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9月, 2018の投稿を表示しています

息子の息子

生後12日目の孫に、はじめて会う。まだまだちいちゃい。 パパになった息子が「かわいい。かわいい」というのが微笑ましい。「お前だって、可愛かったよ。」と思う。でも、言葉にすれば、「過去形」で嫌味を言っているようにもなるので困る。 「目が開いて、手を振り回して、指で握れる。一週間前にはできなかったことができるようになってる。」 そうだろ、そうだろ。まだ、ハイハイもできないのに「這えば立て、立てば歩めの親心」状態だ。僕らもそうだった。 僕と彼女は、「僕らは、これから、一週間前にはできたことが、できなくなるんだね。」と、ブラックなジョークで大笑いをする。 この子と話をしたいと思うのだが、もう少し、長生きしないといけないんだ。反抗期の君に、君のパパとママが、君が生まれたことどんなに喜んだか、伝えてあげる。 といっても、この子が多分見るだろう50年後の世界を、僕が見れないことは確かだ。また、それに責任を持つこともできない。 この子と世界の未来が、平和で豊かで、明るい希望に満ちたものになることを祈るばかりだ。

10月15日「楽しい数学 第三夜」を開催します

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「楽しい数学:第三夜」のテーマは、「計算理論入門 --「やさしい計算」と「むずかしい計算」」です。 わかりやすい「計算理論」の入門にしたいと思っています。有名なゲーデルの不完全性定理と、これもまた有名なチューリング・マシンの話をします。あと、あまり有名ではないゲーデルの完全性定理の話をします。 お申し込みは、mathnight3.peatix.comからお願いします。 時間があれば、「計算可能性の理論」から「複雑性の理論」への進化を紹介したいと思っています。参加者には、関連資料として、先日角川さんで行われた「人工知能を科学する」第一回の講演資料「人工知能と複雑性理論」を提供します。 冒頭に、次のような「思考実験」の課題をあげています。興味があれば、自分の頭で考えてみてください。 思考実験1:二桁の数どうしの計算について、小学校で習った足し算・引き算・掛け算の計算の仕方を、すべて「文章」で記述してみよう。それぞれ、400字以内にまとめられるか? 思考実験2:「二分の一を三分の二で割る」を、「例え話」で説明せよ。 思考実験3:ある人が、「私の言うことはすべて嘘である」と言ったとしよう。この人のこの言葉は嘘だろうかか? 嘘ではないだろうか? 「楽しい数学」、引き続き、よろしくお願いします。

「防弾少年団」国連で演説

いまや世界的なポップスターになった「防弾少年団」の国連での演説 https://goo.gl/vrr3vr を、アメリカのメディアが大きく報道している。 いいメッセージだ。 "Love Yourself" から、"Love Myself"へ。今度は、"Speak Yourself" ということかな。 「私たちは、世界中のファンから寄せられた素晴らしい物語に耳を傾けることからはじめました。私たちのメッセージが、いかに彼らが生きることの困難を乗り越え、自分自身を愛することを助けたか。これらの物語は、いつも私たちに私たちの責任を思い起こさせました。」 「だから、みなでさらに次のステップに進みましょう。私たちは、もう、自分自身を愛することを学んでいます。今、私はあなたに "自分自身を語ろう"と、強く呼びかけます。」 「あなたの物語を話してください。あなたの声を聞きたいし、あなたの信念を聞きたいと思います。あなたが誰であれ、どこの出身であろうと、肌の色や性別にかかわらず、自分のことを話してください。」 Lady GaGa の"Born This Way"もそうだった。XXX Tentacionも、よく聞けば、同じメッセージを若者に伝えようとしている。 自分を愛することができず、自分の思いを口にできない若者がたくさんいるということなんだが。

「人工知能を科学する」の第一回目「人工知能と複雑性理論」

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角川さんでの連続講座「人工知能を科学する」の第一回目「人工知能と複雑性理論」の様子です。3時間コースでした。長ければいいというわけではないのですが、MA(Merlin-Arthur)クラスの説明、もう少しきちんとできればよかったかなと思っています。 「人工知能を科学する」の第二回は、「人工知能と自然言語」で、10月26日の開催です。申し込みは、こちらから。
https://lab-kadokawa70.peatix.com/ セミナーが終わった後は、遠藤さんとMaruLaboメンバー4人で、中華を食べに行きました。

