ボームと外村彰

【ボームと外村

以前、スモーリンの本を読んで、ボームのことが気にかかっていた。といっても、あまりきちんと追いかけていなかった。(「Bohmian Rhapsody」https://maruyama097.blogspot.com/2019/05/bohmian-rhapsody.html )

去年は、ずっと「対話型証明」を追いかけていて、「対話」の意味にについて考えさせられたのだが、そこでまた、ボームの「対話論」に出会うことになる。

対話の意味について、なにか自分で「哲学的」なことを書こうとすると、僕の形式主義的で要素還元論的なアプローチだけではうまくはいかない。といっても、先のブログでも書いたのだが、僕はボームに対して、特にかつての彼の「ホーリズム(全体論)的」な思想に対して、すこし反発があった。

今は、物理学や計算科学の初頭的な解説を始めているのだが、そこでは、20世紀の科学の巨人としてのフォン・ノイマンの仕事を避けて通るわけにはいかない。でも、「思想家」としてのフォン・ノイマンは、恐るべき(多分、貧困で非人間的)存在だ。

ダイソンが、"Turing's Cathedral" でフォン・ノイマンについて書いた、「人類が発明した、最も破壊的なものと最も建設的なものが、正確に同じ時期に現れたのは、偶然ではない。」というフレーズは、科学者とその思想は、簡単には分離できないと言うことを意味している。(「Turing's Cathedral」https://maruyama097.blogspot.com/2021/04/turings-cathedral.html )

「科学者+思想家」として見れば、フォン・ノイマンの対極にいたのは、ボームだったように僕には思える。オッペンハイマーの愛弟子であったボームは、「マンハッタン計画」から放逐される。

科学者と思想の問題は、例えば、ニュートンの登場を産業革命を思想的にも準備したと捉えることが可能なように、個別・具体的な「科学者+思想家」の問題としてだけではなく、より一般的な「科学と時代の思想」というフレームで論ずるべき問題なのだと思う。ただ、そうした視点に立つと、「フォン・ノイマン問題」は厄介な問題になる。

なにか、もってまわった弁解だらけの言い方になってしまった。すこし、切り口を変えようと思う。

ボームの科学者としての仕事は、実は、日本にも因縁があるのだ。ボームのおこなった「アラハノフ=ボーム効果」が存在するという量子力学的予想を実験で実証したのは、日本人科学者の外村彰だった。

「アラハノフ=ボーム効果」がどういうものかは、次のファインマンの言葉が、参考になるうと思う。

「ある粒子に局所的に作用する古典的な電磁場の知識は、量子力学的な振る舞いを予測するには十分なものではなかった。... ベクトル・ポテンシャルAは「実在する場」なのだろうか? ... 場が実在するという考えは、遠隔作用という考えを避けるための数学的な道具だ。... 長い間、ベクトル・ポテンシャルAは、「実在的する場」とは信じられていなかった。... 我々がそれを定義できると言う意味では、実際に、ベクトル・ポテンシャルAは実在する場であることを示す現象が量子力学を含んで存在する。... 電場Eや磁場Bは、ベクトル・ポテンシャルAやスカラー・ポテンシャルφに置き換えられて、少しづつ現代的な物理法則の記述から姿を消しつつある。」

電場や磁場の影響が全くないところでも、ベクトル・ポテンシャルの影響が存在するというのが「アラハノフ=ボーム効果」で、それを実際に実験で示したのが、外村彰である。彼の仕事によって、ベクトル・ポテンシャルはたんなる数学的で便宜的な仮定ではなく「実在する場」であることが確かめられたのだ。

図は、彼の「電子波で見る電磁界分布 【ベクトルポテンシャルを感じる電子波 】」から。https://www.journal.ieice.org/conts/kaishi_wadainokiji/200012/20001201-1.html

彼は、日立の研究所の人だった。今では、日本の民間の研究所に属する人がノーベル賞をとるのは珍しいことではなくなったのだが。彼の仕事は、物理学の基礎理論に関わるスケールの大きな研究だった。また、現在の目から見れば、量子デバイスの開発につながる技術を開拓したものだったように思う。

偶然だが、昨日は、彼の命日だった。



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