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負けた。

バッテリーが膨らんでスマホの側面が開き始めたので、瞬間接着剤を流し込んで固めていた。押さえ込んだと思ってたのに、ぱっかりと口が開いた。僕の即席修理前よりひどい状態に。アロン・アルファの根性なしめ。 瞬間接着剤、バッテリーの圧力に勝てないみたい。どこまで膨らむんだろう? ハードの保証対象か確かめようと、ドコモショップに電話したら休みだった。毎月の第三水曜日がドコモショップの定休日だということ初めて知った。まあ、休むのはいいことだとは思う。 ♪ とってもだいじにしてたのに  こわれてでないおとがある  どうしよう どうしよう  オーパッキャマラド、パッキャマラド、パオパオパパパ  パッキャマラド、パッキャマラド、パオパオパパパ 「買ってもらうぞ 買ってもらうぞ」という歌詞があった。   誰に?

今日はMSさんとの飲み会。@川添さんのお店

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Java vs. .C# 戦争の昔話もでたけれど、でも、気がつけばみんなMSの人になっている。 僕も、20ちょっとの若い人と話をしていたら、「先生、Javaも知っているんですね」と言われたことがある。「すこしね。」 〜 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

ゴータム君とアーユルヴェーダ

高田馬場でゴータム君と会う。 稚内の大学の経営状況が思わしくないというニュースを見て、どんな状況なのかを聞きたいと思ったのだが。稚内の大学を離れてからもう10年以上たつのだが、30代の後半から定年までの、僕の人生の「働き盛り」の時期をすごした大学のことは、気になるものだ。 ただ、ゴータム君の話は、意外なものであった。 今日あった彼は、以前と変わらず元気そうに見えたのだが、今年の一月から、重い病気にかかっていて、この半年近く闘病生活を送っていた。呼吸ができなくなり、全身に激しい痛みが走る。本人は、死を覚悟したという。(実際、家族には「余命2~3ヶ月」と告げられたらしい。) 国立ガン研の検査で病名が確定したのだが、肺がんや結核と誤診されて亡くなる人も少なくないという難病だった。 ただ、根治は難しく、ステロイドホルモン剤や 免疫抑制剤を使う対処療法しかないという。 ここからゴータム君のとった選択は興味深いものだった。 彼は、出身地のネパールに帰り、そこで「アーユルヴェーダ」の治療を受けることにしたのだ。もちろん、日本の医療機関の診断も伝えながら。ネパールのアーユルヴェーダの医師も、この病名は知っていた。ただ、彼らは「この病気は根治できる」と彼に告げたらしい。 ネパールでアーユルヴェーダの治療(食事と呼吸法の指導が主だったようだ)を受け、インドの薬を飲んでいたら、なんと、病気が治ったという。(僕も、この病気のことをネットで調べたのだが、「軽症の場合には自然治癒することも多い」とかいてあった。) 気がついたら、大学のこと聞くのほとんど忘れていた。 いろんなことが起きるものだ。何が彼に起きたのかは、よくはわからないが、ともかく元気になってよかったと思う。

ネット依存

セミナーの準備をしていたら、急にGoogleのサービスが使えなくなってあわてる。 検索、G-Mail、GDriveが反応しなくなる。スマホからはアクセスできるのに、Macからだと繋がらない。 1時間以上そういう状態が続いて、ついさっき回復した。 一番困ったのは、検索が使えないこと。検索が使えないと調べ物ができないからだ(あたま?)になっている。これって、こまったもんだけど、これ以外に戻ることは多分無理。この何年も紙の本は読んでいない。 「無人島に一つだけ持って行くなら何を選ぶ? スマホ。」 というジョークがあったけど、僕も似たようなもの。 VRやARについていろいろ議論はあるけど、僕にとっての最大のAR(拡張現実)は、ネットそのもの。 短い間だったけど、なくなってみると、自分がいかにネットに依存しているかがわかる。 安心したので、昼寝でもしよう。

エゾカンゾウが咲き始めた!