歯が抜けた

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歯を磨いていたら、歯が一本抜けました。 「髪は長い友達」というコピーありましたが、あれは半分嘘ですね。この「友達」は、結構な数、僕を裏切って去って行きました。その際、前頭葉の一部も持って行かれました。僕の毛根、ニューロンと一体化していたようです。 それなら、歯だって長い付き合いですよね。前歯だったので、相当長い付き合いです。なんの痛みもなく、安らかな最後だったのですが、見かけの小ささ以上に、舌先が感じる喪失感は、大きなものがあります。 長年の献身に敬意を表して、お葬式でも出さなくちゃと思ったら、彼が生まれた時、なんかしたような記憶がぼんやりと浮かびました。よくは覚えていないのですが。 こんな絵本がありました。「はがぬけたらどうするの?―せかいのこどもたちのはなし」https://goo.gl/7qvbVF 乳歯が生え変わる時に、抜けた歯に、いろいろおまじないの儀式をする風習は、世界中に広がっているんですね。 絵本どうりにしようと思ったのですが、困りました。 屋根の上に投げるにしても、今住んでるビルの屋根は高くて、届きそうもありません。土に埋めるにしても、家の近くはコンクリートで土がありません。 当面、悲しみに耐えて静かに喪に服しますので、「かっこうが悪い」と本当のことを言ったり、「はやく歯医者に行けよ」と正しいことを言わないでもらうと嬉しいです。

Atiyah

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John Baezが、Atiyahの「リーマン予想解いたぞ」発表に、連続ツィートしていた。https://goo.gl/FhZrz4 「みんな御大に遠慮しているみたいだけど、僕が貧乏くじ引くよ。でも、アティヤのこと、僕は、とても尊敬してるんだけどね。」 アティヤ、87歳か。ある意味で、すごいなと思う。よし、僕は、120歳でリーマン予想解くことにしよう。その歳になれば、大抵のことはきっとできると思う。

「人工知能と複雑性理論」:はじめに

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9/27 角川さんで開催の「人工知能と複雑性理論」の「はじめに」の部分できました。ご利用ください。
https://lab-kadokawa67.peatix.com/
---------------- 小論は、人口知能研究の今後の発展の方向を、数学的・物理学的認識可能性の理論でもある「複雑性理論」の成立・発展を中軸にして考察したものである。 なぜ、数学的・物理学的認識が問題になるのか? もちろん、人工知能研究の基本的な問題は、「機械は考えることができるか?」という、チューリング以来の問題である。 「機械が考えること」の中に、感覚=運動的な認識能力だけでなく、言語的な認識や数学的認識を含めると問題は急に難しくなる。ただ、こうした問題を避けるわけにはいかないと、筆者は考えている。また、人工知能は、理論的な構成物としてではなく、物理的なものとして実装されねばならない。 人間と機械の数学的・物理的認識の限界を(筆者は、両者は同じ限界を持つと考えている)、知ることは、すなわち、人工知能の認識の限界を知ることに他ならない。 人工知能研究の現状からいうと、問題をかえって難しくしているだけと感じる人もいるかもしれない。ただ、「複雑性理論」を視野に入れると、未来についての見通しは、むしろ良くなると筆者は感じている。 「複雑性理論」の第一世代は、1950年代に定式化される「計算可能性理論」である。それは、数学的・形式的な抽象的なものでしかなかった。 「複雑性理論」の第二世代は、1970年代に始まる「計算複雑性理論」である。それは、コンピュータの爆発的普及に刺激を受け、コンピュータの能力を意識したものであったが、数学的・形式的なものであった。(もっとも、その基本問題である P=NP? 問題は、そうした性質を持ち続けている) 「複雑性理論」の第三世代は、1980年代の「理論的可能性」としての「量子コンピュータ」の登場とともに始まる。 この第三世代は、「複雑性理論」の発展としては、「量子複雑性理論」の成立として特徴付けられるのだが、その過程は、 「情報過程=物理過程」という認識によって支えられていた。 同時に、それは、「物理過程=情報過程」という認識の成熟でもあった。ブラックホールやエンタングルメントのエントロピーの発見、ブラックホールでの「情報消失」問題からホログラフィック原理の提唱、A…

