認識能力の二つの飛躍

我々が、重ね合わせやもつれ合い(エンタングルメント)といった、ミクロな量子の世界で起きる奇妙な振る舞いを「奇妙」と感じるのには、理由がある。
それは、我々人間を含む全ての動物の、感覚器官も脳も、その知覚と認識の能力も、目の前の、絶えず変化し運動している現実の認識の為に進化して来たからである。
チーターがジグザグに逃げるガゼルを追いかける時、鷹が上空から地上のウサギを狙って急降下する時、カメレオンが長い舌を伸ばしてハエを捕まえる時、もちろん、我々の祖先が弓矢で獲物を狙う時、我々は対象との距離・対象の移動の速度から、次の瞬間の対象の位置を予測する。
動物の知覚・運動のシステムは、こうした物理計算を瞬時に実行し、その計算結果で、自らの運動を自動的にコントロールするように進化して来た。この知覚・運動能力に組み込まれた、コンピュータが我々の外界・物理世界の認識の枠組みを決める。それは、古典的な力学の世界に、適応している。
いや、逆に、長い進化を経て、我々に組み込まれた、知覚・運動コンピュータが、自らが適応してきた、古典的な力学を「発見」したと考えた方がいいのかもしれない。
いずれにしても、我々に組み込まれた知覚・運動コンピュータにとって、ミクロな量子の世界は、想定外の対象なのである。
だから、人間の脳を、いくら精緻に分析し、シミュレートしたとしても、そのままでは、ミクロな量子力学的な世界の認識には至らないだろうと、僕は考えている。(同様に、超マクロな「宇宙」の認識も、我々の知覚・運動組み込みコンピュータの、そのままの能力の「外挿」では、うまくいかないはずだ。)
それでは、超ミクロな量子の世界(あるいは、超マクロな時空)の認識には何が必要なのだろうか?
一つは、我々の「感覚能力」を拡大することだ。
今回のノーベル賞の対象となった「重力波の検出(レーザー干渉計)」も「cryo電子顕微鏡」も、こうした我々の感覚能力の拡大と考えることができる。CERNの加速器は、ミクロな世界への我々の「感覚器官」なのだ。
ただ、それだけでは足りないのだ。
新しい世界の認識には、数学の助けが不可欠だ。
(ニュートン力学の成立と微積分の成立は、同じものだ。アインシュタインの重力理論に先行したのは、リーマン幾何学だ。)
数学的な認識能力を、ある種の新しい感覚能力と考えることもできるのだが、僕は、それは、言語能力の新しい拡大だと考えている。
人間の認識の発展を振り返ると、大きな飛躍が二つあることに気づく。
ひとつは、言語能力の獲得と、それによる認識の飛躍的発展であり、もう一つは、数学的認識をベースにした「科学的認識」の成立である。
科学的認識は、我々の外界に対する働きかけの手段としての(ある意味、運動能力の拡大としての)「技術」の基礎となる。
ただ、言語能力にせよ、数学的・科学的認識能力にせよ、その力を機械に移すことに、我々は成功していない。むしろ、現代の人工知能技術が、もっとも攻めあぐねている領域が、この二つの領域なのである。


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