ホーキングとベッケンシュタイン



アインシュタインやフランケンシュタインは知っていても、ベッケンシュタインを知っている人はほとんどいないように見える。
ベッケンシュタインは、ブラックホールを舞台にアインシュタイン以来と言っていい重力理論の大きな革新に道を開いた物理学の天才である。彼は、ブラックホールがその表面積に比例するエントロピーを持つことを、最初に発見する。
ブラックホールは、不思議な天体である。宇宙人が宇宙船で太陽系を訪れたとしよう。土星には見事なリングがあるし、木星には目立つ「大赤斑」がある。地球は、大気圏を持った美しい水の惑星である。ただブラックホールは、真っ黒でなんの特徴も持たないように見えるのである。
ベッケンシュタインを指導していた物理学者のウィーラーは、これを「ブラックホールには毛がない」と表現した。髪型で人間を見分けるようにブラックホールを見分けることはできず、ブラックホールは、ハゲ頭だということ。
正確にいうと、ブラックホールは、質量(場合によっては、電荷と角運動量も)を持つのだが、それ以外の特徴(ディープラーニング風に言えば、「フィーチャー」だ)によっては区別できないのだ。温度さえもたない。ブラックホールは冷たいのだ。そういう意味では、ブラックホールのハゲ具合は、磯野波平(一本、毛がある)や彼の双子の兄弟磯野海平やオバQ(三本、毛がある)みたいなものだ。見事なハゲっぷりだ。
ただ、ベッケンシュタインは、考えた。
もし熱いガスの入ったボンベを、ブラックホールに投げ込んだとしよう。ブラックホールに三本しか毛がないのなら(ブラックホールを特徴づける物理量が三つしかないなら)、熱いガスの持っているエントロピーは、この宇宙からなくなってしまうことになる。それは、エントロピーの不可逆な増大を主張する熱力学の第二法則に矛盾する。それはおかしい。この矛盾を解決するには、ブラックホール自身が、熱力学の対象として、エントロピーを持つと考えるしかないと。
(こうした思考実験は、その後の量子重力理論や量子情報理論の発展を考えると、極めてユニークで重要ななものだ。それについては、別稿で。)
ホーキングは、最初は、この発見を馬鹿にして、無視していた。ただ、彼は途中で考えを変える。(それは、悪いことではない)
ホーキングが、際立った天才なのは、ベッケンシュタインが計算出来なかった、表面積とエントロピーの比例定数が1/4であることを示し、合わせて、ブラックホールの「温度」の正確な定式化を与えたことである。ブラックホールは蒸発するという「ホーキング放射」の発見である。
それは賞賛すべき業績である。ただ、ホーキングの先行したベッケンシュタインの業績に対する態度は、フェアなものではなかったと思う。最初から全てが自分の発見であるような態度をとり続けた。
ベッケンシュタインは、当然、そのことを快く思っていなかった。ただ、物理学者の多くも、ベッケンシュタインの大きな業績は正しく評価していると思う。このエントロピーの式 S_{BH} のBHは、Black Holeのことをさすとともに、BekensteinとHawkingのイニシャルでもある。この式は、ベッケンシュタイン・ホーキングの式と呼ばれている。
ベッケンシュタインは、数年前に亡くなったが、最後に出版した本で、次のショーペンハウエルの言葉を引用している。
 全ての真実は、次の三つの段階をへる。
  第一。それは、嘲笑される。
  第二。それは、暴力的に反対される。
  第三。それは、自明なこととして受け入れられる。


-----------------
ホーキングのベッケンシュタインの扱い
-----------------
I must admit that in writing this paper I was motivated partly by irritation with Bekenstein, who, I felt, had misused my discovery of the increase of the area of the event horizon. However, it turned out in the end that he was basically correct, though in a manner he had certainly not expected.
Hawking, "A Brief History of Time" (p.108 kindle版)
-----------------
ベッケンシュタインの反論
-----------------
In his popular books Hawking has described his discovery of black hole radiance as coming in the wake of his anger at my “misuse” of the area theorem to justify the subject of black hole thermodynamics. I cannot, of course, do anything about another’s anger, but I would like to put my steps in perspective. The area theorem was published in 1970, and according to scientific tradition it then and there became part of our scientific legacy. Nobody can be held to blame for giving a published result a novel interpretation of his own. This could turn out to be wrong, but talking of misuse is to turn a scientific issue into a mundane disagreement. Hawking, in making his discovery, was not motivated by anger or discomfort at me, but by curiosity as to how the quantum theory of fields would work around a black hole. When he found results which harmonized with black hole thermodynamics, he made little effort to put his finding in the perspective of my previous work. This was particularly irritating considering the ridicule heaped on my ideas in his paper with Bardeen and Carter “The laws of black hole mechanics”.
Jacob D. Bekenstein. "Of Gravity, Black Holes, and Information" (Kindle の位置No.1029).

コメント

このブログの人気の投稿

マルレク・ネット「エントロピーと情報理論」公開しました。

初めにことばありき

人間は、善と悪との重ね合わせというモデルの失敗について