《「ないことを考える」という点において、科学とフィクションは似ているそうです》

8/1 丸山 x 山賀対談「科学と虚構の未来を語る」の司会をお願いした、角川アスキー総研の 遠藤 諭 さんからの推薦文です。

《「ないことを考える」という点において、科学とフィクションは似ているそうです》

 『UNIX MAGAZINE』の「クラウドコンピューティング」を解説した原稿が、私にとって丸山不二夫さんの文章を読んだはじめだと思います。

 たぶん、クラウドコンピューティングって「遠くにあるコンピューターを使うことでしょ」くらいにしか考えていない人は多い。私もそうで、せいぜい「ネットワーク上のコンピューター資源がサービスインフラとして提供されるものである」などともっともしい説明をするくらいが関の山でした。ところが、丸山さんの記事は海外論文を読み、「クラウドコンピューティング」を可能たらしめる理論や技術についての解説だったのでした。

 その頃に最も注目される動きだったのに、誰もきちんとみんなが読める形では説明していなかった。そのことに驚いたし、「これを書いた人はとても役に立つ」(失礼!)と思ったのでした。なおかつ、話を聞く人にそのことの理解を助けるためのなにかを印象づける仕掛けが、丸山さんのお話にはある。

 7月某日、今回の対談のために神楽坂で丸山さんと山賀博之さんの事前打ち合わせというのが行われました。このお二人なので、科学とフィクションというところを起点にどんどん話がすすみます。

 その中で「惑星」の話が出てきました。地動説時代の我々は、地球を含めて惑星は太陽のまわりをコンパスで描いたような綺麗な軌道にお行儀よく回っていると思い描いていると思います。ところが、月や太陽と異なり、地球から見た惑星は、行ったり来たりループを描いたりと複雑な動きをするわけです。そこで、丸山さんは、

「だから惑う(まどう)星で惑星なんですね」

とポツリとタネ明かし的なことを言う(ご存じの方もおられるでしょうが、プラネット=ギリシャ語のさまようものが語源だそうです)。これ「信じる」ということについてのお話で出てきたのですが、これによって、ビジュアルイメージになる。しかも、我々の頭上にずっとあったのに誰も真面目に見てくれないから「惑星」という名前の由来も忘れられていたという余韻を残す声の調子なので、少しばかり詩情が漂う。

 このあたりが、丸山不二夫式の真骨頂で、母方の叔父さん(?)がプロレタリア作家の小林多喜二だというのもうなづけるものがあろうかというものだ。

 クラウドコンピューティングは、まさにそうだったのですが「まだ学校で教えていないこと」、あるいは「書籍にもなっていないような新ジャンル」にミーハーに飛びつき、その本質まで手を伸ばしたものを我々に物語のように語ってくれる。

 そんな、とてもコンテンツ性のある丸山さんが、ガイナックス山賀博之社長と親しくされてきたというのは驚く話ではないかもしれません。

 そして、神楽坂では「ないことを考える」という点において、科学とフィクションは似ているというようなことが私のメモには残されています。私は、山賀さんとは初対面だったのですが、科学と虚構の未来、まさにこのお二人にピッタリのテーマです。

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