Googleさんでの「紙と鉛筆で学ぶ量子コンピュータ入門」

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今日のGoogleさんでの「紙と鉛筆で学ぶ量子コンピュータ入門」と懇親会の様子です。 今回は 古川新君の「cirq入門」も追加して、8時間コース。こんな長いのは初めて。みなさん、お疲れ様でした。 こんな反応が。嬉しいです。by 松尾 美保 さん。 「大学の時はチンプンカンプンだったことがスッキリ理解出来た!
頭良くなった(๑•̀ㅁ•́๑)✧︎ ピロリロリン」  ピザとビールを提供していただいた Google さん、ありがとうございました。 横田 昌彦さん、ご苦労様でした。
このシリーズ、あとは、10/6のマイクロソフト会場を残すのみ!頑張ります。 来週は、こちらの講演があります。
「人工知能と複雑性理論」https://lab-kadokawa67.peatix.com/ きっと面白いですよ。

子供の記憶

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来週末には、今週生まれた、息子の息子を見に行こうと思っています。見るだけで話ができるわけではないのですが。 いつから子供は話ができるようになるんでしたっけ? それは無理だとしても、子供の記憶はいつ頃まで遡ることができるんでしょう? きっと彼には、初対面の記憶は残らないですね。 僕は、昔のこと、ほとんど覚えていないんです。ボケているからではなく、昔からです。生きていくにはいいスキルかもしれません。 ただ、ボケると、今のことはすぐに忘れるけど、昔の記憶は消えずに、頭の中の大部分はそればかりになると言う人もいます。 だとすると、僕は困ったことになります。今の記憶も無くなるだろうし、昔の記憶も、ほとんどないわけですので。頭、空っぽ。 まあ、いいか。 実は、僕、子供の頃、「生まれた時のこと、部屋の様子、覚えている。」と言っていたことがあるんです。まわりの大人から「変なこと言うんじゃない」と言われて、言わなくなりました。 僕の息子は、絵描きなのですが、3.11の東北の震災の後、「家族」をテーマにした絵を何枚か書きました。そのうちの一枚をみて、グッときたことがあります。 彼女が流産して、5歳ぐらいだった息子の手を引いて病院に見舞いに行ったことがあります。その時、僕は、空に巨大な白い日暈を見ました。(もっとも、その記憶も本当なのかも疑わしいのかも。) それ以降、そのことを、息子の前では話題にすることは、ありませんでした。 僕のところは、一人っ子の息子だけの三人家族なのですが、一人だけ横を向いている、小さい子が「家族」の絵に、描かれていました。 子供の記憶、おそるべし。

「複雑性理論」は「複雑系」の議論とは別のものです

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「複雑性理論」を、以前に少し流行したことのある「複雑系」の議論と同じものだろうと誤解されていることに、最近気づきました。当然ありうる誤解なのに、迂闊でした。 確かに、対象が「複雑さ」だと思えば、一部分は重なるところもあるのですが、「複雑性理論」と「複雑系」の議論は、まったく違うものです。 現在の「複雑性理論」の歴史をたどると、二つの起源にたどり着きます。 一つは、20世紀初頭からの数学の基礎付けをめぐる探求です。ヒルベルトの「有限の立場」にはじまり、ゲーデルの「不完全性定理」が衝撃を与え、「チャーチ=チューリングの提言」で「実効的な」「計算可能性」概念が、いったん定式化されるといった一連の流れです。 もう一つは、20世紀の中盤以降、コンピュータ技術が爆発的に発達する中で生まれた「計算量理論」「計算複雑性理論」です。そこでの最大の気づきは、「実際に」コンピュータで計算できるものを考えると、「多項式」で表現される計算時間と、「指数関数」で表現される計算時間とには、「質的」な違いがあるのではというものでした。(この計算複雑性理論の中心的な問題である「P=NP?問題」は、今に至るも解決されていません。) 二つの流れは、別々のものでした。 前者は、人間の数学的認識の原理的「限界」に関わるもので、後者はコンピュータによる計算の具体的「限界」に関わるものです。 ただ、人工知能をめぐる基本的な問題が、最終的には、人間の知能の機械による実現は可能かということであるなら、両者は結びつきます。なぜなら、人工知能は人間の数学的認識をも実現するものでなければならないし、それはまた、実際のコンピュータ上で実装されなければならないからです。 人間の知能の本質を、「計算」として捉える立場を、「計算主義」と言います。それは、現在のディープラーニング技術が、よって立つ、「コネクショニズム」とは異なる立場です。僕は、人工知能論では、この「計算主義」の立場に立っています。それは、コネクショニズムは、数学的認識に関しては、無力だと考えているからです。 現代の複雑性理論には、第三の起源があります。 理論史的には、それは、ファインマンによる「量子コンピュータ」の提唱にはじまるものです。 ただ、その背景には、とても重大な認識の発展があります。それは、全ての情報過程が物理的な過程によって支えられているという認識…

