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Voevodskyの証明をDeep Learningは追えない。あるいは、黒板とチョーク。

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30年近く、講義・講演はプロジェクターを使って来た。ビジュアルな情報があった方が、聴く方にもわかりやすいと思うし、話す方はデータが再利用できる。 でも、話せば伝わることとビジュアルな表現で伝えた方がいいこととの区別は、どこにあるのだろう?と考えたら、こんな例を思いついた。 図1は、先頃亡くなっらVoevodskyの証明の一部(だと思う) https://goo.gl/3y79Zb  から。これを、口でしゃべったら、絶対うまく伝わらない。 (ただ、この例は、すごいのだ。僕は、カテゴリー論をちょっとかじったことがあるので二次元のdiagramなら、少しは追えるのだが、Voevodsky は、三次元で証明組み立てている!) ただ、こうしたdiagramをプロジェクター用に、LaTexで組むのは大変なのだ。(もちろん、根性があればできるし、データは再利用できるのだが) 図2は、Deep LearningのKarpathyが、RNNを使って、Stacks Theoryの分厚い教科書を学習させて、数学論文の「モノマネ」をさせたもの。 https://goo.gl/FGtFGS  (グロタンディックをおちょくってるのかと思うけど、ま、面白いから許す。) それはさておき、左側は見事に数学論文のマネをしているのだが、右側の上の方を見て欲しい。明らかに、diagramをマネる事に失敗している。ざまあみろだ。 Voevodskyがすごいのは、図1のような証明を、コンピュータにやらせるシステムを作ろうとしていた事。それは、この図を冒頭に掲げた彼の論文 "The Origins and Motivations of Univalent Foundations"  https://goo.gl/3y79Zb を読めばわかる。 じゃ、Voevodskyは、論文やプロジェクターではなく、講義をする時には、どうしていたのだろう。 答えは、簡単である。 黒板にチョークで図を書いていたのである。 2011年ごろ、プリンストンの彼の講義のビデオをみて、ディジタル万歳の僕は、ちょっと軽いカルチャーショックを受けた。 でも、黒板とチョークの方が、合理的で効率的なのだ。間違っても、すぐ消せるし、すぐ直せる。横書き

IBM Q -- "The future is quantum"

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今日のIBM Researchのblogに、"The future is quantum" という投稿があった。 https://goo.gl/Z63mmz 現在開催中の、IEEEの "Rebooting Computing Industry Summit on the Future of Computing" でのIBMのVice President of AI and IBM Q であるDario Gil の報告の概要らしい。 僕が、面白いと思ったのは、次の二点。 ・IBM Qは、全米 1,500の大学と300の高校で使われているという。大学はともかく、300の高校はすごいなと思う。日本の高校物理では、量子論関係の話題は、全く教えられていない。 ・IBMは、50 qubitの量子コンピュータのプロトタイプを作り始めているというアナウンス。写真も出ている。49 qubitのマシンを目指すGoogleと、面白い競争が始まっている。 Qubit数の競争については、次のblogが参考になる。 "Quantum Computing: Breaking Through the 49 Qubit Simulation Barrier"  https://goo.gl/e2nHZn いくつかのシミュレータ試してみたのだが、IBM QのQISKitが一番いいように思う。Jupyter Notebooks上で、ちゃんと動く。 https://github.com/QISKit/qiskit-tutorial でも、一番いいのは、「紙と鉛筆」なんですよ。 --------------------- 【 11/30 マルレク「量子コンピュータとは何か?」】 http://peatix.com/event/322426/view 【 12/9 6時間集中講座「紙と鉛筆で学ぶ量子情報理論基礎演習」】 http://lab-kadokawa38.peatix.com/

