coarse-graining (粗視化)と「情報の損失」

【 coarse-graining (粗視化)と「情報の損失」】

セミナーの準備を始めるまで、エントロピーのchain ルールを定式化したFaddeevを、ゲージ場のFaddeev–Popov ghostsのFaddeev だと勘違いしていた。エントロピーのFaddeevはDmitrii Faddeevで、ghostの方はLudvig Faddeevだった。

John Baezググり始めた頃、どうやっても彼の情報に辿り着かなかった。Googleが、勝手にそれは Joan Baezのことでしょうと検索の対象を変えてしまう。今は、検索がパーソナライズされてそんなことは無くなったが。Googleは僕の「好み」を知っているのだ。

僕の検索人生で一番難儀したのは、Facebookの「いいね」をカウントするシステムを調べていた時だ。そのシステムの名前がpumaであるという情報はなんとか手に入れたのだが、pumaでいくらググっても、かえってくるのはスポーツシューズの情報ばかり。

ただ、DmitriiだろうがLudvigだろうがFaddeevはFaddeevだし、JohnだろうがJoanだろうがBaezはBaezに違いはないと考えることもできる。

自分の無知や検索システムの無能さにやけになって、居直っているようにも思えるが、それだけではない。違いを捨象して同じものを見出すのは、認識にとって大事な機能だ。

それを助けているものの一つは、言語の機能である。「いいね」のシステムとスポーツシューズに共通するものはほとんどないのだが、ただ、同じ「名前」を持つことはありうるのだ。

もしも、こうした認識や言語の能力が、我々に与えられていなければ、我々は、無限の差異に圧倒されて、立ちすくむしかなくなるだろう。

大雑把に物事を捉えること、あるいは異なるものを抽象化して同一性を見出すこと、厳密にはこの二つは別のものだが、大雑把に言えば(おいおい)同じものだ。そうした大雑把な把握を、coarse graining(粗視化)という。そこで我々がおこなっていることは、元々の情報をバッサリと捨てることである。

ボルツマンは、ミクロな無数の分子の位置や運動量の情報全てから出発する。ただ、そうした相空間で部分的な平衡状態が生まれれば coarse graining を繰り返す。そこでは、個々の分子が持っていた情報は失われる。そうして、いつか系全体が平衡状態に達するというアプローチでエントロピー概念を再構築した。

エントロピーを、あらためて「情報の損失」として捉えようとするバエズたちのアプローチは、とても自然なもののように見える。

ショートムービー:
https://youtu.be/G2tehpuzZlk?list=PLQIrJ0f9gMcO_b7tZmh80ZE1T4QqAqL-A

ショートムービーのpdf:
https://drive.google.com/file/d/1VsVsIMBGkh4X-QXaNJtBqqdqiZzxRe0K/view?usp=sharing

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