ジジイ

だいぶ前からジジィだったのですが、今日の朝方、息子夫婦に長男が生まれて、別の意味では、初めてジジィになりました。 北海道で出産という話もあったのですが、秋田で出産ということになり、その上、予定より出産が一週間近く遅れたので、台風・地震の直撃は避けられました。 でも、停電があっても、飛行機が飛ばなくても、スマホの充電ができなくても、ネットがつながらなくても、赤ちゃんは生まれて来ること出来るんですね。すごいなぁ。赤ちゃんと母親。

おーい。アレクサ!

「おーい。アレクサ!」 突然、Alexaが反応しなくなった。大声で言っても無視する。 bluetoothで音楽の再生は出来るので、マイクがイカレたのかと思う。でも、Echoを持ち上げて、耳元で「アレクサ!」と叫ぶと反応する。おいおい、耳が遠くなったのかい? アレクサ嬢はアレクサばあさんになったようだ。 困ったな。 再起動したり、電源抜いたり、再設定してり、いろいろやったら、耳は聞こえるようになったらしいが、今度は、黄色いリングが点滅して止まらなくなる。 これは「通知」があるというサインであることがググってわかった。でも、「通知は?」と聞いても、だんまりを決め込んで反応しない。なんどやってもダメ。 「通知をみんな消して」といったら、黄色いリングの点滅がやっと消えた。なんなんだよ。 会話の履歴を見ると、「この通知は、音声ファイルでないので、再生できません」云々とある。だったら、言ってよ。話して伝えてよ。耳だけじゃなく、喋るのも変になったのかしら。それに、再生できない通知、最初から、受け取るなよ。 今は、画面付きのEchoもあるから、動画の通知でも送られたのかしら? でも、これって嫌だな。アレクサが、突然、広告の動画を流したりすることあるんだろうか?(テレビでは当たり前なのだが) ただ、この間の騒動で、僕は、大失敗をしたことに気づいた。 アレクサばあさんの聴力を回復しようと必死になって、再設定みたいなことをしたのだが、その時、新しい「同意」を求められたのだが、中身をよく見ずに、同意してしまった。 それは、僕の携帯のコンタクトリストの情報を、定期的にアップロードするということの同意だった。 ひどいじゃないか。スマホのアプリなら、そんな条件のアプリ、絶対、インストールしないのだが。 すみません。僕の友達。 皆さんの電話番号・メールアドレスは、「耳が聞こえないふり」をしたアレクサばーさんの陰謀で(そうじゃないかもしれないけど)、アマゾン様に召し上げられることになりました。 また、悪さをしたら、姥捨山に埋めちゃうぞ。 と書いて、我に返った。僕も、ジジイだったなと。老人をいじめちゃいけないよね。明日は敬老の日だし。

IBMさんでの「紙と鉛筆で学ぶ量子コンピュータ入門」

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IBMさんでの「紙と鉛筆で学ぶ量子コンピュータ入門」の様子です。みなさん、最後まで熱心に計算していました。ご苦労様でした。高校生も参加していると聞き、嬉しかったです。懇親会も盛況でした。
三連戦(IBM, Google, Microsoft)の第一戦目、終了。来週22日は、Googleさんで開催です。

丸山の当面の講演予定

丸山の当面の講演予定です。  9/15「紙と鉛筆で学ぶ量子コンピュータ入門」@ IBM
 9/22「紙と鉛筆で学ぶ量子コンピュータ入門」@ Google
 9/27「人工知能と複雑性理論」@角川
 10/6「紙と鉛筆で学ぶ量子コンピュータ入門」@Microsoft
 10/15「楽しい数学 -- 計算理論入門」@DMM
 10/26「人工知能と自然言語」@角川
 11/2  マルレク「拡大する量子アルゴリズム」@Microsoft
 11/19「人工知能と量子コンピュータ」@角川
 12/14「人工知能と哲学」@角川 9月27日の角川さんでの連続ナイトセミナー「『人工知能』を科学する」の第一回のテーマは、「人工知能と複雑性理論」です。現在四回分の通しチケットを販売中です。

「人工知能」の「力」は誰のもの?

