HarlowとHaydenの議論

近年のブラックホール論の転換点になったのは、AMPSパラドックスに全く新しい切り口を与えた、HarlowとHaydenの議論だった。
 Harlow & Hayden
 "Quantum Computation vs. Firewalls"
 https://arxiv.org/pdf/1301.4504.pdf
AMSパラドックスというのは、先のマルレク「エントロピーと情報理論」https://crash.academy/class/156 でも簡単に紹介したのだが、「ファイアーウォール・パラドックス」とも言われる、次のようなパラドックスだ。
アリスが、ブラックホールから「ホーキング輻射」で放出された粒子Rを捕まえる。この粒子は、ブラックホールの内部の粒子Bと「エンタングルメント」の状態にあるはずである。
次に、アリスは、この粒子Rを抱えたまま、ブラックホールに飛び込む。ブラックホールが蒸発するというのは、ブラックホール内の粒子とエンタングルした粒子が地平から飛び出すこと(内部から飛び出すわけではない)なので、いつか、RまたはBとエンタングルした粒子が地平から飛び出すことになる。
ところが、RとBは、すでにエンタングルの状態にある。第三の粒子とのエンタングルメントは、エンタングルメントは、二つのもののあいだの関係であるというmonogamy(一夫一婦制)の原則に反する。
だから、こうした矛盾を防ぐためには、ブラックホールに落下したものは、地平に達した瞬間に、すべてエネルギーに転化して燃え尽きればいい。ブラックホールの内側には何もなく、全てを燃えつくすファイアーウォールで囲まれていると考えればいい。
ただ、こうした考えは、ブラックホールへの落下は、「自由落下」と同じで、地平を通過するときには何も起きないはずだという、相対論の想定と矛盾する。
だから、量子論でも相対論でも、ブラックホールでは矛盾が起きる。というのが、AMPSパラドックスである。
(一夫一婦制とかいわず、一夫多妻でも一妻多夫でも認めれば、丸く収まると思うのだが。あっ、これは、冗談。)
AMPSパラドックスに対するHarlowとHaydenのアプローチは、次のようなもの。面白い。
ブラックホールに落下するアリスの最初の仕事は、ホーキング輻射の結果生まれた粒子を集めること。彼らは、捕獲したRがブラックホール内部のBとエンタングルメントの状態にあることを判定する量子コンピュータを構成してみせた。
同時に、この量子コンピュータによる計算には、事実上、実行不可能な時間がかかることを示したのだ。ブラックホールに落下しているアリスは、ブラックホールから放出される粒子の情報を「解読」することはできないのだ。
ブラックホールの内部の情報が外部から観測できないことは、半古典的には、情報を伝える光子すら、ブラックホールの重力によってブラックホールの外には脱出できないことで説明されてきた。
ただ、それだけではないのだ。ブラックホールから放射されるホーキング輻射の粒子Rの情報(それは、ブラックホール内部の粒子Bとエンタングルしている)を、我々は、どんな計算アルゴリズムを使っても、解読できないということ。
アーロンソンは、このことを、「ブラックホールの内部は、計算複雑性の鎧で守られている」と表現している。なかなかいい言葉だ。こうした視点は、ブラックホール研究の新しい地平を切り開いた。
これまでは、量子コンピュータは、量子力学の基礎の比較的単純な応用問題でしかなかったのだが、今は違う。物理学のもっとも深い問題に、量子情報理論が応用されているのだ。

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