複雑性理論と人工知能技術 (1) はじめに

「複雑性理論」というのは、「計算」の「複雑さ」を階層的に整理しようとする数学の一分野である。
僕は、この複雑性理論が、人工知能技術の可能性を考える上で、もっとも基本的な手段を提供してくれると考えている。
こうした立場は、「感情」や「意識」や「意味」等々の様々なやっかいな問題を、当面は括弧に入れて保留して、人間の「知能」の本質を「計算」として抽象しようとするものである。人によっては、「なんと乱暴な」と思うかもしれない。
ただ、この抽象化によって、「機械」と「人間」は、等値される。「計算」を担うのが、タンパク質だろうがシリコンだろうが、していることは「同じ」であると考えるのである。
だから、この抽象のもとでは、機械ができることは人間にもできることになる。
「それじゃ、Googleの巨大なCPUパワーで出来ることも、人間が手計算で出来ることも同じだということ?」
そう。同じなのだ。原理的には、紙テープを1マスずつ読み書きするTuringマシンと同値だという意味では。(もっとも、その計算が「多項式時間」で出来るか否かは、重要なポイントになる。それについては、あとで述べる。)
さらに、この抽象のもとでは、人間ができることは機械でもできることになる。これは、人工知能技術の可能性を考える上では、とても強い主張になる。
「まるで、人間が機械みたいじゃないですか」
残念に思う人も多いかもしれないが、僕は、そうした考え方をしている。人工知能の可能性を考える上では、「我々自身を見よ!」という以上の強いメッセージを、僕は、思いつかない。
その上、「知能」に対する「計算主義的」なアプローチは、僕が関心を持っている、人間の「言語能力」や「数学的能力」の機械による実現とは、とても相性がいいのだ。ディープラーニングの認識論的な基礎である「コネクショニズム」は、こうしたパースペクティブを持ち得ないと僕は考えている。
ここまで読んでもらって、「計算主義」と「複雑性理論」、面白いかもしれないと思ってもらえると嬉しいのだが。
ただ、残念なお知らせがある。
「複雑性理論」、まだまだわからないことが山のようにある。有名なのは、「P vs NP」問題が、解けていないことである。
「複雑性理論」というのは、「計算」の「複雑さ」を階層的に整理しようとする数学の一分野」と冒頭で言ったのだが、研究の現状をまとめたサイトがここにある。
 "Complexity Zoo" https://goo.gl/eabDas
なんと、「複雑さ」のカテゴリーが、500以上ある!
複雑性は、複雑に、とっちらかったままである。
それは、「計算する知能」の構造が、予想以上に複雑だということを反映しているからである。我々は、我々自身のことをよく知らないのである。
そうした混沌とした「理論」に依拠できるのだろうか?
大丈夫。メインのストーリーは、明確である。ほとんどの数学者は、P ≠ NP だと信じていると思う。
空想的に「シンギュラリティ」を語るより、この「複雑さ」に向き合ったほうが、よほど「生産的」だと思う。

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