量子機械学習について

このところ、量子コンピュータ(アニーリング型)をディープラーニングに応用しようという動きが、「再び」、活発になっているように思う。
Seth Lloydらの”Quantum machine learning" (2017年9月のNatureの論文)が良いまとめになっている。この論文は、有料だが、arXivで無料で読める。https://goo.gl/4Ngk1A
機会があれば、いつか紹介したいと思っている。
以前に紹介した、Preskillの "Quantum Computing in the NISQ era and beyond" https://arxiv.org/pdf/1801.00862.pdf
でも、このトピックは、キチンと取り上げられている。"6.5 Quantum deep learning"(まだ、翻訳していなかった。ごめんなさい。)
「再び」といったのは、もともと、アニーリング型の量子コンピュータへの注目は、ディープラーニングへの応用ができるのではという期待でドライブされていたからである。
2013年にGoogleとNASAがD-Wave-2のマシンを購入して共同で作った研究所は、"Quantum Artificial Intelligence Lab" 「量子人工知能研究所」だった。 (ロッキードが D-Waveのマシンを買ったのは、それより早い、2011年のことだ。)
ちょうど、2012年に、爆発的なディープラーニング・ブームが起きた時期に、重なっている。ただ、華々しくスタートしたものの、「量子人工知能研究所」は、必ずしも、華々しい成果をあげたわけではないと思う。
それには、理由があった。
一つには、AaronsonやVarizaniといった、量子コンピュータ界の「切れ者」が、一斉に、D-Wave批判を展開し、激しい論争が起きたからである。「理論的」には、AaronsonやVarizani にかなうわけもなく、D-Wave側は防戦一方だったと思う。
(僕は、アーロンソンのファンなので、彼のことは、よく紹介している。バリザーニも大好きで、「紙と鉛筆で学ぶ量子情報理論」というのは、彼の講義のスタイルを踏襲したものだ。)
この論争は、Aaronsonが、「大人」になって、D-Waveマシンに噛み付くのをやめ、もちろん、それを全面的に肯定するものでもなく、どちらかといえば、「生暖かく」見守ってもいいという立場に変わってゆくことで、ゆるやかに終わっていく。
その「回心」の瞬間を、Aaronsonは、blogに書いている。
国際線で、二本の子供向け映画「シンデレラ」と「トゥマローランド」を見た彼は、ふと思う。未来について、子供のような夢や希望があってもいいのだと。「スケーラブルな量子コンピュータを作るために、たくさんのアイデアの花を咲かせよう。もちろん、D-Waveのアイデアも含んで! 勇気を持って、人に優しくなろう!」
(冒頭に紹介した、Seth Lloydは、彼より年長なので、当初から、こうした「大人」の立場だったと思う。そういう意味では、一貫している。)
Aaronsonの「回心」もあるのだが、量子コンピューター界が、D-Wave, Googleらの取り組みに融和的になったのは、量子コンピューター界のホープだった、John Martinis をヘッドハントして、Googleの「中の人」にしたことが、一番大きいようにも思う。事実、Martinis 採用以前と以後では、Googleの発表する量子コンピューター関連の論文の、テーマも質も、大きく変化している。
2013年設立の Google, NASAの「量子人工知能研究所」の活動が、あまり目立たなかった、もう一つの理由は、単純である。
この5年の間に、ディープラーニング技術が、飛躍的に進歩したからである。重要なことは(実は、当たり前の事実を確認しているだけなのだが)、今日、我々が目にする、ディープラーニング技術の華々しい進歩は、量子コンピューターの助けなしで行われたものである。
量子コンピュータをディープラーニングに応用しようという動きが、「再び」、活発になっているのも、こうした経過を見ると、もっと大きな背景が見えてくるように思う。今、必要なことは、2013年の「量子人工知能研究所」の意義を再確認することではないと思う。
一つには、人工知能技術が、一つの転換点を迎えていることがある。
人工知能技術の中で、言語の意味の理解や論理的推論など、ディープラーニングだけではできない課題があることが、次第に明らかになってきているのだと思う。こうした論点については、丸山の「Post Deep Learning時代の人工知能技術を展望する」 https://goo.gl/MRRLRT を参照してもらえると嬉しい。
大量のデータと大量のGPUがあれば、なんでもできるだろうという、素朴な(しかし根強い)楽観論の時代は、いつか終わる。我々は、人工知能についての一つの楽観論の時代の終わりの始まりを見ているのだ。
もう一つは、量子コンピューター技術が、新しい段階に到達しようとしていることがある。
そこでは、50~100 qubit のシステム(実は、そこまでなのだが)が、安定的に運用できる技術の目処がついたことが大きい。そうした現状認識については、先のPreskillの論文を、参考にしてほしい。
最後に、量子コンピュータ / ディープラーニングの領域を超えて、新しい量子情報理論の枠組みの中で、こうした探求を統一的に捉えようという動きが、従来の動きに新風を吹き込むと思う。
最後の論点については、稿を改めたい。

コメント

このブログの人気の投稿

マルレク・ネット「エントロピーと情報理論」公開しました。

初めにことばありき

宇宙の終わりと黒色矮星