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ブラックホールのエントロピーはその表面積に比例する

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先のベッケンシュタイン・ホーキングのブラックホールのエントロピーSの式 S=1/4・kA/lp^2は、かなり奇妙な式である。 比例定数1/4は、ホーキングが見つけたものである。kはボルツマン定数で単位合わせのものだと思っていいので、この式の中心部分は、ブラックホールのエントロピーはその表面積Aに比例するというものである。 通常、熱いお湯でも、熱を持ったガスでも、そのエントロピーは、その体積に比例する。容器の体積が二倍になれば、そのエントロピーは二倍になる。ところが、ブラックホールの場合には、エントロピーは体積ではなく面積に比例するということを、この式は主張している。 lpは、プランク長で、ある意味で普通の物理法則が通用する長さの最小単位と思っていい。lp^2は、縦横がプランク長の正方形の面積なので、面積の最小単位と思っていい。 だから、A/lp^2 は、ブラックホールの表面積を面積の最小単位で割ったものだから、ブラックホールの表面を覆い尽くす、面積の最小単位の「数」である! エントロピーが、可能なミクロな状態を全て数え上げた数であるということを考えると、この式は確かに、エントロピーのように見える。 ベッケンシュタインの思考実験を、サスキンドが、「計算すれば、フォトン一個(1ビットの情報を持つ)がブラックホールに飛び込めば、ブラックホールの表面積は、プランク長四方の面積だけ拡大することがわかる」と、超かっこいいことを言っていたので、僕も計算してみた。 ところがだ。 うまく計算が合わない。僕の計算だと、フォトンが飛び込むと、プランク面積の8倍だけ拡大することになってしまった。ボケているので、どっか間違っているのかも。 かっこいいところを見せようとして、こけてしまった。まあ、いいことにしよう。 いずれにしても、ブラックホールのエントロピーは、表面積の単位面積の数に比例する。(おいおい) 1ビットの情報を、白黒のコインで表そう。1ビットの情報を持つフォトンが飛び込むと、ブラックホールの表面にプランク長のマス目が一つ生まれる。1ビットの情報を持つコインが置かれると考えていい。 サスキンドは、これを、 Bit Coin と呼んでいた。

さくら 神田川・小滝橋

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ホーキングとベッケンシュタイン

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アインシュタインやフランケンシュタインは知っていても、ベッケンシュタインを知っている人はほとんどいないように見える。 ベッケンシュタインは、ブラックホールを舞台にアインシュタイン以来と言っていい重力理論の大きな革新に道を開いた物理学の天才である。彼は、ブラックホールがその表面積に比例するエントロピーを持つことを、最初に発見する。 ブラックホールは、不思議な天体である。宇宙人が宇宙船で太陽系を訪れたとしよう。土星には見事なリングがあるし、木星には目立つ「大赤斑」がある。地球は、大気圏を持った美しい水の惑星である。ただブラックホールは、真っ黒でなんの特徴も持たないように見えるのである。 ベッケンシュタインを指導していた物理学者のウィーラーは、これを「ブラックホールには毛がない」と表現した。髪型で人間を見分けるようにブラックホールを見分けることはできず、ブラックホールは、ハゲ頭だということ。 正確にいうと、ブラックホールは、質量(場合によっては、電荷と角運動量も)を持つのだが、それ以外の特徴(ディープラーニング風に言えば、「フィーチャー」だ)によっては区別できないのだ。温度さえもたない。ブラックホールは冷たいのだ。そういう意味では、ブラックホールのハゲ具合は、磯野波平(一本、毛がある)や彼の双子の兄弟磯野海平やオバQ(三本、毛がある)みたいなものだ。見事なハゲっぷりだ。 ただ、ベッケンシュタインは、考えた。 もし熱いガスの入ったボンベを、ブラックホールに投げ込んだとしよう。ブラックホールに三本しか毛がないのなら(ブラックホールを特徴づける物理量が三つしかないなら)、熱いガスの持っているエントロピーは、この宇宙からなくなってしまうことになる。それは、エントロピーの不可逆な増大を主張する熱力学の第二法則に矛盾する。それはおかしい。この矛盾を解決するには、ブラックホール自身が、熱力学の対象として、エントロピーを持つと考えるしかないと。 (こうした思考実験は、その後の量子重力理論や量子情報理論の発展を考えると、極めてユニークで重要ななものだ。それについては、別稿で。) ホーキングは、最初は、この発見を馬鹿にして、無視していた。ただ、彼は途中で考えを変える。(それは、悪いことではない) ホーキングが、際立った天才なのは

