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「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」

「「歎異抄」に伝えられる親鸞の有名な言葉だ。

去年、母の一周忌の法要のお経(かな?)の中で、この言葉が耳に入り「あれ?」と思う。というのは、うちは法然の浄土宗で、親鸞の浄土真宗ではないからだ。

不思議と思って調べてみると、この言葉は、親鸞オリジナルなものではなく、もともとは、法然の言葉だったらしい。「浄土宗全書検索システム」(!)でみると、「法然上人伝記」にこの言葉が確かにある。https://goo.gl/u8jFbx 

先日、母の三周忌で、会食した住職に聞いて見た。僕と住職だけがタバコをすうので、会食の場所から追い出された二人の喫煙所での立ち話。

大正年間に発見された「法然上人伝記」の信ぴょう性には、いろいろ議論はあったのだが、現在では、浄土宗の法話で、この言葉を使うことは認められているとのこと。それについては、いつだったか(住職は日付を言ったのだが、僕は忘れてしまった)、浄土宗と浄土真宗の教学のトップが正式に会って、話はつけてあると。(もちっと、上品な言い方だったが)

「法然上人伝記」は、この教えは「口伝」だとして、後半では、間違った理解をしないようにと念を押している。親鸞は、法然の高弟だったので、師から「口伝」を受けたのだろう。大事な教えなのに、口伝でしか伝えられず、一般に広がることをさける。そういえば、蓮如は「歎異抄」を禁書にしたんだった。

同じような話が「カラマゾフの兄弟」の中にある。

魔女狩りの時代に、この世に再臨したキリストを、キリスト教会トップの「大審問官」が、彼をキリストと知りながら、捕まえて牢獄に放り込んで、民衆との接触を断つという話だ。「大審問官」は、おまえが今頃現れてもだれにもいいことはないと、さんざんキリスト(本人だ!)とその教えを罵倒するのだが .... 。

宗教もラジカルだが、芸術もラジカルだったんだな。

複雑性について(blogへのリンク)

Facebookで「複雑性理論と人工知能技術」という投稿を連続しているのですが(まだ、少し続きます)、自分でも探しにくくなっているので、丸山のblogにエントリーを転載して、そのリンクを集めて見ました。あわせて、関連する2017年1月の「複雑さについて」というエントリーのリンクもまとめて見ました。

このまとめ自体のパーマリンクは https://goo.gl/Uv5jgU です。多分、更新していくと思います。ご利用ください。

複雑性理論と人工知能技術 (2018年 8月のエントリー) 

複雑性理論と人工知能技術(1) はじめに   https://goo.gl/HDDWyK複雑性理論と人工知能技術(2) ゲーデル=チャーチ=チューリング  https://goo.gl/MjEiwh複雑性理論と人工知能技術(3) ナッシュとゲーデル  https://goo.gl/JJBTEK複雑性理論と人工知能技術(4) ファインマン https://goo.gl/9iPr7W複雑性理論と人工知能技術(5) ドイッチェ  https://goo.gl/K7RHNA

複雑さについて (2017年 1月のエントリー)

複雑さについて(1) AI「フレーム問題」  https://goo.gl/zZQWsA複雑さについて(2) Compositionality    https://goo.gl/HDWwF7複雑さについて(3) コルモゴロフの複雑性   https://goo.gl/GVUv9d複雑さについて(4) チャイティンの不完全性定理 https://goo.gl/ZKEbhy複雑さについて(5) チャイティンとゲーデル       https://goo.gl/6XfYgF複雑さについて(6) 複雑さと計算量の理論    https://goo.gl/h2RHjD複雑さについて(7) PとNP           https://goo.gl/CnM99m複雑さについて(8) 複雑さとエントロピー    https://goo.gl/TLdzWz

複雑性理論と人工知能技術(5) ドイッチェ

ファインマンの「量子コンピュータによる自然のシミュレーション」という刺激的な問題提起を受け、それを「計算可能性理論」の中心的な原理である「チャーチ=チューリングのテーゼ」との関連で整理しなおして「計算可能性」を再定式化したのは、ドイッチェである。

1985年の論文 "Quantum theory, the Church-Turing principle and the universal quantum computer" https://goo.gl/PVHGKa で、ドイッチェは、「チューリング・マシンのクラスの量子論的一般化である計算機械のクラス」=「万能量子コンピュータ」を構成して見せる。

