「ユニバーサル」という言葉

【「ユニバーサル」 】

「ユニバーサル」という言葉、カタカナ日本語になっているのかも。

「ユニバーサル・デザイン」「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」(これは違うか)。ユニバース関連では、「ミス・ユニバース」が、かつては一番広く使われたかもしれない。

"universal" という外国語を日本語に訳す時、翻訳者は苦労したと思う。universal gravity は「万有引力」と訳された。この言葉は、今でも使われているが、universal が「万有」と訳されたことは、あまり記憶されていない。

Maria Popovaの "Universe in Verse -- 詩の中の宇宙" は、科学と芸術のコラボ・イベントだが、「宇宙(Uni-verse)の中の詩(Verse)」というビジョンに裏打ちされている。言葉遊びだが、それは深いものだと思う。(Meta-verse じゃ、こんな洒落たことはできないだろう。)

「グローバル」はいまでは立派な日本語だが、それは「地球規模」のという意味で、「ユニバーサル」には、大きさでは叶わない。(おいおい)

話は飛ぶが、数学のカテゴリー論では、「ユニバーサル」という性質は、とても重要な役割を果たす。

ある図形は、より単純な図形から構成されるのだが(これを「構成可能性」という)、こうした図形の構成が一意に可能なことを、この構成は「ユニバーサルな性質を持つ」という。カテゴリー論で基本的な limitやco-limit は「ユニバーサル」に構成されるのだ。

これは、すこし、分かりにくかったかもしれない。

ただ、「ユニバーサルな認識」というスコープで考えれば、もっと分かりやすい説明がある。

もしも、例えば僕が、宇宙のどこかの宇宙人とコミュニケートができて、やがていずれは共通の認識に到達できる時、それを「ユニバーサルな認識」と考えるのだ。

「やがていずれは」という留保がつくのは、僕があまりに愚かで相手の言うことが理解できないこと、あるいはその逆もありうるからだ。ただ、何世代かのギャップを越えれば、いずれは理解できる可能性はある。

こうしてみると、「ユニバーサルな認識」の存在を信ずるのは、宇宙規模で「理性」の遍在を信ずることに等しいことに気づく。

このところ、暗号技術を調べているのだが、暗号技術は「ユニバーサルな技術」か考えてみよう。

たぶん、コミュニケートする上で暗号の必要性を理解できない宇宙人は存在しそうだ。地球上の生物だって、DNA/RNA/タンパク質のエンコード・デコードのシステムは、ウィルスから僕ら人間まで、同じシステムを暗号なんか用いずに使っている。暗号は、きわめて「人間的な技術」だ。

「ユニバーサル」か「人間のみに固有」かの区別は、いろんなところで可能だと考えている。その上、その区別は、人間を知る上でも役に立つのだ。

どこにいるかもわからない宇宙人との通信なぞ妄想しないで、飲み会やネットで繋がる近所の宇宙人とコミュニケートしろと思われるかも。

ま、いいか。

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