巨人の肩の上の小人

【 巨人の肩の上の小人 】

「フェルマーの定理」を証明したワイルズは、自分を「巨人の肩の上の小人」に喩えました。それは自分の仕事は先人たちの偉大な業績の上に成り立っているという謙遜なのですが、同時に、そのことは彼が数学という知の特徴をはっきりと自覚していることを表しています。

数学的知には、人間の認識によって獲得されたものとしては、独特の性質があります。それは、いったん数学的に「真」であることが証明された定理は、時代が変わっても場所が変わっても、ずっと「真」のままであり続けることです。それを数学的真の「普遍性」とか「不変性」ということがあります。

そうして獲得された知は、個人というよりは人類の知として蓄積されていきます。それを数学的知の「累積性」といいます。

先に、数学者がコンピュータによる形式的証明を受容する動きが広がっている理由をいくつか見てきたのですが、最後にあげた

 「数学者は、しばしば「間違った証明」する」

というのが、結局は一番大きな理由になるだろうと僕は考えています。

偽である命題からはどんな命題も導くことができます。「間違った証明」も、誰もそうと気づかなければ、それを利用して導かれる真である保証のない「証明」も共に「蓄積」していきます。

それは、がっしりして盤石であると思われた「巨人」の足腰が、徐々に蝕まれて行くことを意味します。病んだ巨人の肩の上では、小人たち(僕らのことです)は、自由に遊ぶことはできません。

ただ、数学者も一般の人も、あまりそのことを深刻に考えていないようにも見えます。

 「専門性の高い数学者が証明を誤ることは、ほとんどない。」
 「数学者だって人間だもの、誤ることだってある。」

数学者の誤りの問題を、数学の基礎である累積性への脅威として捉えたのは、Voevodsky が始めてだったと思います。彼は、数学の形式的証明の必要性を強く訴えます。


【 「 数学的知の「累積性」」を公開しました 】

https://youtu.be/9NIcuPvrDj0?list=PLQIrJ0f9gMcPP8LOejaQQlYufAMEQbcdg

スライドのpdfは、次からアクセスできます。
https://drive.google.com/file/d/1-79tELOCp2Cpmo-pTIAwg7U7ow4X8LTS/view?usp=sharing

このトピックのまとめページは、こちらです。ほぼ毎日更新されると思います。https://www.marulabo.net/docs/math-proof/

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