ランダムさの定義の難しさ

【ランダムさの定義の難しさ】

「ランダムさ」を数学的に定義することは、実は、難しいのです。

確率論でも量子力学でも、「ランダムさ」は、もっとも基本的な概念の一つです。基本的な概念が数学的にうまく定義できないというのは、なにか奇妙なことのように思えるかもしれませんが、そういうことは、厳密な学と思われる思われる数学でも、よく起きることです。

例えば、幾何学では、「点」・「直線」・「図形」といった、最も基本的な概念は、うまく数学的に定義されている訳ではありません。集合論でも、「要素」・「集合」・「ある集合がある要素を含む」といった基本的な概念も、ある意味、天下り的に与えられます。

重要なことは、一つには、我々がそれらの概念についてある種の「直観」を持っていることと、もう一つには、それらの基本的な概念を、厳密ではなくとも、他のものとの関係で説明することができることです。

事実、確率論でも統計学でも量子論の解釈でも、「ランダムさ」を数学的にうまくは定義できなくても、それらの学は発展することが出来ました。ただ、いつまでもそれでいい訳ではありません。

数学的な認識の発展は、数学的認識の基礎に対する新しい反省を可能にします。「ランダムさ」についても、新しい数学的なアプローチが発見されます。

今回は、まず、「ランダムさの定義」の「失敗」を振り返ろうと思います。

19世紀のラプラスは、「ランダムさ」を次のように考えました。

 「ある数列は、規則性をほとんど含まないなら、ランダムである。」

これは、「規則的」でないものでランダムさを特徴づけようとするものです。

確かに、「0が100個続く数列は規則的である。」これはいいです。ただ、3.14159....と続くπ の並びは、規則的でしょうか? あるいは、規則的でないものの例を、我々は具体的に示せるのでしょうか?

20世紀に入って、フォン・ミーゼスは、フォン・ミーゼスは、数列無限Sの「ランダムさ」の定義として、次の二つの条件を提案しました。

 ● Sの1項目からn項目までの部分列S_{1:n }での1の出現確率は、nが大きくなるにつれて一定の確率に近づく

 ● ある関数によって選ばれた任意のSの部分列についても、その部分列での1の出現確率は、nが大きくなるにつれて一定の確率に近づく

これは正しいでしょうか?

この「ランダムさ」の定義は、Sからその部分列S’を選ぶ関数に依存します。例えば、ミーゼスの二番目の条件で、Sの中の全ての0を返す関数を考えれば、この部分列は、最初の条件を満たしません。任意の関数が、「ランダムさ」の定義に使える訳ではないのです。

WardとChurchは、この関数に、(決定可能な)帰納的関数を使うことを提案します。

しかし、 J. Villeは、こうした “von Mises-Wald-Church random sequences“ は、すべての「ランダムさ」をカバー出来ないことを示しました。

これらの「ランダムさ」の定義は、失敗でした。

「ランダムさ」の数学的な定義の発見は、1960年代半ば以降に持ち越されることになります。この大きな飛躍を可能にしたのが、「コロモゴロフ複雑性」の発見でした。

ショートムービー「ランダムさの定義の難しさ」、お楽しみください。
https://youtu.be/J9wlxuClvlU?list=PLQIrJ0f9gMcOWKDmKxI3aJ6UYf6gaPa2K

スライドのpdfは、次からアクセスできます。
https://drive.google.com/file/d/1Fp2B7X-ySyb8FDLTjXaeCfG6bOHv-lRk/view?usp=sharing

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