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例年より半月ほど早い。北海道の5月の異常な暑さも、花たちには良かったみたい。(去年も一昨年も5月の霜にやられた) 写真は、海ぞいの野生地から。すこし内陸のサロベツは、これから。今年は、サロベツ、期待できるかも。 帰りたいな。

今年は、稚内にいる時間を増やせればと思っている。

今年は、稚内にいる時間を増やせればと思っている。 今年の目標は、年間の1/6の2ヶ月を稚内で過ごすこと。 生きているのか死んでいるのかわからない「シュレジンガーの猫」風にいうと、丸山は、「東京の人」と「稚内の人」の「重ね合わせ」の状態になる。   |丸山> = 5/6|東京の人> + 1/6|稚内の人> 東京・稚内を往復する飛行機代が安くなればと思う。 この10年、東京に「単身赴任」してきたのだが、これからもずっとこのままでいいわけではないだろう。田舎で過ごす時間も、夫婦で過ごす時間も必要なのだと思う。 以前に読んだ本に、こんなふうなことが書いてあった。 「科学(特に生命科学)が進歩すると、人間は、150歳まで生きれるようになるかもしれない。50歳は、まだまだ元気な現役世代。その時代、平均して50歳で結婚するようになる。」 これが、ブラックジョークなのは、そのオチを読めばわかる。 「50歳で結婚して、結婚生活は平均して100年続くことになる。夫婦は同じ相手と一世紀つづくのだ! この時代、きっと、離婚を禁ずるカトリック教徒は、減り続けるだろう。」 (僕は、頑張ります) いつになるかわわからないが、ボケて「マルレク」もできなくなったら、田舎で好きな数学や物理の論文を読む生活をしたいな。 ボケて、数学をやろうというのが矛盾している。自分のことでも、先のことは、現在の延長でしか考えていないのだ。ただ、未来は、現在の単純な延長線上にはないのは確かだろう。

「真打」になれない僕

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といっても落語の修行の話ではなく、Audibleの「リスナー・レベル」の話です。 Audible、時々聴いているのですが、先週、その「リスナー・レベル」に、次の「レベル到達まであと30時間」と表示されているのに気づきました。その次のレベルの名前が「真打」なんです。 なら「真打」になってやろうと思って聴いていたんです。確かに、聴いた分だけ順調に、30時間、29時間、28時間 ... と減っていっていたのですが、「レベル到達まであと1時間」までカウント・ダウンが進んでから異変が起きました。 いくら聴いても、その1時間が減らないのです。 おとついは、24時間 Audibleを聴き続けて見ました。それでも「レベル到達まであと1時間」の状態は変わりません。ちなみに、24時間寝ないでAudible聴いていたわけではありません。ちゃんと寝てました。僕は、これまでも(「二つ目」までは)、「睡眠学習」にAudibleを活用していました。(あは) なんでだろう? 「寝ながら聴くのはけしからん」とおもったのかしら? 「師匠」が「お前は、二つ目に格下げじゃ」と考えたのかしら? よくわかりません。 「睡眠学習」の実験を続けようと思います。

「丸山不二夫レクチャーズ」リンク

MaruLaboのページ  https://www.marulabo.net/  を更新して、この5-6年の間の講演資料のリンクを整理しました。ご利用ください。 資料をダウンロードしなくても、ページで資料が読めるようになっています!  というのは嘘で、それが目標なのですが、大きすぎてGoogle Driveで表示できない資料(よくありました)は、まだ「表示できないからダウンロードして」というのが、かなり出ています。 現在、ページでの資料の表示が可能になるように、全力で(嘘)、ファイルの分割作業に取り組んでいます。(ぼちぼちやります) 採録した「最古」の資料は、これかな? 「大規模分散システムの現在」 http://bit.ly/2InvU5F  2013年7月のものです。今では、「大規模分散システムの遠い過去」ですね。 IT業界長いので、10年前、15年前、 ... にさかのぼれば、まだ山のように書いたものはあるのですが。今は、「古文書」です。少し、悲しいです。  「シジフォス」  「賽の河原の石積み」  「祇園精舎の鉦の音」 うーん。 まあ、いいか。 「袖擦り合うも他生の縁」(パラレル・ワールドだ!)。 「これも因果と諦めて」、前に進むしかないですね。 (ほんとかな?)