彼は、「チャーチ=チューリングのテーゼ」を次のように捉える。

『「計算可能と自然に見なされる関数」は、全て、万能テューリング・マシンで計算可能である。.』

ただ、彼は、この「チャーチ=チューリングのテーゼ」の基礎には、暗黙の物理学的主張がある」という。これが、この論文の眼目である。

彼は、彼が構成して見せた「万能量子チューリング・マシン」=「万能計算機械」を用いて、「チャーチ=チューリングのテーゼ」を書き換える。

「この物理学的主張は、次のような物理学的原理として、明確に表現することが出来る。」

『有限な方法で実現可能な物理システムは、有限な手段によって操作される万能計算機械のモデルで完全にシミュレート可能である。』

これを、「チャーチ=チューリング=ドイッチェのテーゼ」という。

ドイッチェは、論文で、これらの原理が、次の熱力学の第三法則に似ていること注意を向けているのは、興味ふかい。

『どのような有限のプロセスも、有限な手段実現可能な物理システムのエントロピーあるいは温度をゼロにはできない。』

形式的・数学的で抽象的な「計算可能性」の原理だった「チャーチ=チューリングのテーゼ」は、ここに「チャーチ=チューリング=ドイッチェのテーゼ」として、実在的な過程としての「計算」の原理として「物理化」されることになる。

「計算可能性」の原理の「物理化」は、関連する諸科学に、一つのインパクトをもたらすことになる。なぜなら、それは、それまで別々の学問の対象だった「計算過程」「物理過程」「情報過程」(それぞれ、数学・物理学・コンピュータ科学が扱っていた)に対して、「…

複雑性理論と人工知能技術(4) ファインマン

「計算可能性」の理論として出発した「複雑性理論」が、質的な深化を果たすのは、1980年代になってからである。

大きな転回点になったのは、1982年のファインマンの論文 "Simulating Physics with Computers" https://goo.gl/ueVbdp である。

この論文は、複雑性理論の進化の重要な画期を与えるとともに、現在の量子コンピュータのアイデアの出発点ともなる重要な論文である。(同時に、現在の量子コンピュータ技術の到達点は、ある意味、この論文への「回帰」として特徴付けられるのは、興味ふかいことである。)

ファインマンは、次のように述べる。

「コンピューターが、正確に自然と同じように振る舞う、正確なシミュレーションが存在する可能性について話そうと思う。 」

「それが証明されて、そのコンピュータのタイプが先に説明したようなものであるなら、必然的に、有限の大きさの時空の中で起きる全てのものは、有限な数の論理的な操作で正確に分析可能でなければならないことになるだろう。」

「量子論的なシステムは、古典的な万能計算機で、確率論的にシミュレートされるだろうか?」

「 別の言い方をすれば、コンピューターは、量子論的なシステムが行うのと、同じ確率を与えるだろうか? コンピューターを今まで述べてきたような古典的なものだとすれば(前節で述べたような量子論的なものではないとすれば)、また法則はすべて変更されないままで、ごまかしもないとすれば、答えは明らかにノーである。」

「それは、新しいタイプのコンピューター、量子コンピューターで可能になるだろう。」

「 私が理解する限りでは、それは量子論的なシステムによって、量子コンピューターの要素によって、シミュレート出来るようになることは、いまや、明らかになった。それはチューリング・マシンではない。別のタイプのマシンである。」



