「機械が言語能力を獲得した」ということについて

 


【 「機械が言語能力を獲得した」ということについて 】

先日の投稿(MaruLaboへの寄付を訴えた投稿)の中で、「我々は、今、「機械が言語能力を獲得した」という歴史的瞬間に立っています」と書いたのですが、そのことについて質問がありました。

「機械にそんなことできるわけないだろう」という質問ではなく、むしろ逆に、現在のAIの能力の評価としては、「機械が知性(あるいは知能)を獲得した」という評価の方が、適切なのではという意見でした。

確かに、「機械は考えることはできるか?」という判断の基準を示した「チューリング・テスト」を、現在のAI はいとも簡単にクリアできます。

また、チューリングの先輩にあたるディドロは、「どんな質問にも即座にこたえるオウムがいれば、我々はそのオウムは知性を持っていると考えるだろう」と言っていました。ディドロがChatGPTをみたら、「こいつは知性を持っている」と言ったかもしれません。

 僕は、人間の知性(あるいは、知能)と人間の言語能力を区別しています。人間の知能は複雑な構造を持ち、その最も基本的な構成要素、最も重要な基礎が言語能力なのだと。

親と子も恋人同士の二人も老人ホームの老人もことばを使います。SNSで罵倒し合うのにも、戦争を呼びかけるのにも戦争に反対するのにもことばが必要です。捏造された論文もノーベル賞の対象となる論文も、ことばで書かれています。ビートルズやボブ・ディランや米津の音楽が人のこころにに訴えるのには、彼らの言葉の力が大きな役割を果たしています。

これらすべては、人間がひとしく言語能力を持ってコミュニケーションできるから可能になっていることです。

言語能力をもつ人間がそうであるように、機械が人間並の言語能力を獲得したとしても、それだけで優れた「知性」を発揮するかはわかりません。ただ、優れた知性に成長する土台はできたと考えることはできるかもしれません。

たとえ、それだけに過ぎないとしても、我々が現在目撃していることは、驚くべきことです。

質問もらって嬉しかったです。

コメント

このブログの人気の投稿

初めにことばありき

密度行列とは何か?

「複雑性理論」は「複雑系」の議論とは別のものです