人間の記憶・機械の記憶

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丸山 不二夫さんの初めてタグ付けされたFacebookの写真 https://www.facebook.com/fujio.maruyama/videos/696310690800560/ Facebookから、こんな通知が。いつ「初めてタグ付けされたか」なんて覚えてないよ。人間の記憶と機械の記憶は、少し違うのかな。ちょっと気持ち悪い気もする。 もっとも、機械には、人間と同じような記憶 -それは「覚えている」という「意識」 - は、ないようにもおもう。機械の「記憶」は、情報を保存する機能とそれを検索する機能の組み合わせ。 あれ、人間の記憶も、この点では同じか。 「意識」の有無で機械を責めるのもヤボな気もするので、他のことを考える。 そうだ。僕は、君が覚えていた情報を忘れていた。悔しかったら、人間のように忘れて見せろ。君には出来ないだろう。 (実は、昔のこと、君のおかげで想い出したことは、内緒。) (それに、それで、僕は、機械に「勝てた」と言えるかは、かなり疑問。いや、負けている。) でも、人か亡くなれば、その人の持つ記憶は、失われるように、機械の記憶も、例えばFacebookという会社が無くなれば、失われるんだね。同じだね。 やはり、そこまで行く前に、生きてるうちに、いろいろ忘れることが出来るのが、機械には出来ない人間の能力かな?  と考えて、自分のボケを、正当化しよう。

自然

この前、5月なのに、サロマで39.5度になったりして、北海道のこと、ちょっと心配している。 6月末には、サロベツ原野にいっせいにエゾカンゾウの花が咲く。見事なものだったのだが、このところパッとしない。湿原が乾燥化して、ササが侵入しているのだ。 乾燥化は、異常気象のせいというより、牧草地が拡大し用水路が整備されて水の流れが変わり、湿原の水位が下がったことが影響しているらしい。 都会から来た人は、どこまでも続く緑の牧草地をみて、「すごい、大自然!」と感激する人も多いのだが、花いっぱいのサロベツ原野をみて欲しかったと思う。牧草地は、本当は「自然」ではないのだから。 まあ、それでも、「全部が、ゴルフ場みたいだ!」といわれるよりは、ましだと思う。(意外と多い。ビジネスマンに。) 連休中に、稚内に帰って、ペンケ・パンケで、数万羽の(ごめん。数えてはいません)鳥の群れを見て、すごい! みんなにも見せたいと思った。一瞬、観光資源になると思ったのだが、多分、無理だと気が付いた。だって、僕一人が近づいても、何千羽が逃げ出すのだから。    地元紙の記事で、僕の家の近くの「大沼」にも、今年は白鳥が三万数千羽飛来したことを知った。昔はここに白鳥なんかこなかった。「白鳥おじさん」という人がいて、彼が大沼で地道に餌付けをしていた。 でも、「白鳥おじさん」の努力のせいだけでないと僕は思う。 かつて稚内市は人口6万を超えていた。今は、三万数千に減少している。今に、人口が飛来する白鳥の数より少なくなるのかもしれない。(昔から、牛の数には負けていたのだが。) 過疎が進むと、自然が戻るのだと思う。 サロベツを脅かすササの話に戻ろう(牧草地のことはおいておいて)。宗谷地方には、高い木がない。100年ぐらい前に、大きな山火事があって、森が全て失われ、ササが跋扈するようになったらしい。 昔、稚内の大学にいた頃、北大の演習林の人たちと仲良くなって、シュマリナイの演習林の施設で講演をしたことがある。そこで聞いた話が面白かった。(そこでご馳走になったコイ料理もうまかった。シュマリナイ湖は人造湖で、コイも養殖している) 「先生、今は、ササが圧倒的に勝っているように見えますが、時間が経てば、ササは木には負けるんです。300年もすれば、鬱蒼とした森林が復活します。」 そ