安藤昌益

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安藤昌益は、秋田の大館で生まれ大館で死んだ江戸中期の思想家である。世界史的には、カントより20年ぐらい先の人。 彼女の母の七回忌で訪れた、彼女の実家近くの二井田温泉寺に彼の墓がある。ちなみに、安藤昌益を再発見した、狩野亨吉の生家は、僕の実家のすぐ近くにある。 狩野亨吉は、34歳の若さで一高の校長となる。夏目漱石の友人で、『吾輩は猫である』に登場する「苦沙弥先生」のモデルと言われている。 安藤昌益と狩野亨吉は、(ついでにいえば、僕も)同郷なのである。 安藤昌益は、封建的な身分制度とその思想的主柱だった儒教道徳を否定した、近世日本がうんだ稀有な革命思想家である。 中平土の人倫は十穀盛りに耕し出し、山里の人倫は薪材を取りて之を平土に出し、海浜の人倫は諸魚を取りて之を平土に出し、薪材十穀諸魚之を易へて山里にも薪材十穀諸魚之を食し之を家作し、海浜の人倫も家作り穀食し魚菜し、平土の人も相同うして平土に過余も無く、海浜に過不足無く、彼(かしこ)に富も無く此に貧も無く、此に上も無く彼に下も無く…上無ければ下を攻め取る奢欲も無く、下無ければ上に諂ひ巧むことも無し、故に恨み争ふこと無し、故に乱軍の出ることも無き也。上無ければ法を立て下を刑罰することも無く、下無ければ上の法を犯して上の刑を受くるといふ患いも無く、…五常五倫四民等の利己の教無ければ、聖賢愚不肖の隔も無く、下民の慮外を刑(とが)めて其の頭を叩く士(さむらい)無く、考不孝の教無ければ父母に諂ひ親を悪み親を殺す者も無し 「上がなければ下もない」「下がなければ上もない」という考えは、ヘーゲルの「主人と奴隷」の弁証法と同じものだ。目指すのは、ジョン・レノンの「イマジン」の世界に近いものだ。 安藤昌益以外にも、江戸後期の「国学者」の平田篤胤、佐藤信淵も秋田の出身である。明治期の著名な東洋学者内藤湖南も隣町出身である。 彼らの学者としての波乱万丈の人生を振り返ると(といっても、Wikipedia程度の知識しか僕にはないのだが)、現在のアカデミアのキャリアパスは全く異なるものであることがわかる。 逆に言えば、確固に見えるかもしれない現在のアカデミアのヒエラルキーも、たかだか100年少しの歴史しか持っていないのだと思う。それは、グローバルに見ても同じことだ。 ただ、時代とイデオロギーを超えて、優れた「学者」の人生には魅力的なものがあると…

ポッチャン便所

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義母の七回忌とお盆を迎えるので、彼女の実家の掃除に駆り出されているのだが、いつもより仕事が増えているのには訳がある。

この家のたたずまい、古民家然として、嫌いではないのだが、ひとつ困ったことがあった。便所が、汲み取り式のいわゆる「ポッチャン便所」なのである。(若い人には、分からないかもしれないが。一度、使ってみれば、なぜ、「ポッチャン」なのかは、すぐ、分かるはず。)

今年、お盆の直前まで、この便所を水洗トイレに改装する工事がはいっていて、家の中が、いつもよりちらかっていたのだ。

お盆と七回忌は当然として、「ポッチャン便所」撲滅は、それ以上の「大義」だったなと、工事が一段落した今思う。かり出されて当然なのかも。

古民家が好きな人は、「ポッチャン便所」も好きなのかしら?それでもいいのだが。

古い日本の家は、何も置かない、何もものがない時に、一番すっきり綺麗に見える。

でも、茶室で暮らせといわれたら、僕は、本も持たず、寝るスペースがあれば、寝ながら仕事すればいいので、全然困らないのだが、WiFiルータとMacとAndroidは持ち込むだろうな。

あと、やはり、隣にトイレが欲しい。





複雑性理論と人工知能技術(3) ナッシュとゲーデル

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1950年代に入ると、時代の先鋭な知性たちは、今日の複雑性理論の原型とも言える認識に到達し始める。

スコット・アーロンソンは、複雑性理論の到達点を概観した論文 "N = NP?"  https://goo.gl/TZUkgh の冒頭に、ジョン・ナッシュの 1955年のNSA(スノーデンがいた、あのSNAだ!)宛の手紙をあげている。かつては「機密文書」とされていて、いつかの時点で情報公開されたものらしい。

誰にも破れない暗号を作るためには、指数関数的な計算が必要な暗号を作ればいいことを述べている。また、そうすれば、それまでの職人技的な暗号破り(多分、チューリングやファインマンがしていたこと)は「過去」のものになると、明確に自覚している!

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 現時点での、私の一般的な予想は次のようなものです。:
ほとんどすべての十分に複雑なタイプの暗号化にとって、特に、鍵の異なる部分によって与えられた命令が、相互に複雑に相互作用して、それが暗号化の最終的な決定において影響を与えている場合、鍵の計算の平均的な長さは、鍵の長さ、すなわち、鍵の持つ情報の内容に関して、指数関数的に増加します。

 もし、この予想が正しいと仮定すれば、この一般的な予想の重要性を理解するのは容易です。それは、実際的には誰も破れない暗号を設計することを、極めて簡単に実行できることを意味します。暗号が洗練されたものになるにつれて、熟練したチームなどによる暗号破りのゲームは、「過去」のものになっていくはずです。

