コミュニティとしての大学・メディアとしての大学

明日、あるところで頼まれて大学問題で講演する。大学について考えたり語るのは久しぶりだ。いただいたお題は「クラウドサービスを積極活用した 大学の未来像 」というIT寄りのものだったのだが。

講演の準備で、この間、HarvardやStanfordやMIT等の大学サイトを調べていた。

日本と比較して、いろいろと考えさせられることがあった。特に、大学の情報発信の多様さと豊かさ、それを維持する情熱とそれを自発的に支える人の広がりに、息を呑んだ。これらの大学は、優れたコンテンツを持った、巨大なネットワーク・メディアを形成しているのだ。

大学の規模の問題ではない。多分、これらの大学より規模の大きな大学は、日本にはたくさんある。また、おそらく「広報予算」の大小の問題でもない。「広報・宣伝」の組み立て方が、全然違うのだと思う。

今日はちょっと忙しく、詳しいは展開できないので、すこし抽象的になるのだが、要点だけ、まとめてみようと思う。

キーワードは二つある。「コミュニティとしての大学」「メディアとしての大学」である。(「同窓会があります」とか「大学の広報・宣伝に、沢山お金をかけています」というのを念頭において読んでもらうといいのかも。)

(当たり前と思うかもしれないが、大学コミュニティの中にも社会は入り込んでいる。学生は、一時的に大学を通過するだけかもしれない。放っておけば、大学コミュニティのまとまる力は存外弱いのだ。)

・社会の中に、 大学という「コミュニティ」がある。

・社会の中でのこのコミュニティの中心的ミッションは、 「教育と研究」であり、その主人公は学生である。

・大学コミュニティへの帰属意識は、「我々は、こういうコミュニティなのだ」という自発的なものである。

・それを維持する上で、大学からの 「情報発信」は、不可欠な役割を果たす。

・大学は、社会の中で、メディアになり、コンテンツ・ホルダーになる。

・その不断の情報発信を支えているのは、コミュニティのメンバーの自発性である。

・メディアとしての大学にとって、大学の内外の区別は、大きな意味を持たない。むしろ、誰もがアクセスできるのは、大きな武器になる。

・こうした大学のあり方を、Social化・Global化したネットと、IT技術が可能としている。

=================
2014年11月20日  FBへの投稿


コメント

このブログの人気の投稿

マルレク・ネット「エントロピーと情報理論」公開しました。

初めにことばありき

宇宙の終わりと黒色矮星