僕は「採血」が苦手だ。

僕は「採血」が苦手だ。 医者になっていたらきっと「採血」下手だったろうと思うが、幸いなことに医者ではないので、人に迷惑をかけたことはない。僕は、「採血」されるのが苦手なのだ。 時々、病院に行くのだが、第一関門の「検査室」では、20人近くが並列に採血されていく。こんなに採血する人がいるのに、僕は、一度も「うまい」ひとに当たったことはない。 僕の場合、一回では血が取れず、平均すると三回くらい針を刺されることになる。 この前、同じ病院で人間ドックを受けたのだが、3人が入れ替わりで僕の採血に「挑戦」して、普通5分もかからない採血に、40分以上時間がかかった。 悪いと思ったのか「主任」さんらしい人(採血に失敗した二人目の人)が、人間ドック最後までエスコートしてくれた。VIP待遇で後の検査は割り込みありで待つことなくスムーズでありがたかったのだが、それは、グループに分かれて流れ作業で進むはずの検査の流れが乱れたから、現場で調整が必要になったからだと思う。 人の顔の作りがみな違うように、僕の腕の血管の流れ方もちょっと違うようだ。顔にたとえれば、きっと、ピカソの絵のように、鼻の位置がずれて、ひん曲がった不恰好な顔をしているのだろう。(でも、それは、僕のせいではない。いや、やはり、僕のせいかな?) 今日は、一回で、採血が終わった。 今日の彼女は、違っていた。 針を浅く刺す。血管に当たるまで、注射針の根元まで深く刺す。それでもダメなら、針を抜かずに、針の向きを変えて同じことをする。この針で「まさぐる」のは、これまでも経験がある。ただ、二度ぐらい「まさぐる」とたいていの人は諦めて針を抜くのだが。 今日の彼女は、諦めない。そして、針を抜かない。なんども浅く深く向きを変えて「まさぐる」。 そりゃ、僕の血管がいくら変なところを通っているかもしれないけど、血管がないわけではないので、このやりかたなら、いつか血管に当たって、血が出ますよ。 検査室の人は、採血が終わると、みなが「お大事に」という。それは、たいていは、検査の対象の病気と病人に対する気遣いの慣用句なのだが、僕の場合は、検査へのお詫びになっている。そう言われてもねとも思うのだが。 世が世ならば、僕の血管配置の「ドラキュラ耐性遺伝子」ともいうべきものが、人類を救うのだと思うこと

今、僕が悩んでいること

科学のダイナミックな発展の中で、物理の世界と情報と計算の世界が、どんどん近づいているのに、僕はワクワクしているのだが、これをみんなに(主要にはITの世界にいる人になるのだが)どう伝えていけばいいのか、少し悩んでいる。 現実的には、量子コンピュータや量子暗号あたりが、いい接点になるのだと思っているのだが。(それとても「現実的」だとは思われていない気もするが。) 当面、すこし、皆の関心との接点を探って、皆がわかることからアプローチしようとも思っている。ヘタレなアプローチではあるが、誰も関心を持ってくれないより、ましなのかも。 ただ、こうした対応で問題が解決するわけではないとも思う。 一つには、「教育」の問題がある。 量子コンピュータでもディープラーニングでも線形代数(と言っても、簡単な行列の計算でいい)の知識は必要だ。ただ、IT技術者が皆、行列の計算ができるとは限らない。 本来なら、高校で基本的な数学は教えられるべきだと、僕は思う。高校で学ばなかったことが、残念ながら、大学で補われることはほとんどない。これは大学の問題だ。 プログラミング教育の議論が盛んだが、現実的にも(教える先生も、施設も充実しているはず)、実践的にも(小学校よりは、ずっと現実の社会、就職先に近い)、一番重要なのは、大学でのプログラミング教育の充実・刷新だと、僕は考えている。 実は、高校・大学で学ばなくても、いつでもどこでも、いくらでも学ぶことはできる。技術コミュニティーでの勉強会、ネットを通じての情報の収集。学校制度に頼らずに、自分で学ぶという点では、IT技術者は先進的だと思う。 もう一つには、科学と技術とビジネスの関係を、どう捉えるのかという問題がある。 技術者がビジネスのことを意識するのは当然だと思う。ただ、ビジネス視点だけで科学を考えると、あまりいいことはないと思う。 このあたりのことを、試行錯誤しながら、もう少し、考えていきたいと思っている。