 この予想の性質は、たとえ特別な種類の暗号をとっても、私にはそれを証明できないようなものです。また、私は、それが証明されることも期待していません。」 -----------------
https://www.nsa.gov/news-features/declassified-documents/nash-letters/assets/files/nash_letters1.pdf

現文は、こちら。



僕は、ナッシュのNSAへの手紙は知らなかったのだが、有名なのは、1956年にゲーデルが、フォン・ノイマンに宛てた、次の手紙である。ゲーデルが、ほとんど完全に、問題の所在を把握していることがわかる。

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我々が、一階の述語論理の全て…

昔話 -- 誰も Coddを知らない

この前、この半年の講演のリンクをまとめたのだが、ある人から、「先生、こんなのも、まだネットにありましたよ」と言われた。  「UNIX データベース入門」https://goo.gl/1mJRaj 資料の日付は8月5日、24年前の今日であることに気づく。すっかり忘れていたのだが、懐かしい。 これは、僕が IT関係で初めて「出版」した「本」なのだ。(もっとも、後半は、グダグダで本の体をなしていないのだが) 類書がなかったこともあり、ネット越しだったが、当時は、とてもよく読まれた。一月に多い時には数十万のアクセスがあった。(ページビューだが) スマホでは、文字化けして読めない「序章」は、こう書いてあった。 ------------------
 本書は、急速に拡大しつつある新しいUNIXユーザーに、UNIXワークステーション上の リレーショナル・データベースを用いれば、本格的なビジネス・アプリケーション開発 が、UNIXワークステーション上で可能であることを示すことを一つの目的としている。  本書のもう一つの目的は、従来からのメインフレーム・ユーザーに対して、 コンピューターのビジネス・ユースの少なくない分野で、UNIXワークステーションが メインフレームに代わり得るしい可能性を持っていること示すことにある。 ・・・・
こうした新規ユーザーの大量参入、ハードウェア のコスト・パフォーマンスの飛躍的向上に基づく、処理の高度化の要求は、従来からの 生産性向上の要求に加えて、ソフト開発の現場に多くのことを求めている。 こうした課題に対する、現時点での有力な回答の一つは、UNIXワークステーションの ネットワーク上で、ビジネス・アプリケーションを開発することであり、こうした方向 には、次のようなメリットがあると我々は考えている。  第一。大規模で高性能で信頼性の高いシステムが、低コストで構築可能であること。 大型機のユーザーの中には、ワークステーション上のシステムに対して、信頼性の面で 危惧の念を持っている人が少なくないと思う。本書では、そうした疑念に出来る限り 答えようとした。  第二。メイン・フレーム上のシステムに対して、ユーザー・インターフェースが大幅 に改善されること。UNIXワークステーションの世界では、常識となったウィンドウ環境 が、初心者のオペレーターにとっても、画面…

複雑性理論と人工知能技術(2) チャーチ=チューリングのテーゼ

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複雑性理論は、もともとは、「計算とは何か?」「計算可能なものとは何か?」という問いから生まれたものである。この分野の代表的な成果は、ゲーデルの不完全性定理なのだが、それは、1930年だから、90年近く昔の話だ。
ただ、この不完全性定理は、確かに驚くべきものではあるのだが、ほとんど役に立たない定理である。
というのは、言い過ぎなのだが、この定理から、我々人間の(同時に、それは人工知能にとっての)認識能力の限界を議論するのは、あまりに、荒い議論であると僕は考えている。

一つには、不完全性定理による原理的な「限界」以外にも、形式的演繹による認識には、実質的には、様々な「限界」が存在しているからだ。我々の形式的認識の「限界」を構成しているのは、不完全性定理だけではないのだ。複雑性理論は、もっと精緻に、その「限界」を境界づけようとしている。

あと一つには、不完全性定理は、「証明不可能性」「形式的体系の無矛盾性」についてのショッキングな定理なのだが、いかなる計算、いかなる証明が「可能」であるかについては、あまり、多くのことを我々に教えてはくれないのだ。

歴史的に見ると、不完全性定理は、証明あるいは計算の性質についての探求の中で生まれた「最後の結論」ではないのだ。事実は、その逆である。1930年代に、この分野は、不完全性定理に強烈な刺激を受けて、「証明とは何か?」「計算とは何か?」という基本的な「問い」に突き進むことで発展する。

知的な展開としては、それに少し先行した、ハイゼンベルグやシュレジンガーやディラックといった若い天才たちが大活躍した量子力学の基礎付けの時代と比肩しうる、エキサイティングな「知的な黄金時代」だったと思う。(現代は、本当に、「イノベーティブ」なのかと、ふと思う。)

ゲーデル=エルブランの「帰納関数論」、チャーチの「ラムダ・カリキュラス」、チューリング=ポストの「チューリング・マシン」が続々と登場する。この時代の白眉は、これらの「計算可能性」についての見かけは全く異なるアプローチが(もちろん、それは、ゲーデルの結果を再現できるものだ)、次々と、「同値」であることが証明されていくことだ!

