質量と言ってもいいです)ではなく、その地平の面積に比例すると言うのは、少し意外に思われるかもしれません。こうしたタイプの物理法則を「エリア則に従う」といいます。 笠-高柳によるエンタングルメントがエントロピーを持つことの発見は、このベッケンシュタインのブラックホールがエントロピーを持つことの発見に匹敵する重要な発見です。 笠-高柳の発見に刺激されて、ラムズダンクが続きます。彼は、こう考えます。(2010年) 「二つの時空 A, B があったとする。二

エンタングルメントをめぐるドラマ #2

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【3/27 「楽しい科学」ダイジェスト -- エンタングルメントをめぐるドラマ #2 】 量子論と相対論の「対応」の発見 エンタングルメントの発見をきっかけとした、アインシュタインの量子論批判と、ベルによるそれへの反論、量子論の擁護を見てきました。 ただ、こうした「論争」が、20世紀の科学の主要な関心事だったわけではありません。極微な世界を記述する量子力学と巨大な時空を記述する重力の理論である相対論という二つの物理学理論は、それぞれの領域で、大きな成功をおさめてきました。我々の物質・生命・宇宙に対する理解は、20世紀をつうじて飛躍的に進みました。 ただ、それぞれ異なる理論体系に基づく物理学が二つあるというのは、奇妙なことです。少なくない物理学者が、「これこそが、物理学の中心問題だ」と信じて、量子論と相対論を一つの物理学に「統一」する課題に取り組んできました。ただ、それは、20世紀には成功することはありませんでした。 20世紀も終わりの1997年、マルデセーナは21世紀の物理学の扉を開く重要な発見をします。 それは、d+1次元の時空を記述する重力理論AdS(Anti-de Sitter Space)と、d次元の場の量子理論CFT(Conformal Field Theory)が「対応」していることの発見です。この対応を「AdS/CFT対応」と言います。 この「対応」では、重力理論が d+1次元で量子論がd次元ですので、相対論(重力理論)と量子論の次元が一つずれていることに注意してください。スープの入った缶詰で例えて言えば、相対論は缶のない中身のスープの理論で、量子論はスープのないスープをつつむ缶の理論だと言うことです。 このことは、20世紀の多くの物理学者の努力にもかかわらず、相対論と量子論の「統一」の試みが成功しなかった理由を、ある意味で説明します。二つの理論は、棲んでいる世界の次元が違うのです。ブリキの缶の外側をいくらなぞっても、スープのことはわからないし、逆に、いくらスープを舐めても、缶のことはわからないのと同じです。 それにもかかわらず、重要なことは、二つの理論には「対応」が存在すると言うことです。 マルデセーナの発見は、「スープと缶は、無関係ではなく関係がある。」ということでした。「缶を調べれば、スープのことがわかり、スープを調べれば缶のことがわかる!」

エンタングルメントをめぐるドラマ#1

【3/27 「楽しい科学」ダイジェスト -- エンタングルメントをめぐるドラマ #1】 科学の世界は、いろいろなドラマに溢れています。 今回の 3/27「楽しい科学」では、「エンタングルメント」を舞台にしたドラマを紹介したいと思います。https://science-entanglement.peatix.com/ ------------------------------------------------------------ 最初の登場人物はアインシュタインです。彼は、量子論では、二つの量子がもつれあう奇妙な状態が現れることを発見します。1935年のことです。その現象に「エンタングルメント」という名前をつけたのは、シュレディンガーだと言われています。 アインシュタインは、もつれあう量子は強く関連した性質を持ち、一方の性質は他方の性質から簡単に決定できること、そのうえ、こうしたもつれあいは、二つの量子の距離に依存しないことに気付きます。 このことは、二つの量子がどんなに離れていても、一方の量子の状態を観測すれば、テレパシーのように、他方の量子の状態が分かることを意味します。「そんな馬鹿なことはありえない。それだと、光のスピードを超えて情報が伝わることになるじゃないか。」 彼は、量子論が不完全な理論であることを示す「パラドックス」として、「エンタングルメント」を提示したのです。ところが、ボーアをはじめとする量子論の陣営は、このアインシュタインの「量子論批判」を、事実上、無視します。 アインシュタインの「神はサイコロをふらない」という言葉がしめすように、彼は最後まで、量子論に懐疑的であったと言われています。 エンタングルメントをめぐるドラマで、アインシュタインに次ぐ重要な役割を演じる第二の登場人物は、ジョン・ベルです。彼と彼の業績が、多くの人にはあまり知られていないのは、とても残念なことです。 ベルは、アインシュタインらが量子論の不完全さを解決するものとして推進した「隠れた変数」理論を、理論的に否定することに成功します。しかも、自然が、「隠れた変数」理論という古典論に従うか、あるいはエンタングルメントを含む量子論に従うかは、実験的に検証できると指摘します。 事実、アスペたちは、1982年、ベルの主張が正しいことを実験で実証します。ここに、アインシュタインの発見か