複雑さについて(1) AI「フレーム問題」

「フレーム問題」の日本語wiki https://goo.gl/kh5yzNと"Frame problem"の英文wiki https://goo.gl/2OU7Wp が、全然、違う記述になっていることに気づく。McCarthyの論文 https://goo.gl/yqSZ3 ちゃんと読んだのかな?
認識論からヒューリスティック、自由意志の問題まで、形式的な体系で記述しようとする McCarthy的なアプローチを、少し「批判的」に考えてみようとしたのだが、日本語wikiを読んで、拍子抜けした。
「有限の情報処理能力しかないロボットには、現実に起こりうる問題全てに対処することができないことを示すもの」それが「フレーム問題」だそうだが、そんなこと言ったら、「有限の情報処理能力しかない人間には、現実に起こりうる問題全てに対処することができないこと」だって示すことができるだろう。
我々人間も、Turingマシンも、「有限」なものだけでなく、帰納的に定義された「無限」をハンドルすることができる。そこには、ゲーデルの不完全性定理が示すような原理的な「限界」があるのだが。
問題は、ロボットの認識の限界ではなく、「人間+機械」の認識の限界である。それについては、形式的にも、いくつかの重要な知見がある。それについては、別のポストで。
有限と無限の関係も、見かけよりずっと複雑である。
我々が発話する「文」は、現実的には「有限」である。ただ、我々は、すべての文を枚挙することはできない。それは「可能的には無限」なのだ。こうした認識は、自然言語理解の基本的な前提である。
数学においても物理学においても、「無限」(あるいは、「無限小」)の問題は、様々な矛盾・アノマリーを引き起こしてきた。ただ、我々は、それを乗り越えてきた。
現代の物理学の歴史を、無限が引き起こす問題とそれを克服する試みとしてオーバービューした次の論文は、とても刺激的なものだ。
"Struggles with the Continuum" https://goo.gl/1jkhlZ
McCarthyの問題提起は、その視野の広さを見ても、立派なものだと思う。それを単純化するのはよくないと思う。
ただ、現代のAI研究の到達点を、物理学でのBaezの先の論文のように、総括することが、まだ、我々は、できていないのだと思う。

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