1940年代には、今日、「チャーチ=チューリングのテーゼ」と呼ばれる「計算可能性」についての認識は、確立されることになる。これが、「複雑性理論」の第一世代である。

【次につづく】

以下の議論は、…

複雑性理論と人工知能技術 (1) はじめに

「複雑性理論」というのは、「計算」の「複雑さ」を階層的に整理しようとする数学の一分野である。 僕は、この複雑性理論が、人工知能技術の可能性を考える上で、もっとも基本的な手段を提供してくれると考えている。 こうした立場は、「感情」や「意識」や「意味」等々の様々なやっかいな問題を、当面は括弧に入れて保留して、人間の「知能」の本質を「計算」として抽象しようとするものである。人によっては、「なんと乱暴な」と思うかもしれない。 ただ、この抽象化によって、「機械」と「人間」は、等値される。「計算」を担うのが、タンパク質だろうがシリコンだろうが、していることは「同じ」であると考えるのである。 だから、この抽象のもとでは、機械ができることは人間にもできることになる。 「それじゃ、Googleの巨大なCPUパワーで出来ることも、人間が手計算で出来ることも同じだということ?」 そう。同じなのだ。原理的には、紙テープを1マスずつ読み書きするTuringマシンと同値だという意味では。(もっとも、その計算が「多項式時間」で出来るか否かは、重要なポイントになる。それについては、あとで述べる。) さらに、この抽象のもとでは、人間ができることは機械でもできることになる。これは、人工知能技術の可能性を考える上では、とても強い主張になる。 「まるで、人間が機械みたいじゃないですか」 残念に思う人も多いかもしれないが、僕は、そうした考え方をしている。人工知能の可能性を考える上では、「我々自身を見よ!」という以上の強いメッセージを、僕は、思いつかない。 その上、「知能」に対する「計算主義的」なアプローチは、僕が関心を持っている、人間の「言語能力」や「数学的能力」の機械による実現とは、とても相性がいいのだ。ディープラーニングの認識論的な基礎である「コネクショニズム」は、こうしたパースペクティブを持ち得ないと僕は考えている。 ここまで読んでもらって、「計算主義」と「複雑性理論」、面白いかもしれないと思ってもらえると嬉しいのだが。 ただ、残念なお知らせがある。 「複雑性理論」、まだまだわからないことが山のようにある。有名なのは、「P vs NP」問題が、解けていないことである。 「複雑性理論」というのは、「計算」の「複雑さ」を階層的に整理しようとする数学の一分野」と冒頭で言ったのだが、研究の現状をまとめたサ…

8/27 マルレク「自然言語とコンピュータ概論」のお知らせ

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次回マルレクは、8月27日 19:00から、富士通さんで開催です。テーマは、「自然言語とコンピュータ概論」です。告知・申し込みページは、来週公開予定です。少し、お待ちください。  --------------------------------------------
 「自然言語とコンピュータ概論」 講演概要
 -------------------------------------------- 自由に言語を操る人間の能力を機械で実現することは、人工知能研究にとって、大きな目標の一つです。おそらくそれは、人工知能研究の「究極」の目標になるだろうと僕は考えています。他の動物にはない人間の「知能」の核心部分を構成しているのは、人間の言語能力に他ならないと考えているからです。 ここ数年で、この分野では大きな前進がありました。Googleのニューラル機械翻訳やAlexa等の音声インターフェースを備えたパーソナル・アシスタント・システムの登場は、画期的なものです。今回のレクチャーでは、「自然言語とコンピュータ」をテーマに、この分野の取り組みを概観したいと思います。コンピュータによる自然言語処理に興味を持つ人だけではなく、広く人工知能技術の現在の到達点に関心を持つ人にも、有益な情報を提供したいと考えています。ご期待ください。 第一部では、ディープラーニング技術からのこの分野のアプローチを紹介します。ここでの目覚ましい成果は、ディープラーニング技術の機械翻訳への応用です。また、「文章題」で小学生程度の「推論」能力を機械に持たせようという、bAbi(「ベイビー」と読むようです)データセットをめぐるGoogle, Facebookの取り組みについても紹介しようと思います。 第二部では、Amazon Echo, Google Home等の、パーソナル・ボイス・アシスタントの取り組みの現状を紹介します。正確にいうと、この両者は、言語について多少異なるアプローチをとっているのですが、第一部で取り上げるディープラーニングに基づいたアプローチとは、明確に異なる技術に基づいていることには注意が必要です。同時に、両者ともに、Schema.orgの提供するEntity モデルに依存しています。 第三部では、「文法」に基づいてコンピュータで「文」を生成しようという取り組みを紹介します。主要には、言…