人間は、善と悪との重ね合わせというモデルの失敗について

人間は善と悪との「重ね合わせ」だという前回の話は、人間の本性の複雑さを語るのには、ありうる喩えなのかもしれないが、量子の「重ね合わせ」の喩えとしては、実は、二つの点で失敗しているのだ。 一つには、複雑な善と悪との重ね合わせから情報を引き出す「簡単・粗野」な方法として、善か悪かの判断のみを下す「善悪測定器」を、便宜的に導入したのだが、これがマズイ。 複雑な量子の状態を「測定」した時に、我々は、その状態を複雑なまま見いだすことは出来ないのだ。量子が、善と悪との状態の重ね合わせだとしたら、測定によって我々が見いだすのは、必ず、善か悪か、どちらかの状態の量子を見いだす。 もしも、量子が、善悪二つの状態の重ね合わせではなく、もっと沢山の状態(例えば、100個の状態)の重ね合わせの場合でも、我々が「測定」で得られるのは、その中の、たった一つの状態である。 だから、量子の世界では、善か悪かの判断のみを下す「善悪測定器」は、決して「便宜的」なものではなく、これ以外の測定はできないという意味で、「原理的」な制約を表現しているのである。そのことが、先の喩えでは、うまく表現されていない。 量子の不思議さを、「重ね合わせ」の状態が不思議だと思っている人も多いのだが、それは違うと思う。 善と悪との重ね合わせの前回の例もそうだし、波だって、フーリエ変換だって、我々の日常に、たくさん「重ね合わせ」の現象は存在する。それは、ちっとも不思議なことではないし、表象するのも簡単である。 不思議なのは、「重ね合わせ」ではなく、量子に対する「測定」の方なのだ。それは、我々が「測定」に対してもつイメージとは、かけ離れている。量子力学の基礎の部分を構成しているのは、この不思議な「測定」の形式化・数式化なのである。(そして、それは、難しいものではない。今度の「紙と鉛筆」の演習に来て。) 二つ目の失敗も、実は、「測定」の扱いに関係している。 先の例では、丸山は、1,000回ほど「善悪測定器」にかけられ、その結果で、70% 悪人で、30% 善人 だと判定されるみたいな話をした。それが違うのである。 我々が「測定」で得られるのは、「重ね合わせ」を構成する複数の状態の中のたった一つの状態であると書いたのだが、それだけではないのだ。「測定」によって、量子の状態は、「測定」された一

MaruLaboの会議+懇親会

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善と悪の「重ね合わせ」

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人間の本性は、複雑なものである。 単純な善悪観に立てば、ある人間は善人か悪人のどちらかである。あるいは、もう少し正確を期して、ある人間は、善人と悪人の中間にあるという評価もできるかもしれない。 こうした評価は、善の反対が悪で、悪の反対が善であるということを前提として、同じ評価軸上に善と悪を並べることである。悪の程度が増えれば善が減り、善の程度が増えれば悪が減る。 こうした評価は、「善人・普通・悪人」という三段階評価であろうと、五段階評価であろうと、もっと精密に無数の連続した段階を設定(どう判定するのだろう?)しようと、同じ評価軸上に善と悪があることに、変わりがない。 (余計なことだが、世の中の「評価」というのは、たいがい、こうしたものである。) ただ、別の評価の仕方もある。 悪と善は、同じ直線上に反対の向きで存在しているのではなく、それぞれが独立した価値基準だと考えることである。人間を、悪と善との「重ね合わせ」として考えるのだ。 大きな悪と大きな善が共存する人もいる。悪は少ないのだが、それ以上に善が少ない人もいる。 「善人なおもて往生す、いわんや悪人おや」 (なんちゃって) 次のエッシャーの絵には、天使と悪魔が同じ数だけ、同じ面積を占めるように書かれている。天使と悪魔が出現する確率は、50%で等しい。(等確率というのはエントロピー最大の状態で、そこから得られる情報は、実は、何もないということである) 善悪の「重ね合わせ」の複雑な状態から、どうやったら情報を引き出せるだろうか? 一つ簡単な(というか、今までの展開のトーンと比べると、むしろ粗野な)方法がある。 ある状況で、ある人の行為に基づいて、その人の善悪を判定することを考える。この時、善か悪かの判断のみを下す。判断するのは、その場に居合わせた人でもいいし、全てを見ている「神」でもいいのだが、客観的に判定する機械があると考えてもいい。ここでは、機械が判定するとしよう。 こうした判定を、繰り返し繰り返し行なえば、独立な基準と想定した善と悪について、統計的なデータが得られる。例えば、過去 1,000回の丸山の振る舞いについて、悪という判定が700回、善という判定が300回行われれば、丸山は、70%悪で、30%善ということができる。(やはり、悪人だっ

