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あけまして、おめでとうございます。

あけまして、おめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 そのうち、僕は、あたまもおめでたい人になるのでしょうね。 その時は、よろしくお願いします。 浅知恵で、そうなる前にと考えて、昨年はやることを変えました。やりたいことをやれるうちに、できることをできるうちにやるのが、一番いいと思ったからです。残っている時間は自分ではわかりませんからね。それは若い人も一緒なのですが。 それまで何年かディープラーニング技術にフォーカスしていたのですが、関心を、量子情報理論・言語理論・数学の基礎の三つに切り替えました。三つの関心には脈絡がないように見えますが、僕の中では繋がっています。人工知能への関心は、結局、我々自身 -- 人間 -- の認識能力への関心に他ならないと考えています。 この30年間、IT技術の「ちょっと先の未来」について語ってきました。くじ運だけは強いので、クラウドでもモバイルでもAIでも、短期の予想は外れたことはありません。ただ、これからは、いろんな機会にいろんな形で、もう少し長いスパンで、人間と科学の未来について語ることができればと思っています。 なんの根拠もないのですが、21世紀の科学は、産業革命を準備した「科学革命」以来の大きな変革期に入るだろうという「予感」が僕にはあります。僕は自分の「予感」を信じています。 僕は、人間は、様々な危機を乗り越えて進むことができるという「希望」を持っています。「失望」には理由が必要ですが(例えば、「GoogleやFacebookには失望した」というような場合)、希望を持つのに理由は必要ではありません。絶望だって希望の十分な理由になります。 もちろん、未来を作るのは、僕ら古い世代の仕事ではなく若い世代の仕事です。僕らは、いずれこの世からいなくなります。 といっても、悲しいことに、若くてもなくなる人はいます。 僕が一番注目していた数学者Voevodskyは、一昨年、9月に51才で突然なくなりました。 昨年3月、僕の6つ下の弟がなくなりました。 昨年6月、20才で殺されたXXXTentacionの"Skins"を、この冬休み聴きました。前作のアルバム "?" を、僕は毎日聴いて泣いていました(嘘かも)。やはり、死んじゃいけないんですね。