「人工知能」の「力」は誰のものかと考えることがある。 運動選手やアーティストの力は、素晴らしい。その力は、彼ら個人のものだ。 金足農業の吉田選手の力は、同じ秋田出身でも、運動音痴の僕とは無関係だ。僕が、いくらバンプの藤原(両親が秋田出身)が好きでも、親と同郷だからといって、僕の歌が上手くなるわけでもない。人間の感覚・運動能力は、個人に帰属する。 それでは、人間にはできない力を持つ機械、例えば重いものを押したり持ち上げるブルドーザーやクレーン、空を飛ぶ飛行機は、その力を自分のものだと思っているだろうか? もちろん、そんなことはない。これらの機械に「意識」はないのだから。 F1ドライバーは、自分の身体能力の「延長」として、自分のドライバーの力を感じているように思う。普通のドライバーも、スピードを楽しむ時、遠くに出かける時、我々は、我々の「力」が拡大していると感じているはずだ。 実際には、その「力」を可能にしているのは、機械の「力」なのだが。それは、無意識のうちには人間の「力」として意識される。(事故や故障で車が動かなくなったときに、我々の力でなかったことに気づく。)車のように、個人が所有できる機械の力は、個人のものである。 ただ、別の考えもある。フェラーリの車の力は、それを作ったフェラーリのものだし、iPhoneの力は、アップルのものでもある。技術的な製造物の力は、それを作った企業に帰属する。 北朝鮮のミサイルや核兵器の力は、金正恩の力である。(個人に戻っちゃった。)戦争する「力」は、たいていは、国家の能力である。 もっと面倒なものもある。電気・水道・ガスといった「社会的インフラ」の力だ。それが上手く機能しないと大変なことになるのを、最近、経験したばかりなのだが。 北海道の電気の力の「所有者」は、北海道電力なのかな? そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。 我々には身近な「インターネット」や「ネットワーク」についても、その力の淵源がどのあたりにあるのjか、また、その力は誰のものなのかを考えると、いろいろ面白い問題にぶつかる。 注意して欲しいのは、こうした議論に迷いこむのは、機械あるいは機械から構成されるシステムの「力」の概念が曖昧だというわけではないということだ。それらの「力」は、その「力」の欠如と対比すれば、誰の目にも、明らかだと思う。 すこし、考えてみ…

複雑性理論と人工知能技術(8) 中間まとめ

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「虫や魚には「理解」できないことがあるだろう」と多くの人は考える。ただ、人間にも「理解」できないことはある。

このことを、数学の世界で「数学的には、証明できない数学的命題がある」という形で、最初に定式化したのは、ゲーデルである。1930年代のはじめである。

我々の認識の可能性とその限界については、数学が一番鋭敏な感受性を持っていると思う。

「証明(計算)可能性」については、「計算可能というのは、帰納関数として定義されるものだと考えよう」というまとめがなされ、数学的には一段落する。これを、「チャーチ=チューリングのテーゼ」という。もっとも、この「テーゼ」自身は、まったく数学的命題ではないのだが。1950年代のことである。

一段落したといったが、もちろん、ゲーデルの不完全性定理は、「人間の認識の限界」について、山のような議論を巻き起こした。これらの有象無象の議論の中で、出色のものが一つあった。それは「機械は考えることができるか?」というチューリングの問題提起だったと僕は考えている。

数学的な命題であるゲーデルの定理を、いろいろ拡大解釈して人間の認識の限界と結びつけるのではなく、「機械だって、人間のように考えることができるんじゃないの?」と、機械の認識の可能性を対置したのだから。

この論文は、「人工知能」研究の扉を開くことになる。

残念ながら、こうした論点を深めることなく、チューリングは、世をはかなんで自殺してしまう。

「計算可能性理論」が、大きな転機を迎えるのは、1980年代に入ってからだ。

ファインマンが、コンピュータでは量子力学の法則に従う自然のシミュレートができないことに気づく。彼は、自然のシミュレートが可能なコンピュータは、量子力学の法則に従ったコンピュータでなければならないと主張する。

