僕は「採血」が苦手だ。

僕は「採血」が苦手だ。
医者になっていたらきっと「採血」下手だったろうと思うが、幸いなことに医者ではないので、人に迷惑をかけたことはない。僕は、「採血」されるのが苦手なのだ。
時々、病院に行くのだが、第一関門の「検査室」では、20人近くが並列に採血されていく。こんなに採血する人がいるのに、僕は、一度も「うまい」ひとに当たったことはない。
僕の場合、一回では血が取れず、平均すると三回くらい針を刺されることになる。
この前、同じ病院で人間ドックを受けたのだが、3人が入れ替わりで僕の採血に「挑戦」して、普通5分もかからない採血に、40分以上時間がかかった。
悪いと思ったのか「主任」さんらしい人(採血に失敗した二人目の人)が、人間ドック最後までエスコートしてくれた。VIP待遇で後の検査は割り込みありで待つことなくスムーズでありがたかったのだが、それは、グループに分かれて流れ作業で進むはずの検査の流れが乱れたから、現場で調整が必要になったからだと思う。
人の顔の作りがみな違うように、僕の腕の血管の流れ方もちょっと違うようだ。顔にたとえれば、きっと、ピカソの絵のように、鼻の位置がずれて、ひん曲がった不恰好な顔をしているのだろう。(でも、それは、僕のせいではない。いや、やはり、僕のせいかな?)
今日は、一回で、採血が終わった。
今日の彼女は、違っていた。
針を浅く刺す。血管に当たるまで、注射針の根元まで深く刺す。それでもダメなら、針を抜かずに、針の向きを変えて同じことをする。この針で「まさぐる」のは、これまでも経験がある。ただ、二度ぐらい「まさぐる」とたいていの人は諦めて針を抜くのだが。
今日の彼女は、諦めない。そして、針を抜かない。なんども浅く深く向きを変えて「まさぐる」。
そりゃ、僕の血管がいくら変なところを通っているかもしれないけど、血管がないわけではないので、このやりかたなら、いつか血管に当たって、血が出ますよ。
検査室の人は、採血が終わると、みなが「お大事に」という。それは、たいていは、検査の対象の病気と病人に対する気遣いの慣用句なのだが、僕の場合は、検査へのお詫びになっている。そう言われてもねとも思うのだが。
世が世ならば、僕の血管配置の「ドラキュラ耐性遺伝子」ともいうべきものが、人類を救うのだと思うことにする。ドラキュラ現れないかな。

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