Ex Libris

FacebookのLibraが話題だが、「Libraから」"Ex Libris"という題名の映画を見た。(これ嘘。libris は、ラテン語 liber の複数奪格。Libraはラテン語ではない。)「ニューヨーク公共図書館」という映画だ。

僕は、ほとんど紙の本を読まない。当然、図書館とは無縁の生活を送っている。ネットがあれば、紙の本も図書館もいらないと思っているのだ。ただ、この映画は、そういう僕にも、本当にそれでいいのかを、改めて考えさせるきっかけになったように思う。

この映画のメッセージは、「ネットの時代、複雑な現代に、図書館は変わろうとしている」というものだと思うが、そういう動き、図書館の具体的な取り組みを、僕は知らなかった。それは、「公共」性を旗印にした、とても魅力的なものだった。

映画冒頭、「利己的遺伝子」のドーキンスの市民向けの講座が出てくる。奇矯な人だと思い込んでいたが、とてもまともな人だった。ダーウィンの進化論を否定する「創造論教育」を批判し、「無宗教者」の権利について語っていた。それはそれで、アメリカでは「過激」な主張なのかもしれないが。

「過激」といえば、かつて パンク/ニューウェーブの旗手の一人だった エルビス・コステロも市民に向けて語っている。やはり歌手だったお父さんの映像を司会者と一緒に見ていた。なんとなく セックス・ピストルズとコステロの、その後の歩んだ道の違いがわかったように感じた。「敵だから認知症で死んでしまえとは思わないが、サッチャーがイギリスにしたことは許せない。」まだ元気である。(コステロ、今月、日本に来るんだ。)

パティ・スミスが、ジャン・ジュネについて語っている。ジャン・ジュネは XXX-Tentacionと同じく「犯罪者にして芸術家」という類型に属するのだが、そうしたアーティストへの「共感」が語られる。文学講座では、僕の好きなガルシア・マルケスの作品が取り上げられていた。

最近のアメリカを見ていて、なんだかなと感じていたのだが、そうした印象は表面的だったのかもしれない。

アメリカは、イギリスからの植民地独立戦争と奴隷制解放の内戦である南北戦争という自身が経験した二つの戦争の意味を、市民レベルで、いまでも、問い続けている。そのことは、この映画で示されている、かつての黒人奴隷の子孫であるアフリカ系アメリカ人に対する、この図書館の一貫した暖かい眼差しと様々な取り組みををみればよくわかる。

小さなことだが、南北戦争当時の論争について、個人的に興味を持った。言われてみればその通りなのだが「奴隷制は維持すべき」と主張する「理論家」がいたということ。歴史的には決着がついている論争だと思っているので、あまり興味はなかったのだが。

ナチスは、ユダヤ人を地上から「抹殺」すべきだという「理論」を作り出し、多くの人がそれを信じた。南北戦争当時、黒人奴隷はこの世に「生かし続ける」べきだという「理論」があったのだ。南部主義者はそれを信じた。グロテスクな「理論」だが、調べてみようと思う。

アメリカの民主主義は奥が深い。また、アメリカ社会の知的・文化的ポテンシャルは高い。ちょっと、負けた気分になった。

Libraもいいのだが、Ex Librisも、おすすめである。


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