「幸福論」

Googleのラリー・ページが、人間の幸福について、面白いことを言っている。 「私は人間が有り余るほどの時間の中でゆっくりと暮らすべきだと思います。 人々のニーズを満たすために、誰しもが己を捨ててまで忙しく働かなければいけない、という考え方は間違っています。 問題なのは、人々がそういったことを間違いであると認識できていないところにあるんです。また、人間は何もすることがなくなったら幸せじゃなくなってしまうと思っていることも問題です。」 僕は、この考えは正しいと思う。本当にそうなればいいと思う。 ただし、正しいと思うのは「半分」だけかな。 納得できない「半分」は、「誰しもが己を捨ててまで忙しく働かなければいけない」というのは、「間違った」「考え方」のせいではなく、「現実」のせいだと思うから。 「人々がそういったことを間違いであると認識できていない」のも、「認識」の問題ではなく、「現実」に追い立てられているからだと思う。 世界で何番目かの大金持ちに、「ゆっくり暮らすべきだ」と「説教」されてもなと、貧乏人の僕は思う。 サモアに上陸した宣教師の、こんな「説教」のジョークがある。 宣教師: 自分を見てみたまえ! いつも、こんな風に寝そべったままで。君は、無駄に人生を過ごしているだけだ。 サモア人: なんでだね? どうすればいいと思うのかね? 宣教師: いいかね。ここにはどこにでもたくさんのココナツがある。どうしてその果肉を干して売ろうとしないんだ? サモア人: ふーん。なんでわしがそんなことしたいと思わなきゃいけないんだ? 宣教師: たくさんお金が稼げる。稼いだお金で乾燥用の機械も買える。果肉を早く乾燥できれば、もっとお金が入ってくる。 サモア人: ふーん。なんでわしがそんなことしたいと思わなきゃいけないんだ? 宣教師: 金持ちになれるんだよ。島も買える。もっと樹を植えて、商売を拡げることもできる。そうなれば、君は体を動かして働かなくてもよくなる。そうしたことを君の代わりにやってくれる労働者をたくさん雇えばいいんだ。 サモア人: ふーん。なんでわしがそんなことしたいと思わなきゃいけないんだ? 宣教師: いいかね。ココナツの実と島と機械と労働者とお金があれば、仕事をやめて大金持ちになれるんだ。そうなれば、何もしなくてもよくなる。一日中、ビーチで寝そべっていられるんだよ。 .

日程変更のお知らせ

台風の影響で中止した「紙と鉛筆で学ぶ量子情報理論基礎演習 I」ですが、8/19(日)に日程を変更して開催することになりました。まずは、お知らせまで。 10月のマルレクのテーマに、「量子ディープラーニング」「量子リコメンデーション」等の「量子最適化」のトピックを取り上げようと思っています。その準備を兼ねて、9月には、複数回「基礎演習 I」を開催できればと考えています。 この「紙と鉛筆で学ぶ」のシリーズですが、次のような展開を考えています。  量子情報理論基礎演習 I 
  「ketのレシピ」
 量子情報理論基礎演習 II 
  「密度行列ρとエンタングルメント」
 量子情報理論基礎演習 III
  「量子アルゴリズム」
 量子情報理論基礎演習 IV
  「量子コンピューティングとハミルトニアン」

「彼女は、10代から老成していた。」

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「彼女は、10代から老成していた。」 

7月23日は、エイミー・ワインハウスが27歳で亡くなった日だ。先の言葉は、映画「エイミー」で誰かが言っていた言葉。

 叶わぬ恋、壊れた恋を歌った歌は、たくさんある。 例えば、エイミー23歳のこの歌。"Love is a losing game" https://goo.gl/iygwJ7 僕は、この歌が好きだ。

 同じく23歳のボブ・ディランが作った ""Boots of Spanish Leather" https://goo.gl/KsifyT 僕には、ディランの詩が、「頭でっかち」にみえる。 エイミーに、座布団たくさんあげたくなる。

 晩年の42歳のビリー・ホリディーが歌う "Fine and Mellow" https://goo.gl/dKScvD ビリー・ホリディーの歌う世界は、エイミーと通ずるところがあるのだが、若いエイミー、全然負けていない。むしろ、洗練されていて深い。(ビリー・ホリディーのバックバンド、うまい!)

