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お詫び -- Deep Learning 系講演資料のリンクが切れていました

【 お詫び -- Deep Learning 系講演資料のリンクが切れていました 】 今度のセミナーでの「感覚と情報」というセクションの準備をしていたのですが、マルレク+MaruLaboのサイトから、2017年以前の 丸山のDeep Learning 系の講演資料のデータの多くがアクセスできないことに気づきました。  なんか、昔はとても可愛がっていた子を、気が変わってエイやと里子に出して、音信不通のまま放置したような気になって(そのつもりはなかったのですが)、少し、かわいそうになりました。気がついて、よかった。 以下のセミナーのリンクを修復しました。ご利用ください。 ● 2017/05/28 「ニューラル・コンピュータとは何か?」 https://www.marulabo.net/docs/20170528-marulec01/ ● 2017/03/27 「Googleニューラル機械翻訳」 https://www.marulabo.net/docs/20170327-marulec03/ ● 2017/02/22 「RNN と LSTMの基礎 — Sequence to Sequence —」 https://www.marulabo.net/docs/20170222-marulec05/ ● 2016/12/20 「DNNとRNN — ニューラルネットワークの二つの基本的なモデルについて」 https://www.marulabo.net/docs/20161220-deeplearning-handson-google/ ● 2015/12/22 「機械学習技術の現在 2」 https://www.marulabo.net/docs/20151222-marulec04/ ● 2014/12/04 「エンタープライズと機械学習技術2 — Big Data と Deep Learning —」 https://www.marulabo.net/docs/20141204-marusemi04/ ● 2014/11/25 「エンタープライズと機械学習技術1 — Big Data と Deep Learning —」 https://www.marulabo.net/docs/20141125-marulec04/ ● 2014/09/26 「人間の思考、機械の思考

情報の時代の始まり -- 1950年代

【 情報の時代の始まり -- 1950年代 】 10/29 マルレクにむけたショートムービー「情報の時代の始まり -- 1950年代」を公開しました。 https://youtu.be/viP_9_wikbM?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas スライドのpdf版には、こちらからアクセスできます。 https://drive.google.com/file/d/13CLanZSMd29o8bNVo0Xo1vGNsraet18c/view?usp=sharing 「情報」という言葉が、科学・技術の世界で広く使われるようになったのは、20世紀半ばのシャノンの「情報理論」の登場からです。 ほぼ同じ頃、フォン・ノイマンらが現代のコンピュータの基礎を築き、チューリングは人工知能を構想します。また、ワトソンとクリックが生命の情報過程を担うDNAの構造を解明します。 情報の時代の幕開けです。 今回は、この1950年前後の時代を振り返ってみようと思います。 ================================= 楽しい哲学「認識について考える」のまとめページ  https://www.marulabo.net/docs/phylosophy01/ ================================= 1. 認識について考える -- 対象と方法 -- https://youtu.be/xY6Abw_cBTg?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas 2. 認識について考える -- 意識と認識 -- https://youtu.be/3eHDmZHAdC4?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas 3. 感覚能力の外的拡大 1  -- 視覚-- https://youtu.be/6uA1pn5vv-0?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas 4. 感覚能力の外的拡大 2  -- 時間感覚 -- https://youtu.be/mjDdyCPCx2g?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas =================================  

