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丸山を励ます会

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今日は、MaruLaboの友人たち(  Jun Yamada  さん、  井上 準二 さん、  Yasuko Kawasaki さん、  古川新 さん)が、丸山を励ます会をひらいてくれました。ありがたいです。 誕生日、結婚記念日にも、みなさんから、ネットを通じてたくさんの励ましをいただきました。ありがとうございました。 また、頑張ろうと思います。

神田川名物「はないかだ」

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さくらの流れで、この10年近く思い込んでいたのと反対方向に、川が流れていたことを知る。

数学のセミナー始めます

4月から、角川さんで、「数学は楽しいね!」という、ゆるいコンセプトでセミナーを始めようと思っています。 ディープラーニングや量子コンピュータなど、新しいIT技術をすこし詳しく知ろうとすると、いろんな数学的知識が要求されることがあります。そこで立ち止まってしまう人も多いのではと思っています。 工学系の技術者には、その分野での技術計算のスキルとそれを支える数学的前提知識が必須なのですが、IT技術者に必須の数学的知識は何か?と自問すると、残念ながら、僕にはうまく答えられません。 その理由の一つは、一口に「IT技術者」といっても、その層は非常に広く、かつ、現実のIT技術者が行なっている仕事は、極めて多様だということがあると思います。あえて、共通点を探せば、「プログラミングができる。わかる。」ぐらいでしょうか? それがいいことだとは思いません。ただ、そのことに、もっぱら小言を言いたいわけではありません。というのも、数学の世界は、プログラミング=アルゴリズムの世界に隣接して、そのちょっと先にひろがっているからです。 古代の数学は、土地の面積を測ったり、そこからの収穫の量を記録したり、年貢の額を計算する専門家が必要になったことに起源を持っています。現在、IT技術者の多くが果たしている役割も、同じようなものです。IT技術者は、広い意味では、応用数学の一分野の働き手と考えることができると僕は考えています。 社会が複雑になり、我々の社会的活動が多様になり、また、我々の認識の対象が量子の世界から宇宙まで拡大するにつれ、我々と数学との接点は、ますます広がっていきます。現代の社会的活動の大きな部分をIT技術が占めていますので、ITと数学との接点が広がり深まるのは、ある意味、不可避のことです。 なぜなら、数学的認識能力は、言語能力の上に我々が構築した新しい人間の認識能力だからです。人間が生まれつき誰でも持っている「ことばの力」だけでは到達できない世界に、「数理の力」は、我々を導いてくれます。現代を特徴付ける技術も科学も、この力なしには成り立ちません。 ただ、「ことばの力」は、ある意味、人間という種に固有の生物学的能力として、人間は誰でも持っているのですが、「数理の力」は、人間に生得的に備わっているわけではありません。それは、後天的に学習されなければな

結婚記念日

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結婚してから大分たつのだが、一度も結婚記念日を祝ったことがない。 「もう四十年かな? 金婚式が五十年なら、もうじき銀婚式かな? 銀婚式ぐらいお祝いしようかな」と思って、調べたら、銀婚式は結婚二十五周年だという。(誰が決めたんだ)その上、僕が勝手に銀婚式だと思っていた結婚四十周年は、二年前に、何事もなく通過していた。 でも、今日3月29日が、僕らの結婚記念日だったようだ。 ちょうど大学の卒業式の日だった。自分の結婚式と自分の卒業式がぶつかっていたら、だれでも自分の結婚式の方を選ぶと思う。そういうわけで僕は大学の卒業式には出ていない。(わざとぶつけたのだが。ついでに言えば、入学式にも僕はでていないのだ。) 僕は、結婚して、長いこと学生をやっていたその大学を離れて、別の大学の大学院に進学することに決めていた。ある意味、僕の人生の大きな転換点が、この日だった。もっとも、大学ではろくに勉強していなかったので、この時点では、大学院の試験を受けることを決めただけだったのだが。 友人たちが、僕らの結婚を祝ってくれた。招待状も結婚式も手作りの質素なものだった。 招待状の僕からの友人への結婚メッセージには、次の詩句が引用されていた。 "je suis rendu au sol, avec un devoir à chercher, et la réalité rugueuse à étreindre ! Paysan ! " 「土にかえる。百姓だ! 探し求めるべき義務と、抱きしめるべき荒々しい現実を胸にいだいて。」 どこの世界からかえってきたのか知らないが、結婚や大学院を、「百姓」よばわりするのは、いかがなものだろう? なにより、僕は結婚の「探し求めるべき義務」を果たしていなかった。「抱きしめるべき荒々しい現実」については、彼女の働きに、もっぱら依存していた。(両親にも、随分、たすけてもらったのだが。) この状態は、今思えば恥ずかしくなるほど長く続いた。能天気に僕は、それを当時興味を持っていた Super String Theory をもじって、「超ひも理論」と呼んでいた。悪人である。 そういうわけで、僕は、彼女との結婚に、大いに感謝している。そういえば、彼女にも両親にも、ろくに感謝したことが