 ボブ・ディランは、のちに、こんな歌詞をリフレインする曲を作る。

   Ah, but I was so much older then
   I'm younger than that now 

  ただ、あの頃の僕は、まるで老人だった。
    今、僕は、あの時より若い。

 "My Back Pages" https://goo.gl/72hgna すごいメンバーでこの歌を歌うのを聴くと、能天気に見える。

 「彼女は、10代から老成していた。」

 それでいいじゃないか。

これから量子情報理論を学ぶ人に

これから量子情報理論を学ぼうとする人に勧めたいテキスト・ビデオ講義をまとめて見た。

サスキンドの量子論入門テキスト。Kindle版は、852円で安い。

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 QUANTUM MECHANICS The Theoretical Minimum   LEONARD SUSSKIND and ART FRIEDMAN https://goo.gl/AQHdHw
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Susskindのビデオ講座は、ここからたどれる。https://goo.gl/ZUScUw ここの20番以降の 20-28: Quantum Entanglements part 1 29-36: Quantum Entanglements part 2-3 を見るのがいい。Part Iは、先の本と重なっている。
僕は、「サスキンドから物理習いました」といえるくらい、このビデオ講義には、お世話になった。
 --------------------------  Quantum Mechanics and Quantum Computation
 Umesh Vazirani 
 BerkeleyX on edX | CS-191 Aug. 2013 
https://goo.gl/5aCUHu
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edXでの公開が終了しているが、Youtubeには残っている。
僕の「紙と鉛筆で学ぶ量子情報理論基礎演習」は、彼の講義のスタイルに影響を受けたものだ。

このビデオ講義の元になったバークレーでの2012年のレクチャー・ノートは、次のページからダウンロードできる。http://www-inst.eecs.berkeley.edu/~cs191/sp12/  2016年の講義のドラフトは、https://people.eecs.berkeley.edu/~vazirani/f16quantum.html にある。

でも、先にビデオ講義を見るのがいい。


 --------------------------  Quantum Computing since Democritus  Scott Aaronson https://goo.gl/7FSxUC
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セミナー中止

今日の角川さんでのセミナー https://lab-kadokawa61.peatix.com/ ですが、東京では、台風の影響による非常に強い雨が予想されるということで、本日の開催は中止して延期することにしました。今後の予定は、後ほどお伝えします。 台風、直撃しないでくれと念じていたのですが、そのせいか、もっと悪いコースに進みそうで、自分勝手を反省しています。 台風の進路にあたっている方、お気をつけください。

人生百年時代と「Ubasute」

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karaoke, bonsai, origami のように、そのまま世界に通じる日本語は少なくない。 ひょんなことで、そのリストに、ubasute(姥捨)も加わっていることをみつけた。https://en.wikipedia.org/wiki/Ubasute ロシア語のwikiにも載っていた。https://goo.gl/8FacdG(僕は、ロシア語はできないのだが)このロシア語wikiに、「ウバステの話は、1922年に訪日したアルバート・アインシュタインに強い印象を与えました。」という記述があった。 面白そうなので「姥捨 アインシュタイン」でググってみたら、たくさん出てきた。一部では有名な話だったらしい。 「姥捨て山の話を聞いて、泣いた、アインシュタインの話」https://goo.gl/cUStfm
「アインシュタインが聞く」 https://goo.gl/YuTctB 日本語wikiによるとhttps://goo.gl/a3JX5R(履歴をみたら、アインシュタインのエピソードは、なぜか削除されていた)、姥捨伝説には「難題型」と「枝折り型」の二類型があるという。アインシュタインが感激したというのは、「枝折り型」。  ただ、僕が気に入ったのは、この二つの類型には含まれない、次のような話。ストレートなブラック・ジョークだ。 「年老いた親を捨てに行く際に子供も連れて行くが、担いできたもっこごと親を捨てようとする。すると、子供に「おっ父を捨てるときに使うから、もっこは持って帰ろう」と言われ」たという話。 「人生百年時代」というけど、百歳まで、働けるわけはない。

