21世紀 数学的証明での「形式的証明」の拡大

【 数学者も証明を間違えることがあるということ 】

数学的知には、人間の認識によって獲得されたものとしては、独特の性質があります。

それは、いったん数学的に「真」であることが証明された定理は、時代が変わっても場所が変わっても、ずっと「真」のままであり続けることです。

そうして獲得された知は、個人というよりは人類の知として蓄積されていきます。それを数学的知の「累積性」といいます。

「フェルマーの定理」を証明したワイルズは、自分を「巨人の肩の上の小人」に喩えたのですが、それは彼の謙遜であると同時に、数学的知の体系が「累積的」であることを彼がはっきりと自覚していることを示しています。

それでは、 「数学的知の累積性」は、どのように保証されるのでしょうか?

ピタゴラスの「教団」は、いくつかの発見を「秘教」にしていたらしいのですが、ピタゴラスの定理を使うのに、我々はその「証明」を自分で繰り返し「再発見」する必要はありません。

もちろん、ピタゴラスの定理を使うたびに、ピタゴラスの遺産継承者に使用料を支払う必要もありません。

数学では、「数学的知の共有」は、数学という学問自体の前提と言っていいものです。

そういう意味では、コンピュータの世界でオープンソースのムーブメントが大きな影響力を獲得するはるか以前から、数学の世界はオープンソースの世界だったのです。

ただ、「情報の共有」が、「数学的知の累積性」を保証するとは限りません。「数学的知の累積性」にとって、一番重要なことは、その「数学的知」が数学的に正しいことです。

しかし、数学的正しさを証明する「数学的証明」は、現状では、いくつかの問題を抱えています。

一つには、数学者が正しいと思って提出した「証明」が、正しいものではない場合があるということです。

「フェルマーの定理」は、最終的には、1995年のAndrew Wilesの論文によって証明されたのですが、フェルマー自身は、この定理を証明出来たと信じていました。その「証明」は残っていませんが、それが誤った「証明」であったのは確かです。

Wiles自身も、95年の論文以前に一度、「フェルマーの定理を証明した」という発表を行うが、誤りが見つかり、それを撤回しています。

世紀の難問である「リーマン予想」は、何度か「証明」が発表されています。今までのところ、それらは誤った「証明」でした。

証明には、別のの問題もあります。

それは、その「証明」が正しいものであるか、第三者が判定するのが、難しいことがあるのです。

Grigory Perelmanは、2002年から2003年にかけて arXiv に投稿した論文で、「三次元のポアンカレ予想」を解いたと主張しました。

arXivは、学会の論文誌とは異なり、掲載の可否を決める査読が基本的にないので、発表の時点では、彼の論文以外に、彼の証明が正しいという裏付けはありませんでした。

彼の証明の検証は、複数の数学者のグループで取り組まれ、最終的に彼の証明の正しさが「検証」されたのは、2006年になってからのことでした。

そうしたやり取りの中、ペレルマンは数学の世界には「倫理性」が欠けていると断じ、フィールド賞のメダルの受け取りを拒否し、ClayのMillennium Prizeの100万ドルの賞金も受け取りませんでした。

証明には、こういう問題もあります。

「有限単純群の分類問題」は、Daniel Gorensteinをリーダーとする数学者の集団によって解決され、20世紀の数学の大きな成果の一つとされています。

ただ、その「証明」は、100人以上の数学者が、50年のあいだに数百の論文誌に発表した、膨大な量の「証明」の総和です。そのページ数は一万ページを超えると言われています。

「証明の全部を読んでる数学者は、1人もいない。」というのがジョークが群論の研究者の間にはあるといいます。それがジョークなのか本当なのか、僕には分からないのですが。

「間違った証明」「正しいのに、誰もそれが正しいとわからない証明」「誰も、全部は読んでいない証明」こうした問題を、現状の証明は抱えています。

この中で一番深刻な問題は、数学者が間違った証明を与えることがあるという問題だと思います。

21世紀になって、数学の世界でコンピュータを利用した「形式的証明」が拡大した背景には、こうした問題があるのです。

セッションの後半では、21世紀の代表的な「形式証明」の事例を紹介しています。

こうした流れで、一番重要なのは、数学者の証明の誤りの問題を、数学の基礎である累積性への脅威として真正面から捉えたのが、Voevodsky です。

彼の、全ての数学的証明は、コンピュータ上の「形式的証明」の形をとるべきだという、Univalent Foundationの取り組みについては、次回のセッションで取り上げます。




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「 21世紀  数学的証明での「形式的証明」の拡大 」を公開しました。
https://youtu.be/HP1CivTrwzE?list=PLQIrJ0f9gMcMMwP2zBgMe3LbaDnKGG_zw

資料pdf
https://drive.google.com/file/d/15Gpj02g1SqH2OW4DLnnstjx40pbTRnOp/view?usp=sharing

blog:「数学者も証明を間違えることがあるということ 」
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