カート・ヴォネガット

今日は、カート・ヴォネガットの命日だ。 12年前の今日、彼が亡くなった日に、僕はアメリカにいた。Google IOだったかMS BulidだったかJava Oneだったか、なんかのカンファレンスでサンフランシスコにいたのだ。 参加したカンファレンスの中身はすっかり忘れているのだが、帰国の時に空港の書店に、彼の死を悼んで特設のコーナーが設けられていたのを、今でも覚えている。彼は、アメリカでは広く愛されている作家なんだと、改めて思った。 ハヤカワからたくさん本が出ているので、日本では、SF作家の一人だと思っている人も多いのだが、 最初に読んだのは、「スローター・ハウス5」だった。ナチスによるユダヤ人の虐殺を非難する「連合国軍」側も、空爆で無数の無辜の命を奪っているという視点は、僕には衝撃的だった。この本を読んでから、「ヒロシマ・ナガサキ」と聞くと、「トウキョウ・ドレスデン」を一緒に想い出すようになった。(もちろん、「アウシェビッツ・ダッハウ」も。僕は、ダッハウに行ったことがある。) 僕は、彼の熱心な読者になった。 SFなんか読まないよという人にも、「筒井康隆と井上ひさしと大江謙三郎を足して2で割ったような作家」だと紹介した。三人とも好きな作家なのだが、3で割らずに2で割ったところに、僕のヴォネガットに対する「敬意」を込めたつもりだった。 筒井康隆がノーベル文学賞を取れなくてもがっかりする人は少ないと思うのだが、村上春樹は、ヴォネガットの熱心な読者の一人だったと思う。(僕は、筒井も村上も好きである) ヴォネガットが、ノーベル文学賞にノミネートされたことがあったかは、僕は知らないが、20世紀の文学を代表する作家の一人だと僕は勝手に思っている。 彼は、ある作品の中で、彼の分身の一人に、ノーベル賞を与えている。文学賞ではなく医学賞なのがご愛嬌である。 もっとも、人間は、脳内の神経伝達物質(それらは「麻薬」の主成分でもある)の化学反応で動作する機械なのではという疑問は、彼の本で繰り返される主題の一つである。だから、ノーベル文学賞よりノーベル医学賞なのだと思う。 ヴォネガットが、彼が想像の中で作り上げた彼の分身キルゴア・トラウトに、ノーベル医学賞を与えるのは、「チャンピオンたちの朝食」の中でである。("Breakfa

2018年春稚内

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稚内に帰っています。 気温5度と、まだ風は冷たいのですが、ミズバショウが咲いていました。 稚内からドライブするとどの道を選んでも「南下」することになる。帰り道は、必ず「北上」だ。 主なルートは三つ。宗谷岬経由でオホーツク海沿いに南下するか、抜海(バッカイ)を通って日本海沿いで南下するか、サラキトマナイを抜けて内陸部を南下するかだ。 今日は、第三のルートで、オトイネップ(音威子府)で「黒いソバ」を食べて、ビフカ(美深・ピウカ)までドライブしてきた。 (ワッカナイ自体がそうなのだが、アイヌ地名がいたるところに残っている。) 音威子府の砂澤ビッキ記念館は、なぜか休館中だった。道北は、松浦武四郎生誕200年で、少しは、盛り上がったのかしら? 前に、美深で食べたチョウザメ料理が美味しかったので、また食べたいと思ったのだが、「チョウザメ・ラーメン」と「チョウザメ味噌パン(チョウザメの形をした味噌パン)」しかなかったので、諦める。残念。 まだ、雪が残っていた。 今日は、サロベツ原野の一部のペンケ・パンケ沼に野鳥を観にいく。多分 、数千羽はいるのだが、近づくと飛びあがって逃げてしまう。これみん な僕らから逃げているところ。なかなかスマホのカメラでは、迫力が伝わ らないのが、残念。 稚内のサクラが咲き始めました。これはエゾヤマザクラでピンクが鮮やかで す。稚内のソメイヨシノはこれから咲きます。多分、日本で一番遅いサクラに なります。 東京に帰ります。 今年は、稚内で過ごす時間、増やしたいなと思っています。

都バス新型車両

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今日は、午前中に、ある会社の社内勉強会で講演。午前中に講演というのは、実は、珍しいんです。 会社の担当者の方から、事前に「いつもと時間帯が違うから、間違えんなよ(要旨)」というアラートが飛んできていて助かりました。 講演日が今日であることは、スライドの準備の都合で自覚していたのですが、ぼんやり生きているので、このメールを受け取るまで、時間が違うこと忘れていました。いつもと同じように、夕方出かけるつもりでした。あぶない、あぶない。 勉強会では、BB84という量子暗号の秘密キー共有プロトコルの話をしました。質疑、いろいろ盛り上がったのですが、理解の早い人いるもんですね。優秀、優秀。 写真は、最近、都バスに投入された新型車両です。後ろの窓がないんです。今日の朝、乗ることが出来ました。早起きすると、いいことがあるのかな?

Androidの会パーティ

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今日は、京王プラザホテル 47階で、Androidの会の協賛会員向けのパーティーでスピーチ。見晴らしがいいところです。 「新しい時代とIT技術の未来」 時間はLTよりは長いけど講演というには短い15分。 (僕、長い話しかできないわけではありません。念のため。) 恒例のじゃんけん大会、今年は、敗れました。残念。 写真を撮るのを忘れたので、 進藤 龍之介 さんの写真、借用しました。進藤さん、許して。