安藤昌益




安藤昌益は、秋田の大館で生まれ大館で死んだ江戸中期の思想家である。世界史的には、カントより20年ぐらい先の人。
彼女の母の七回忌で訪れた、彼女の実家近くの二井田温泉寺に彼の墓がある。ちなみに、安藤昌益を再発見した、狩野亨吉の生家は、僕の実家のすぐ近くにある。
狩野亨吉は、34歳の若さで一高の校長となる。夏目漱石の友人で、『吾輩は猫である』に登場する「苦沙弥先生」のモデルと言われている。
安藤昌益と狩野亨吉は、(ついでにいえば、僕も)同郷なのである。
安藤昌益は、封建的な身分制度とその思想的主柱だった儒教道徳を否定した、近世日本がうんだ稀有な革命思想家である。
中平土の人倫は十穀盛りに耕し出し、山里の人倫は薪材を取りて之を平土に出し、海浜の人倫は諸魚を取りて之を平土に出し、薪材十穀諸魚之を易へて山里にも薪材十穀諸魚之を食し之を家作し、海浜の人倫も家作り穀食し魚菜し、平土の人も相同うして平土に過余も無く、海浜に過不足無く、彼(かしこ)に富も無く此に貧も無く、此に上も無く彼に下も無く…上無ければ下を攻め取る奢欲も無く、下無ければ上に諂ひ巧むことも無し、故に恨み争ふこと無し、故に乱軍の出ることも無き也。上無ければ法を立て下を刑罰することも無く、下無ければ上の法を犯して上の刑を受くるといふ患いも無く、…五常五倫四民等の利己の教無ければ、聖賢愚不肖の隔も無く、下民の慮外を刑(とが)めて其の頭を叩く士(さむらい)無く、考不孝の教無ければ父母に諂ひ親を悪み親を殺す者も無し
「上がなければ下もない」「下がなければ上もない」という考えは、ヘーゲルの「主人と奴隷」の弁証法と同じものだ。目指すのは、ジョン・レノンの「イマジン」の世界に近いものだ。
安藤昌益以外にも、江戸後期の「国学者」の平田篤胤、佐藤信淵も秋田の出身である。明治期の著名な東洋学者内藤湖南も隣町出身である。
彼らの学者としての波乱万丈の人生を振り返ると(といっても、Wikipedia程度の知識しか僕にはないのだが)、現在のアカデミアのキャリアパスは全く異なるものであることがわかる。
逆に言えば、確固に見えるかもしれない現在のアカデミアのヒエラルキーも、たかだか100年少しの歴史しか持っていないのだと思う。それは、グローバルに見ても同じことだ。
ただ、時代とイデオロギーを超えて、優れた「学者」の人生には魅力的なものがあると思う。

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