「言葉の力」と「数理の力」 (1)
「知能」や「認識」とは何かということが、僕の一つの関心なのだけれど、最近、よく「言葉の力」と「数理の力」について考えている。
「言葉の力」とは、言語が我々に与えた世界を認識する力のことで、「数理の力」というのは、数学や物理学が我々に与えた世界を認識する力のことである。(もっとも、「感覚の力」というのも重要だし、我々の世界に対する関係は「認識」だけであるとは限らない。ただ、そうした論点は、当面、留保しよう。)
10数万年前、おそらく突然に、「言葉の力」が、Homo属の一部に芽生える。それが、人間である。我々は皆、特殊能力を持ったそのミュータントの子孫なのである。その時から、人間と世界の関係は、劇的に変化する。人間は、その能力ゆえに、世界に対して、類人猿を含めた他の動物とは異なる振る舞いをするようになる。
自分の経験や考えを、仲間同士で伝えられるようになる、それは、近くにいた人間以外のHomo属にも、不思議な「テレパシー」能力に見えたことだろう。感情は豊かになる。同胞の死を悲しみ、死体を埋葬し、てあつくとむらう。直接的な「恐怖」ではなく、満天の星空を見上げて「畏怖」を感じる。自分自身の存在を含めて、世界は「謎」に満ちたものとして現れる。
生まれたばかりの人間は、その「謎」を「言葉の力」を使って説明しようとする。
宗教と芸術と科学は、そのプリミティブな形では、未分化で渾然一体の形ではあるが、言語能力の獲得と同時に生まれた。言語・宗教・芸術・科学の存在は、人間と動物を、決定的に分かつものだ。
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以下、Facebook上での議論です
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「言葉の力」とは、言語が我々に与えた世界を認識する力のことで、「数理の力」というのは、数学や物理学が我々に与えた世界を認識する力のことである。(もっとも、「感覚の力」というのも重要だし、我々の世界に対する関係は「認識」だけであるとは限らない。ただ、そうした論点は、当面、留保しよう。)
10数万年前、おそらく突然に、「言葉の力」が、Homo属の一部に芽生える。それが、人間である。我々は皆、特殊能力を持ったそのミュータントの子孫なのである。その時から、人間と世界の関係は、劇的に変化する。人間は、その能力ゆえに、世界に対して、類人猿を含めた他の動物とは異なる振る舞いをするようになる。
自分の経験や考えを、仲間同士で伝えられるようになる、それは、近くにいた人間以外のHomo属にも、不思議な「テレパシー」能力に見えたことだろう。感情は豊かになる。同胞の死を悲しみ、死体を埋葬し、てあつくとむらう。直接的な「恐怖」ではなく、満天の星空を見上げて「畏怖」を感じる。自分自身の存在を含めて、世界は「謎」に満ちたものとして現れる。
生まれたばかりの人間は、その「謎」を「言葉の力」を使って説明しようとする。
宗教と芸術と科学は、そのプリミティブな形では、未分化で渾然一体の形ではあるが、言語能力の獲得と同時に生まれた。言語・宗教・芸術・科学の存在は、人間と動物を、決定的に分かつものだ。
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