「複雑性理論」は「複雑系」の議論とは別のものです

「複雑性理論」を、以前に少し流行したことのある「複雑系」の議論と同じものだろうと誤解されていることに、最近気づきました。当然ありうる誤解なのに、迂闊でした。
確かに、対象が「複雑さ」だと思えば、一部分は重なるところもあるのですが、「複雑性理論」と「複雑系」の議論は、まったく違うものです。
現在の「複雑性理論」の歴史をたどると、二つの起源にたどり着きます。
一つは、20世紀初頭からの数学の基礎付けをめぐる探求です。ヒルベルトの「有限の立場」にはじまり、ゲーデルの「不完全性定理」が衝撃を与え、「チャーチ=チューリングの提言」で「実効的な」「計算可能性」概念が、いったん定式化されるといった一連の流れです。
もう一つは、20世紀の中盤以降、コンピュータ技術が爆発的に発達する中で生まれた「計算量理論」「計算複雑性理論」です。そこでの最大の気づきは、「実際に」コンピュータで計算できるものを考えると、「多項式」で表現される計算時間と、「指数関数」で表現される計算時間とには、「質的」な違いがあるのではというものでした。(この計算複雑性理論の中心的な問題である「P=NP?問題」は、今に至るも解決されていません。)
二つの流れは、別々のものでした。
前者は、人間の数学的認識の原理的「限界」に関わるもので、後者はコンピュータによる計算の具体的「限界」に関わるものです。
ただ、人工知能をめぐる基本的な問題が、最終的には、人間の知能の機械による実現は可能かということであるなら、両者は結びつきます。なぜなら、人工知能は人間の数学的認識をも実現するものでなければならないし、それはまた、実際のコンピュータ上で実装されなければならないからです。
人間の知能の本質を、「計算」として捉える立場を、「計算主義」と言います。それは、現在のディープラーニング技術が、よって立つ、「コネクショニズム」とは異なる立場です。僕は、人工知能論では、この「計算主義」の立場に立っています。それは、コネクショニズムは、数学的認識に関しては、無力だと考えているからです。
現代の複雑性理論には、第三の起源があります。
理論史的には、それは、ファインマンによる「量子コンピュータ」の提唱にはじまるものです。
ただ、その背景には、とても重大な認識の発展があります。それは、全ての情報過程が物理的な過程によって支えられているという認識です。
現代の複雑性理論は、もはや、数学的な「計算可能性理論」でも、コンピュータ・サイエンスの「計算複雑性理論」でもないのです。それは現代の物理学の中心理論に登り上がろうとしています。それは、物理学だけでなく、現代科学の基礎理論になろうとしています。(「複雑系」の話には、そんな理論的パワーはないと思います。)
もちろん、こうした変化は、人工知能論にとっても重要な含意を持っています。
9月27日、角川さんで「人工知能と複雑性理論」というセミナーを開催します。ビジネス書で「複雑性」の話聞いたことのある方も多いと思いますが、全然、それとは違う話です。
基本的には、チャーチ=チューリング・テーゼの拡大をメイン・ストーリーにしようと思っています。おそらく、ここでしか聞けない話ができると思っています。
興味のある方、是非、いらしてください。
https://lab-kadokawa67.peatix.com/
(複雑性理論の流れを図にしてみました。複雑性理論のアイコンがひどいことになっているのは、お許しください。)


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