死者との距離

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秋田の実家を解体・改築中なのだが、甥っ子が仏壇の下の棚から家族の古いアルバムを何冊か見つけた。別の甥っ子がその一部をスマホで撮って送ってくれた。今は、この世にいなくなった人も、たくさん写っていた。そして、母と一緒に写っている僕には、その記憶がない。 過去の記憶が時間とともに薄れていくことと、懐かしいという感情には繋がりがあるのだと思う。我々が過去の全てを完璧に覚えているなら、そういう感情は必要ないのだから。 100年以上前に初めて写真を見た人たちの驚きはよく理解できる。同時に、それが死者の姿を現世に留める役割を持ちうることに、人はすぐに気づいただろう。 写真がなかった時代、死者の記憶を人が長く持ち得なかったわけでは決してないはずだ。長く消えない記憶は存在する。そして、写真もアルバムも、いつか古びて朽ちる。人間とその記憶と同様に。 ただ、何かが変わっていく。 昔、家には電話は、たいてい一台しかなかった。電話の横には、その家の「番号帳」が一つあった。転出した人は、横棒を引いて消していた。家の電話帳を持ち歩く人はいなかった。 僕が初めて携帯電話を持った時分の話だ。携帯の「番号帳」の中に、亡くなった友人の電話番号を、思いがけずに見つけて、僕は少し震えた。あの友人の電話番号を、僕は、ずっとポケットに入れて持ち歩いていたのだと思うと不思議な気持ちになった。 懐かしくて電話をかけてみた。一人暮らしのはずだったのに、不思議なことに呼び出し音が鳴る。本人が出たらどうしようとおもったが、誰も出ず、途中で電話を切った。不要になったはずのその番号を僕は消せなかった。30年後の今も、それを持ち歩いている。 電子的な記憶は、おそらく、写真より長持ちする。もしも僕が、150歳まで長生きできれば、僕の電話帳は、死人のリストでいっぱいになるだろう。 それは不自然なことではない。これまで、生きた人の数と死んだ人の数は、通算すれば、ほぼ同じくらいだろうが、これまで死んだ人の数は、現在、生きている人の数より、はるかに多いはずだから。 まだ若いネット上の記憶も、いつか、古い図書館と同じように、死者の記憶でいっぱいになるだろう。 「親父の命日が4月27日で、葬儀は29日。この日は桜が満開だった。親父は、良寛の「願わくば 桜の下で 春死なん ~」を叶えちゃった感じ

今後のマルレクの予定について

3月のマルレクをスキップしてしまったので、隔月開催で行ってきたマルレクの予定を、本年度は次のようにリスケしたいと思います。5月-6月の予定は決まりました。  5月22日 19:00~ 会場 DMMさん  「Post Deep Learning時代の人工知能技術を展望する」  6月26日 19:00~ 会場 GMOさん  「量子コンピューティングの現状と課題」 8月-9月も、毎月開催します。  8月  日時・会場未定  「文法を計算する - Lambek Categorial Grammar 入門」  9月  日時・会場未定  「量子コンピューティングの機械学習への応用」 11月から隔月開催のペースにもどります。以下の予定は仮のものです。変更がある可能性があります。  11月  日時・会場未定  「意味の形式的理論」  1月  日時・会場未定  「量子暗号と量子通信」  3月  日時・会場未定  「数学的推論の自動化は可能か?」 新年度も、マルレク、よろしくお願いします。

ブラックホールのエントロピーはその表面積に比例する

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先のベッケンシュタイン・ホーキングのブラックホールのエントロピーSの式 S=1/4・kA/lp^2は、かなり奇妙な式である。 比例定数1/4は、ホーキングが見つけたものである。kはボルツマン定数で単位合わせのものだと思っていいので、この式の中心部分は、ブラックホールのエントロピーはその表面積Aに比例するというものである。 通常、熱いお湯でも、熱を持ったガスでも、そのエントロピーは、その体積に比例する。容器の体積が二倍になれば、そのエントロピーは二倍になる。ところが、ブラックホールの場合には、エントロピーは体積ではなく面積に比例するということを、この式は主張している。 lpは、プランク長で、ある意味で普通の物理法則が通用する長さの最小単位と思っていい。lp^2は、縦横がプランク長の正方形の面積なので、面積の最小単位と思っていい。 だから、A/lp^2 は、ブラックホールの表面積を面積の最小単位で割ったものだから、ブラックホールの表面を覆い尽くす、面積の最小単位の「数」である! エントロピーが、可能なミクロな状態を全て数え上げた数であるということを考えると、この式は確かに、エントロピーのように見える。 ベッケンシュタインの思考実験を、サスキンドが、「計算すれば、フォトン一個(1ビットの情報を持つ)がブラックホールに飛び込めば、ブラックホールの表面積は、プランク長四方の面積だけ拡大することがわかる」と、超かっこいいことを言っていたので、僕も計算してみた。 ところがだ。 うまく計算が合わない。僕の計算だと、フォトンが飛び込むと、プランク面積の8倍だけ拡大することになってしまった。ボケているので、どっか間違っているのかも。 かっこいいところを見せようとして、こけてしまった。まあ、いいことにしよう。 いずれにしても、ブラックホールのエントロピーは、表面積の単位面積の数に比例する。(おいおい) 1ビットの情報を、白黒のコインで表そう。1ビットの情報を持つフォトンが飛び込むと、ブラックホールの表面にプランク長のマス目が一つ生まれる。1ビットの情報を持つコインが置かれると考えていい。 サスキンドは、これを、 Bit Coin と呼んでいた。