結婚記念日




結婚してから大分たつのだが、一度も結婚記念日を祝ったことがない。
「もう四十年かな? 金婚式が五十年なら、もうじき銀婚式かな? 銀婚式ぐらいお祝いしようかな」と思って、調べたら、銀婚式は結婚二十五周年だという。(誰が決めたんだ)その上、僕が勝手に銀婚式だと思っていた結婚四十周年は、二年前に、何事もなく通過していた。
でも、今日3月29日が、僕らの結婚記念日だったようだ。
ちょうど大学の卒業式の日だった。自分の結婚式と自分の卒業式がぶつかっていたら、だれでも自分の結婚式の方を選ぶと思う。そういうわけで僕は大学の卒業式には出ていない。(わざとぶつけたのだが。ついでに言えば、入学式にも僕はでていないのだ。)
僕は、結婚して、長いこと学生をやっていたその大学を離れて、別の大学の大学院に進学することに決めていた。ある意味、僕の人生の大きな転換点が、この日だった。もっとも、大学ではろくに勉強していなかったので、この時点では、大学院の試験を受けることを決めただけだったのだが。
友人たちが、僕らの結婚を祝ってくれた。招待状も結婚式も手作りの質素なものだった。
招待状の僕からの友人への結婚メッセージには、次の詩句が引用されていた。
"je suis rendu au sol, avec un devoir à chercher, et la réalité rugueuse à étreindre ! Paysan ! "
「土にかえる。百姓だ! 探し求めるべき義務と、抱きしめるべき荒々しい現実を胸にいだいて。」
どこの世界からかえってきたのか知らないが、結婚や大学院を、「百姓」よばわりするのは、いかがなものだろう?
なにより、僕は結婚の「探し求めるべき義務」を果たしていなかった。「抱きしめるべき荒々しい現実」については、彼女の働きに、もっぱら依存していた。(両親にも、随分、たすけてもらったのだが。)
この状態は、今思えば恥ずかしくなるほど長く続いた。能天気に僕は、それを当時興味を持っていた Super String Theory をもじって、「超ひも理論」と呼んでいた。悪人である。
そういうわけで、僕は、彼女との結婚に、大いに感謝している。そういえば、彼女にも両親にも、ろくに感謝したことがなかったような気がする。いけないことだ。後悔先に立たずなのだが。
僕からの結婚指輪のプレゼントもなかった。
彼女、昔、友人から、旦那から貰ったというダイヤやあれこれの宝石の自慢をされてうんざりしたらしい。「私のアクセサリーは、主人だけで十分」。
言われた友人には意味不明(あるいは、「なに、この貧乏人」とおもったかな)だったかもしれないが、その話を聞いて、僕は、とても嬉しかった。
来年は、是非、二人で結婚記念日を祝おうと思っている。

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