IT企業の勉強会 「量子アニーリング」

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昨日は、あるところの社内勉強会で「量子アニーリング」の話をする。きれいな夜景を撮ろうとしたら、きれいじゃない自分が写っていた。失敗。 「紙と鉛筆で学ぶ量子情報理論基礎演習 I」6時間コース、来週ので、再々演になるのだが、のべ通算で参加者 100名を超えそう。あゆみは亀のようだが、嬉しい。 でも「基礎演習 II」へ進みたいので、「基礎演習 I」の参加者をもっと増やしたいと思っている。どうしようか? https://lab-kadokawa61.peatix.com/

7月28日開催「紙と鉛筆で学ぶ量子情報理論基礎演習」の講義資料

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7月28日開催「紙と鉛筆で学ぶ量子情報理論基礎演習」の講義資料です。ご利用ください。https://goo.gl/4Yxntm セミナーへのお申し込みは、次のURLからお願いします。
https://lab-kadokawa61.peatix.com/ ------------------------
「はじめに」から
------------------------ 本演習は、量子ゲート型量子コンピュータの基礎を演習形式で学ぶことを目的としたシリーズの第一回目である。対象を、量子論を初めて学ぶ人として、高校生程度の数学的知識を前提に、基本的なベクトル・行列計算の入門演習を含んでいる。 量子ゲート型量子コンピュータの入門としては、基本的な量子アルゴリズムや量子通信手法の紹介、量子情報理論の入門としては密度行列や量子情報とエントロピーの紹介等、重要な部分が欠けているのだが、それらについては、シリーズの次回以降で取り上げたいと考えている。 また、ここで取り上げられている素材は、物理学的な量子論から見ると、大幅に簡略化されている。こうしたアプローチは、量子論の入門としては、むしろ望ましいことのように筆者は考えている。 こうした簡略化が可能なのは、物理学的量子論が、実在的な物質を対象とし、その運動法則の解明を目指すのに対して、少なくても、量子ゲートの理論は、量子論をそのフレームにしつつ、その対象が抽象的・形式的なものであるところが大きいと考えている。(現時点での量子コンピュータの実装レベルでの達成と、その理論的展望との間には、大きな乖離がある。) ただ、量子情報理論は、量子論から派生したそのサブセットでも、単なるその応用分野だというわけでもない。近年の物理学の大きな話題は、量子情報理論が、物理学そのものの基礎理論なのではないかという関心の高まりのように筆者は感じている。こうした関心が多くの人に共有されることを期待している。 準備期間が短かったので、いろいろ行き届かないところがあると思う。それについては、ご容赦されたい。 ------------------------
  目次
------------------------  ● 量子論の成立と発展
 ● 量子論と量子情報理論
 ● 補講:ベクトル・行列演算入門
 ● 重ね合わせの記述とket記法
 ● 観測とエルミート演算子
 ● 量子…

渥美さんと

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今日は、 渥美さん、加藤さん、 Kawasakiさんと会食。渥美さん、あい変わらずエネルギッシュ。僕も、いろいろ人に会おうと思う。 



とても暑いが、とても涼しい

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東京、とてもとても暑いのですが、北海道は今年は冷夏らしく、稚内の我が家では、まだ、時々暖房を入れています。 我が家は、石油がまだ安い時期に建てられたので、ボイラーでお湯を作って、温水ファンと床暖で部屋を温める集中暖房方式なんです。同じ石油でも、FFの石油ストーブの方が、ずっと経済的なんですが、床暖房は、快適なんですよ。 ところが、40年近く使っているもので、先月、大きなボイラーが故障し、新しいものに交換したばかりなのですが、今週に入って、寝室と居間の二部屋の床暖のパネルから、水が漏れ出しました。水害です。 こまったなあ。どうしよう。 といっても、今は、稚内も、寒いと言ってもまだ夏ですが、暖房のない稚内の冬は、冷房のない東京の夏より、多分、過酷です。暖房ないと、多分、死にます。 なんとか暖房は維持しないと。 東京、とてもとても暑いのですが、僕の懐は、とてもとても涼しくなりそうです。今年の暑さを乗り切れるくらい。
湯澤 一比古大型の放熱装置は壊れやすいんでしょうね。2 管理する いいね!  ·