人間は、善と悪との重ね合わせというモデルの失敗について

人間は善と悪との「重ね合わせ」だという前回の話は、人間の本性の複雑さを語るのには、ありうる喩えなのかもしれないが、量子の「重ね合わせ」の喩えとしては、実は、二つの点で失敗しているのだ。
一つには、複雑な善と悪との重ね合わせから情報を引き出す「簡単・粗野」な方法として、善か悪かの判断のみを下す「善悪測定器」を、便宜的に導入したのだが、これがマズイ。
複雑な量子の状態を「測定」した時に、我々は、その状態を複雑なまま見いだすことは出来ないのだ。量子が、善と悪との状態の重ね合わせだとしたら、測定によって我々が見いだすのは、必ず、善か悪か、どちらかの状態の量子を見いだす。
もしも、量子が、善悪二つの状態の重ね合わせではなく、もっと沢山の状態(例えば、100個の状態)の重ね合わせの場合でも、我々が「測定」で得られるのは、その中の、たった一つの状態である。
だから、量子の世界では、善か悪かの判断のみを下す「善悪測定器」は、決して「便宜的」なものではなく、これ以外の測定はできないという意味で、「原理的」な制約を表現しているのである。そのことが、先の喩えでは、うまく表現されていない。
量子の不思議さを、「重ね合わせ」の状態が不思議だと思っている人も多いのだが、それは違うと思う。
善と悪との重ね合わせの前回の例もそうだし、波だって、フーリエ変換だって、我々の日常に、たくさん「重ね合わせ」の現象は存在する。それは、ちっとも不思議なことではないし、表象するのも簡単である。
不思議なのは、「重ね合わせ」ではなく、量子に対する「測定」の方なのだ。それは、我々が「測定」に対してもつイメージとは、かけ離れている。量子力学の基礎の部分を構成しているのは、この不思議な「測定」の形式化・数式化なのである。(そして、それは、難しいものではない。今度の「紙と鉛筆」の演習に来て。)
二つ目の失敗も、実は、「測定」の扱いに関係している。
先の例では、丸山は、1,000回ほど「善悪測定器」にかけられ、その結果で、70% 悪人で、30% 善人 だと判定されるみたいな話をした。それが違うのである。
我々が「測定」で得られるのは、「重ね合わせ」を構成する複数の状態の中のたった一つの状態であると書いたのだが、それだけではないのだ。「測定」によって、量子の状態は、「測定」された一つの状態そのものに変化するのだ。「重ね合わせ」の状態は、「測定」によってどこかに消えてしまう。
こういうことだ。
量子の世界では、測定を行った瞬間に、善と判定されれば全くの善人に、悪と判定されれば全くの悪人に、丸山の性格自体が変わるのである。測定をきっかけに、丸山の複雑な性格は消え去って、全くの善人か全くの悪人に生まれ変わるのだ。
そう言われれば、思い当たることはある。他人による評価は、自分の性格に干渉し、それを変えることがあるのだ。ま、本筋から外れるので、この辺の議論は、やめておこう。
量子の世界の不思議さについては、もう一つ、誤解があるようにも思う。それは、量子の世界は、確率が支配している世界だというイメージである。それは、半分だけ正しいのだが、半分は間違っている。
量子の「重ね合わせ」による複雑な状態は、「測定」による破壊的な干渉がなければ、時間とともに他の「重ね合わせ」の状態に変化する。
ただ、この変化には、確率は介在しない。この変化は、「決定論的」に進む。しかも、時間の向きを反転しても、可逆的に進む。量子力学の基礎であるシュレジンガー方程式やユニタリー演算子というのは、ニュートン力学と同じく、決定論的に振る舞うのである。
量子コンピュータは、それをを構成する「量子ゲート」が決定論的に予測可能に振る舞うことに、その基礎を置いている。
丸山だって、現在の 悪 70%, 善 30%という複雑な状態から、いつか、自然に、悪 30%, 善 70% の複雑な状態に成長するかもしれないのだ。他人が、いろいろ口を挟まなければ。
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