この指摘が、「量子コンピュータ」研究の始まりである。

数学的体系と同様に、自然もまた、我々の認識の対象である。数学だけでなく、物理学もまた、我々の認識の可能性と限界について、強い関心を持っているのだ。

ドイッチェは、ファインマンの考えを受けて、チューリングマシンの量子版を構成し、こうした量子チューリング・マシンで計算可能なものが計算可能であるとする。これを、計算可能性についての「チャーチ=チューリング=ドイッチェのテーゼ」という。

一見すると、同じような定式化に思えるのだが、…

人工知能を科学する

今から約70年前、「機械は考えることができるか?」と問いかける論文がでました。今日の人工知能研究の出発点と言っていいチューリングの論文です。

この論文には、とても印象的な一節があります。

「「機械は考える事が出来るか?」という、最初に掲げた間題が、今では議論にも値しない程無意味なものである事は私も認めよう。... しかし、それにもかかわらず、今世紀の終わりには人々の意見が大きく変化して、ついには、矛盾していると考えることなく『機械の恩考』について語ることができるようになるであろうと私は信じている。」

チューリングの予想は、70年の時を超えて、見事に的中しました。今では、「人工知能」「AI」という言葉を、メディアで聴かない日はないと言っていいくらいです。「人工知能」の可能性を信じるものの一人として、僕は、こうした変化を歓迎しています。

ただ、僕は、皆が一斉に、「矛盾していると考えることなく『機械の恩考』について語」っていることに、少し、疑問を持ち始めています。

チューリングの予想は的中したのですが、「人々の意見が大きく変化する」その仕方は、かつてのチューリングの先見的で勇気ある深い問題提起に応えるものではないと感じています。メディアをみる限り、残念ながら、それは表面的で、ある場合には科学的でさえありません。

今回、「『人工知能』を科学する」というタイトルで、「人工知能」には、多様な科学的なアプローチがあることを伝えたいと考えています。

次の四つのコンテンツを提供しようと思います。

第一話 「人工知能と複雑性理論」

「昆虫や魚には、「理解」できないことあるだろうな」と考えるのは、自然なことです。ただ、同じことが人間にも言えると思いますか? 多分、人間にも認識できないことがあるのです。

「複雑性理論」は、人間の認識の限界を正確に境界付けようという数学理論です。興味深いことは、それは人間だけの限界ではなく、機械の認識の限界でもあるということです。その意味で、「複雑性理論」は、「人工知能論」の最も基礎的な土台を提供する理論だと、僕は考えています。

第二話 「人工知能と自然言語」

人間・機械の認識能力に、たとえ、限界があったとしても、他の動物たちとは明らかに異なる、優れた認識能力を人間は持っています。それは、言葉をもちいて、その力で、世界を「意味の連関」として捉える言語能力で…

電気、復旧

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稚内の自宅、深夜に電気が復活しました! (稚内でも、今朝の時点でもまだ復旧していないところあるようですが) 「完全復旧には一週間かかる」という発表を聞いて、脳裏に浮かんだのは、携帯電話での、かつての悲しい経験でした。「全国人口カバー率98%」というので喜んでいたら、稚内、2%に入っていました。 きっと今回も、最後に回されるのでは心配していました。停電一週間は、きつい。今回は、逆に、むしろ、小さいところから、少しづつ復旧していったのかもしれません。 あるいは、稚内には風車が沢山あって、稚内市は、「稚内の必要電力の120%は、風車でまかなえる」と言っていましたので、それが効いたのかもしれません。https://goo.gl/WFsvHC ただ、今回の全道での停電の理由として挙げられていた、「需給バランスが、...」とか「周波数が ...」の意味がよくわかりませんでした。それが本当なら、復旧も相当に難しいはずです。 稚内には、あんなに風車があるのに、何百kmもはなれた発電所がダウンしたというので、稚内が停電する理由も、よくわかりませんでした。 コンピュータの世界には、大規模分散のシステム構築や、プログラミングの学習の場面で使われる Fail Fast という言葉があります。「早く失敗した方が、次に進むのに役に立つ」と言った意味です。今回のシステムダウンも、それだったのかもしれません。 ただ、Fail Fast, Fail Smart (早く、賢く失敗しなさい)という言葉もありますね。今回は、Fail Fastだったけど、Fail Smart ではなかったような気がします。 いろいろ、ご心配していただいて、ありがとうございます。
また、まだ停電中のみなさん、くれぐれもお気をつけてください。

山下 克司系統停電と言って需要と供給のバランスが崩れた時に起こる自衛的な停電だと言われていますね。