10/29 マルレク「認識について考える」

【 10/29 マルレク 楽しい哲学「認識について考える」のお誘い】

今回のマルレクは、人間の認識について考えます。

まず、認識を情報の言葉で語ってみようと思います。

認識論には、西洋哲学ではプラトン、アリストテレス以来の長い歴史があるのですが、伝統的な哲学的認識論には「情報」という概念はありません。「情報」という概念は、新しいものです。

それが、科学・技術の世界で広く使われる画期となったのは、20世紀半ばのシャノンの「情報理論」の登場からです。シャノンは世界最大の電話会社だったAT&Tの設立したベル研究所の研究者でした。ほぼ同じ頃、フォン・ノイマンらが現代のコンピュータの基礎を築き、ワトソンとクリックが生命の情報過程を担うDNAの構造を解明し、チューリングは人工知能を構想します。情報の時代の幕開けです。

20世紀半ばの偉大な発見から半世紀が経過し、21世紀初頭には、GAFAに代表される新しい情報企業が、社会的・経済的に巨大な力を持つようになります。また、インターネットやスマートフォーンといった情報技術を、グローバルな規模で、誰もが利用するようになり、「情報」という言葉は、我々にとって身近な日常語になりました。

現代の我々の認識は、こうして構築され拡大を続ける新しい情報の世界と深く結びついています。情報の時代、人間の認識は、そのスタイルにおいてもその能力においても、大きく変わりつつあります。そのことは、個人的なプロセスとしてではなく社会的なプロセスとして認識を捉えた時、一層明確になります。情報のシステムは、本来、個人に閉じたものではなく、社会的なものだからです。「パンデミック」の「認識」(とそれへの対応)は、そうした例の一つだと思います

もっと基本的なレベルで、認識と情報は結びついています。認識されたものは「情報」として捉えることができるからです。同語反復的言い換えに思えるかもしれませんが、そうではありません。そこでは、次のような問いかけが可能となるからです。

「その情報はどのようにして生まれたのか?」「それは、どのように伝えられたのか?」「それは、どのように我々のものになったのか?」「それは、同一の情報なのか?」...

認識について考える際に、情報との関係以外にも重要なことが、他にもいくつかあります。

一つには、我々が「どのような認識を、既にもっているのか?」という問題です。ここでは、具体的な20世紀の飛躍的な自然認識の拡大の成果とともに、それが持つ認識論的意味を捉え返すことが重要になります。

誤解を恐れず単純化して言えば、量子論は、我々が日常目にする世界とは異なる法則に従うもう一つの世界が、より基本的なものとして存在することを明らかにし、相対論は、空間や時間に対する我々の直観が、そのままでは正しくないことを明らかにしました。

興味深いのは、見かけ上の奇妙さにかかわらず、これらの科学的発見は、半導体技術やGPS技術に応用され、我々は広くその成果を享受していることです。量子論と相対論の理解は、技術の世界でも、避けて通ることはできません。

もう一つ、特に科学的認識について考える上で重要な問題があります。それは、我々の認識能力の中で、数学が果たしている役割を、どう考えるのかという問題です。

情報の理論でも物理学でも、理論の展開に大きなな役割を果たしているのが、数学的アプローチだということは明らかです。物理理論の正しさが「実験」によって検証あるいは反証されるというのは、とても分かりやすいのですが、科学的理論の中での、数学的方法の意味を考えるのは、重要なことです。

ここでは、自然科学とは区別される数理科学の、数学と並ぶ大きな柱として、情報の科学が、成長しつつあることに注目が必要だと考えています。

セミナーでは、次のようなトピックを取り上げようと思っています。

 ● 情報と認識

 ● 自然認識の拡大

 ● 数学的認識

 ● 認識の認識

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