紙と鉛筆で学ぶ量子情報理論基礎

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ディジタルの世界は、白黒のはっきりした 0か1かの世界だ。0か1かの値をとる情報の単位をbitということは、今では、たいていの人が知っている。 Facebookで友達と情報を交換する時でも、Youtubeで動画を見る時でも、コンピュータが見えないところで、一生懸命、無数の 0か1かのbitを処理している。 現在のスマホに載っているコンピュータは驚くほど小さく、一秒間にスマホが処理するbitの数は、驚くほど大きい。現在のディジタルの世界の技術は、ハードウェアでもソフトウェアでも、驚異的なものだ。 有用な量子コンピュータが実現されたとしても(少し、時間がかかりそうなのだが)、現在のコンピュータ技術が役割を失うことはない。 量子コンピュータの文脈では、現在のコンピュータを「古典的 Classic」と呼ぶ。時代を築いた最大の功労者であり、あぶらの乗り切った現代の覇者に対して、なんと失礼な。(まあまあ、怒らないで。若者には、年寄りは、そう見えるのだから。) そこでは、古典的なbitに対して、量子bit=qubitが、中心的な役割を果たす。qubitの性質を知ることが、量子コンピュータ理解の鍵になる。qubitは、一見すると奇妙に見えるが、その振る舞いを理解することは、難しくはない。 今度、自分で、教えてみようと思っている。イノベーションには、知的好奇心は、大事だと思うのだが。 http://lab-kadokawa38.peatix.com/ いいね! いいね! 超いいね! うけるね

丸山の量子情報関連のイベントのお知らせ

丸山の量子情報関連のイベントのお知らせが二つあります。 【 11/30 マルレク「量子コンピュータとは何か?」】 【 12/9 6時間集中講座「紙と鉛筆で学ぶ量子情報理論基礎演習」】 以下、その開催概要です。 --------------------------------------------- 【 11/30 マルレク「量子コンピュータとは何か?」】 ---------------------------------------------  日時: 11月30日 19:00 - 21:00  場所: 日本IBM 箱崎本社  会費: 1,000円(個人協賛会員無料)  告知ページ: http://peatix.com/event/322426/view  個人協賛会員の先行申し込みは、11月16日からです。 <講演概要> 量子コンピュータへの関心が高まっています。 ただ、それがどういう原理に基づいて動作し、また、それがどのような可能性を持っているかについて理解している人は、まだ、多くはありません。 同時に、この技術が全ての計算を飛躍的に高速化する訳ではないこと、また、量子コンピュータの実用化には、まだまだ多くの困難があることも、正確には知られていません。 ただ、量子コンピュータに代表される「量子情報科学」が、21世紀の世界を大きく変えてゆくことは確実だと、僕は考えています。 講演では、まず、量子コンピュータを巡る近年の動向とその背景を紹介します。ついで、その基本的原理を簡単に解説したいと思います。最後に、その応用とビジネスの可能性について考えて見たいと思います。 ちょっと、未来のことを想像してみませんか? 量子コンピュータの話を初めて聞く人を想定した、わかりやすい概論にしようと思っています。   --------------------------------------------- 【 12/9 6時間集中講座「紙と鉛筆で学ぶ量子情報理論基礎演習」】 ---------------------------------------------  日時: 12月9日 13:00 - 19:00  場所: 角川第三本社 セミナールーム  会費: 6,000円(個人協賛会員 3,000円)  申し込みは、