無限について

無限は、古来から、多くの哲学的・数学的な関心を引き付けてきました。

時間や空間が連続的で無限であると仮定すると引き起こされる「ゼノンの逆理(アキレスはかめに追いつけない)」は有名ですね。

ユークリッドは、素数が無限にあることを証明したのですが、その証明では、慎重に、「無限」という言葉を使うことを避けました。アリストテレスは、もっと踏み込んで、無限について語っています。彼は、無限を「実無限」と「可能的無限」に分けました。

数学では、連続と無限の問題は、ニュートンやライブニッツが微積分法を始めた時にも、「無限大」「無限小」の概念を巡って大きな議論が巻き起こりました。現代の数学の出発点の一つであるカントールの集合論は、無限についての数学といってもいいのですが、ここでも多くの論争がありました。

20世紀になっても、超限解析(Non-Standard Analysis)の登場や、連続体仮説の独立性証明といったトピックでも、議論は尽きません。

物理学についても、現代の物理学の歴史を「連続的なものとの格闘」という視点から振り返った数理物理学者のJohn Baezは、次のように述べています。"Struggles with the Continuum"  https://johncarlosbaez.wordpress.com/2016/09/08/struggles-with-the-continuum-part-1/

「すべての主要な物理学の理論は、時空が連続的なものであるという想定から生まれる数学的問題に対する挑戦であることを、この一連の投稿でみてきた。連続的なものは、無限によって、我々をおびやかす! これらの無限は、これらの理論から予測を行う我々の能力を脅かすのだろうか? あるいは、これらの無限は、こうした理論を正確な形で定式化する我々の能力さえも脅かしているのであろうか?」

こうした無限と連続をめぐる議論は、とても興味深いものです。昨年発見された、MIP*=RE定理も、こうした議論に一石を投じることになるのは確実です。ただ、今回は、そうした議論の紹介は、割愛します。

と言いますのは、今回フォーカスしたいのは、複雑性理論での無限と有限の捉え方だからです。誤解を恐れず単純化していうと、複雑性理論は無限を直接の対象とはしません。複雑性理論がまず関心を持つのは、有限の捉え方です。有限という概念は、決して単純ではないのです。

次回は、同じ有限でも、「多項式」で表現される有限と「指数関数」で表現される有限には違いがあるという話をしたいと思います。



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