感覚能力の外的拡大 2 -- 時間感覚 --

【 感覚能力の外的拡大 2 -- 時間感覚 -- 】 10/29 マルレクにむけたショートムービー「感覚能力の外的拡大 2 -- 時間感覚 --」を公開しました。 前回は、人間の感覚能力の拡大として、視覚の外的拡大を見てきました。今回は、時間の感覚の外的拡大の話です。 https://youtu.be/mjDdyCPCx2g?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas スライドのpdf版には、こちらからアクセスできます。 https://drive.google.com/file/d/12ckJb_qprvV8i4_VtxW_ebp1uH-ITBtF/view?usp=sharing 以下、概略。 現代の人間の「時間感覚」は、独特なものだ。動物の時間感覚が、その体内時計によってコントロールされているのに対して、現代人は、基本的には、「時計」という機械に依拠して時間を知る。 人間の「時間感覚」と「時計=機械」の結びつきは、この数百年の短い間に歴史的に形成されたものだが、その結びつきは強いものだ。今では、多くの人にとって、時計の表象なしに時間について考えることはむずかしいだろう。 機械の利用が、人間の能力を拡大すると考えれば、人間ほど鋭敏な時間感覚を持つ生物は存在しない。その特徴の一つは、その「正確さ」であり、もう一つは、「同時性」という観念を発展させたことである。 ------------------- 前回と今回のショートムービーは、2020年の10月末に開催した、マルゼミ Interactive Proof 入門 第一部「機械と人間のインタラクション」のショートムービーの一部を再利用しています。 https://www.marulabo.net/docs/interactiveproof/ ------------------- ================================= 楽しい哲学「認識について考える」のまとめページ  https://www.marulabo.net/docs/phylosophy01/ ================================= 1. 認識について考える -- 対象と方法 -- https://youtu.be/xY6Abw_cBTg?list=PLQIrJ0

感覚能力の外的拡大 1 -- 視覚--

【 感覚能力の外的拡大 1  -- 視覚--  】 10/29 マルレクにむけたショートムービー「感覚能力の外的拡大 1  -- 視覚-- 」公開しました。 科学的認識の現在を考える時、忘れてならないのは、我々自身の感覚能力が、飛躍的に拡大していることです。主要には、機械の助けによって。今回のスライドには、人間が作り上げた巨大な観測機械と、それによって得られた宇宙の画像がたくさん入っています。 お楽しみください。 https://youtu.be/6uA1pn5vv-0?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas 前回見たように、万人に共有される「理性」という概念は、「科学革命」の扉を開き、それに続く「産業革命」を準備した。それはまた、自由・平等・人権といった近代市民社会の思想の先駆けでもあった。 ただ、そうした思想の力だけで、科学的認識の拡大の道が拓かれた訳ではない。科学的認識の拡大の上で、人間の感覚能力の外的な拡大が、おおきな役割を果たした。 まずは、「視覚」の能力の拡大を見ておこう。 「視覚」は、生物が外界を認識するために、進化を通じて発達させてきた能力である。ただ、人間は、生物学的な進化以外の方法で、「視覚」の拡張を果たしてきた。 それは、人間が、望遠鏡や顕微鏡といった視覚を拡張する新しい機械を発明し、それを利用することでなされた。 そうした機械の進歩は、現在も続いている。ここでは、近代科学の成立にも、現代科学の発展にも大きな役割を果たしている「視覚」を拡張する機械の話をしようと思う。 ================================= 楽しい哲学「認識について考える」のまとめページ  https://www.marulabo.net/docs/phylosophy01/ ================================= 1. 認識について考える -- 対象と方法 -- https://youtu.be/xY6Abw_cBTg?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas 2. 認識について考える -- 意識と認識 -- https://youtu.be/3eHDmZHAdC4?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas

認識について考える -- 意識と認識 --

【  認識について考える -- 意識と認識 -- 】 10/29 マルレクにむけたショートムービー「認識について考える -- 意識と認識 --」公開しました。ご覧ください。 https://youtu.be/3eHDmZHAdC4?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas <欲望> 生物の意識の最も古い起源は、「欲望」だと筆者は考えている。 個体のエネルギー代謝過程を維持し生存しようとする「欲望」、個体の遺伝情報を次世代に伝えようとする種保存の「欲望」は、すべての生物が持つ基本的な「欲望」である。 それは、単純な個別の「感覚-運動」の「刺激-反応」に帰着されるものではなく、それらの全体を、種保存の目的のためにコーディネートし、コントロールするドライバーである。 <意識> 欲望という意識のプリミティブな形は、生物が進化の中で発展させてきた、その「本能」と一体のものだ。 やがて、環境への柔軟でより高度な適応のために、欲望という本能と一体の意識の原基から、本能とは区別された「意識」が分離を始める。 ほとんどの動物は、意識を持っている。 <人間の意識> 地上の動物で、意識をもっとも高度に発達させたのは、人間である。 その意識の特徴の一つは、人間が他の動物とは違うものであるという意識、人間としての共通性、類としての自覚が生まれたことである。 それは、人間が作り上げた「宗教的意識」の結果である。 歴史的には、超越的なものとの関係で、我々は、我々が等しく無力な存在であることを知るようになったのかもしれない。 <「理性」の概念> 話は少し飛ぶ。 デカルトは、「明晰かつ判明に認識されるところのものは真である」とする。 同時に、そうした判断能力は、生まれつき全ての人に備わっているとする。 これは、類的存在としての人間の共通性の新しい認識である。それは、人間の認識能力を「理性」として特徴付ける新しい時代を準備するものだった。 ================================= 楽しい哲学「認識について考える」のまとめページ  https://www.marulabo.net/docs/phylosophy01/ ================================= ============================

認識について考える -- 対象と方法 --

【 認識について考える -- 対象と方法 -- 】 10/29 マルレクにむけたショートムービー「認識について考える -- 対象と方法 --」公開しました。短いです。ご覧ください。 https://youtu.be/xY6Abw_cBTg?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas ================================= 楽しい哲学「認識について考える」へのお誘い  https://www.marulabo.net/docs/phylosophy01/ ================================= 1.「情報と認識」について https://youtu.be/0ou1hWine0U?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas 2.「自然認識の拡大」について https://youtu.be/fiGGC3qHglw?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas 3.「数学的認識」について https://youtu.be/dtHorBgsRtA?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas 4.「認識の認識」について https://youtu.be/b4t-sDc0QYg?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas =================================  セミナー楽しい哲学「認識について考える」  へのお申し込みはこちらです。   https://philosophy01.peatix.com/ =================================

楽しい哲学へのお誘い 4 -- 「認識の認識」について

【 楽しい哲学へのお誘い 4 -- 「認識の認識」について 】 10/29 マルレク 楽しい哲学「認識について考える」へのお誘いの第四弾です。 https://youtu.be/b4t-sDc0QYg?list=PLQIrJ0f9gMcOlromnKjdDMRcVr1BnJJas 認識の認識とは、認識について考えること、認識を認識の対象とすることです。 対象としての認識には、ふたたび、<対象と認識>が現れます。 確かに、対象のない認識を考えることは可能です。「我思う。故に、我有り。」という時の「我思う」は、特定の思惟の対象を問題にしている訳ではありません。 ただ、ここでは、認識とは、「なにものかについての認識である」と考えることにします。 対象としての認識には、ふたたび、<対象と認識>が現れることを、「認識の二項性」と呼ぶことにしましょう。それは、素朴には、認識の「客体」と「主体」の二項性と考えて構わないと思います。 認識のそれぞれの二項は、それぞれ別の世界に属しています。その項がどのような世界への帰属であるかは、認識のタイプごとに様々です。 例えば、物理学だったら、  「対象としての自然」と「自然の法則」。 これは、少し、抽象度をあげた  「物質の世界」と「情報の世界」 の、ヴァリアントかもしれません。 数学だったら、  「数学的対象」と「数学」 ですが、これは、  「モデル」と「理論」 の方が、いいかもしれません。 ただ、これは、  「情報の世界」と「情報の世界」 の関係に帰着します。 認識の「二項性」とならんで、それが「認識」であることから要請される重要なモメントに、その二項が、その帰属するクラスが異なっていっても、何らかの「同一性」を持たないといけないということがあります。その「同一性」が、どのように担保されるかということについても、考える必要があります。 =================================  楽しい哲学「認識について考える」へのお誘い    https://www.marulabo.net/docs/phylosophy01/ ================================= 1.「情報と認識」について https://youtu.be/0ou1hWine0U?list=PLQIrJ0f9gMcOlromn