ありがとうございました

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弟の死に際して、沢山のお悔やみのメッセージ、アクション、ありがとうございました。 この半月ほど、ほとんど仕事をしていなかったのですが、昨日は一日、音楽を流しながら、論文を読んで、タバコを吸っていました。いつもの仕事のスタイルに戻りました。 仕事と言っても、自分で知りたいことを知ろうとしているだけなのですが。「知りたいことを知る」というと楽しそうですが、それは、「知らないことが沢山あることを知る」ことです。実は、それはそれで楽しいのです。 宇宙や量子情報について考えることも、社会や経済について考えることも、芸術について考えることも、生・老・病・死について考えることも、完璧な答えが与えられているわけではないという点では、同じだと感じています。 「謎」があること、疑問を持つこと、考えることは、今日のお金にはなりませんが、多分、いいことです。 組織に属さない個人として、それがかろうじて「仕事」になるのは、ネットやコミュニティのおかげだと思っています。(現実的には「絶滅危惧種」ですが、自分では「新種」だと思うことにしています。) あらためて、皆さんの、お心遣いに感謝します。

追悼 ホーキング

ペンローズが、教え子でもあり共同研究者でもあったホーキングの追悼文を、ガーディアン誌に書いている。"'Mind over matter': Stephen Hawking – obituary by Roger Penrose" https://goo.gl/HYJZEF 'Mind over matter' 「精神は物質の上に」 タイトルは極めつきにウェットだが、文体はドライで wikipediaのように客観的。「追悼文」と書いたが、obituary は、「死亡記事」だ。 Brain Pickingのマリア・パポーヴァ:"Stephen Hawking on the Meaning of the Universe" https://goo.gl/M4vA4R ペンローズとは、対照的な追悼スタイル。彼女は詩人だからね。 スコット・アーロンソン:"Hawking" https://goo.gl/dHP3wR 毒舌家の彼にしては珍しくシュンとしている。"I read 'A Brief History of Time' as a kid and was inspired by it" ホーキングの本を子供の時に読んで、物理の道に進んだ人は多いはず。 ホーキングと同世代で論争相手だった、Bekenstein(一昨年死亡)やSusskindは、ホーキングに対して別の感慨を持つだろうと、ふと思う。

弟のこと

一昨日、3月13日、弟が亡くなりました。 僕の高校時代、弟はまだ小学生でした。僕が高校を出て東京に出たのと入れ違いに、弟は小学生から中学生になりました。6歳離れた可愛い弟でした。 可愛い小学生がそのまま大人になるわけはありません。弟は、東京の大学をすぐに中退して、東京・大阪・大分・仙台といろいろな仕事をしていました。1960年代末から1970年代にかけて、兄弟揃って疾風怒涛の時代に入ったわけで、両親は、当時、いろいろ苦労が絶えなかったと思います。 弟は、1982年、鍼灸師として故郷大館に帰ります。それ以来、ずっと両親と同居します。僕が稚内で働き始めたのは1987年で、父は翌年亡くなります。父の最後の看病をしたのは母と弟でした。 その母は、2年前に93歳で亡くなります。弟が母の介護から解放され、これからゆっくりできると思っていた矢先、母の四十九日の法要のあった日、ガンが見つかります。父と同じ食道がんでした。神がいるとすれば、気まぐれで残酷な仕打ちです。 弟は、祖母譲りか、ビジネスの才には恵まれていたと思います。途中から鍼灸から介護のビジネスに転進し、デイサービス事業で成功します。母は地域に初めて乳幼児保育園を作るのですが、弟は地域の老人介護サービスの先駆けでした。 人は誰も、生まれ、育ち、そして、老いて、死ぬわけですが、母はその前半を、弟はその後半を、地域で担当したことになります。僕がやっているITとかIT教育と言うのは、そうした人間の人生の自然な流れの中では、その意義は、明快さを欠いているように感じてしまいます。 弟は地域の活動にも積極的に取り組んでいました。大館市まちづくり協議会の会長をし、大館市教育委員長をつとめていました。60歳になった時に、全日本鍼灸マーサージ師会副会長をはじめ、公職を全て辞退したそうです。 弔問に沢山のお坊さんが訪れていました。青年会議所時代の付き合いだそうです。葬儀では、他宗の坊さんの飛び入りお経セッションが聞けるかもしれません。ただ、その付き合いの広さが、飲む回数を増やしてガンの原因を作ったのかもしれません。 進んだ道は違いますが、もともと頭の良い、ブラックですがユーモアのセンスのある弟でした。彼が、余命6ヶ月の宣告を受けた時のメールです。 -------------------

3月マルレク延期

誕生日に、沢山のメッセージと「いいね」ありがとうございました。 3月5日から、病気の弟の見舞いで、秋田大館に帰っています。モルヒネ・鎮静剤で痛みを抑えているのですが、日に日に弱っていっています。弟の最後を看取るまで大館に留まろうと思っています。 マルレク協賛のお願い等、いろいろやりかけの仕事があったのですが、ご迷惑をおかけすること、お許しください。 5月のマルレクは、5月22日 19:00から、DMMさんで開催予定です。3月予定のマルレクですが、4月に延期しようと思っているのですが、まだ時期も場所も確定していません。 病院と家の往復ですが、いつもと違う時間が流れているようです。「仕事」を離れたこういう時間には、いろんな気づきがあります。