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マルレク「エンタングルする認識」 ダイジェスト #4

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【「エンタングルする知性」の認識 -- MIP*=RE 】 量子コンピュータの計算能力は、素晴らしいものです。それは、ある問題群(例えば、素因数分解のような)に対しては、古典コンピュータの計算能力の指数関数的高速化を可能にします。 量子コンピュータのアイデアの登場とともに、量子コンピュータが古典コンピュータで解くには指数関数的時間のかかる「NP-完全問題」を多項式時間で解くのではという期待がうまれました。ただ、それは不可能です。 先日の複雑性クラスの関係図を、改めて見て欲しいのですが、「NP-完全」のクラスは、量子コンピュータが多項式時間で解くことができる BQP クラスのはるか外側に存在しています。 今では、GPT3でさえ、「量子コンピューターを使用して、NP完全問題を多項式時間で解決することは可能ですか?」と質問すれば、「量子コンピューターを使用してNP完全問題を多項式時間で解くことはできません。」と答えてくれます。 それでは、量子の力を借りた人間の計算能力拡大の試み、それは人間の認識能力の拡大の試みを意味するのですが、それは現在のスタイルの量子コンピュータの進化の延長上の限界 BQPで頭打ちなのでしょうか?  もっとも、こうした問題意識自体が、そもそも混乱していることは、次のように考えればわかります。チューリングマシンが多項式時間で計算可能な能力の限界 P は、人間=機械の双方の計算能力の限界と見做せるのですが、BQPは機械のみが持ちうる能力です。人間は機械の助けなしには単独ではその能力を持つことは出来ません。 ですので、量子の力を借りた人間の認識能力の拡大というのは、量子機械の力を借りた人間の認識能力の拡大に他なりません。人間の認識能力の未来を考えるのなら、裸の人間の生まれ持った能力だけで、人間の認識能力を語ることは出来ないのです。宇宙のどこかには、古典チューリングマシンではなく量子チューリングマシンと同じ計算能力を、単独で生得的に持つ知的生命が存在するかもしれないのですが。 話がSFみたいになってきたのですが、2020年に証明された「MIP*=RE定理」も、それが想定していることを考えれば、SFみたいな話に聞こえるかもしれません。 先に、「数学的全能者」と「人間」の対話によって認識を拡大する枠組みとして「対話型証明  Interactive Proof」を

マルレク「エンタングルする認識」 ダイジェスト #3

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【 量子コンピュータの能力の認識 -- BQPクラス 】 先に、「人間の能力をコンピュータが超える」という「シンギュラリティ」の議論は、かなり怪しいと書きました。その大きな理由の一つは、「人間の能力」と一括りにするけど、人間の能力は非常に多様で複雑だからです。 例えば、前回の議論では、「全能者」の存在を仮定して「全能者」と「人間」の対話で認識できることを考えようというアプローチを紹介しました。そうした新しい推論方法を思いつく能力を機械が持てるかどうか、僕は懐疑的です。それにしても、そうしたアイデアやそのアプローチで得られる認識結果は、最終的には「人間の能力」に属します。 もっとも僕は、人間の数学的・論理的推論能力に関して言えば、それは機械的なモデルを持つと考えています。それは、おそらくチューリング・マシンの持つ能力に等しいと考えています。また、先日紹介したInteractive Proofのアプローチは、きちんと数学的に定義できます。 人間と機械の能力の比較は、いろいろ難しい問題があるのですが、機械と機械の能力の比較は、どちらも人間が作ったものですので、それよりは簡単にできます。この点で、近年、重要な認識が生まれています。 それは、私たちが普段使っているコンピュータの計算能力を、量子コンピュータの計算能力が上回っている認識が、理論的にだけではなく、実験的にも確立され始めているということです。 私たちが普段使っているコンピュータを「古典コンピュータ」と呼ぶことにします。今使っているものを「古典」と呼ぶのは抵抗があるかもしれませんが。どちらも人間から見れば機械です。どちらも「コンピュータ」と呼ばれます。ただその動作原理は全く異なった機械です。その違いをはっっきりさせるため、「古典」「量子」を頭につけます。 機械だけの世界に限れば、量子コンピュータの登場を、古典コンピュータに対する「シンギュラリティ」と呼ぶことは可能です。機械=コンピュータの世界では、それは「量子優越性」と呼ばれています。 2019年の10月23日は、特別な日です。それは、Googleが、古典コンピュータに対して量子コンピュータの能力が遥かに高いこと、「量子優越性」を実験的に実証した日です。 この点については、丸山の資料「量子コンピュータの現在 — 量子優越性のマイルストーンの達成 —」https://w

マルレク「エンタングルする認識」 ダイジェスト #2

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【「全能者」との対話で得られる認識 -- Interactive Proof 】 なんか怪しいタイトルですね。 怪しいついでに、もう一つ怪しい話を。 今から見ればだいぶ前になりますが、「AI=人工知能」の大ブレイクが起きたとき、盛んに使われたのが「シンギュラリティ」という言葉です。機械の知能が人間の知能を超える時がいつか来る。それをこの言葉で呼んでいたように思います。 ただ、この言葉やその意味に、僕はいささか「怪しさ」を感じていました。なにが人間の知能の限界であるのか? また、シンギュラリティの到来は、機械の知能が人間の知能をどのように超えることを意味しているのか? 当時流行した議論では、そうした基本的なことが、あまりよく考えられていないように感じました。 こうした問題を徹底的に考えるのは意味があることだと、僕は考えています。冒頭のタイトルの「全能者」は、いわば、機械の「シンギュラリティ」をはるかに超えた能力の持ち主です。ただし、「対話型証明 Interactive Proof」に登場する架空の存在です。 「対話型証明 Interactive Proof」というのは、こうした「全能者」と普通の人間が「対話」をしたときに、何が分かるかを考えようという枠組みです。 アーサー王伝説では、アーサーに仕えるマーリンという魔法使いが出てくるのですが、「対話型証明 Interactive Proof」では、「全能者」をマーリン、「全能者」と対話する普通の人間をアーサーと呼ぶことがあります。 アーサー王伝説のマーリンは、魔法使いですので、火を吹く竜を召喚したり、人間を豚に変えたり、文字通りなんでも出来るのですが、Interactive Proofのマーリンは、そういう魔法を使えるわけではありません。 ただ、理論的・数学的能力においては、彼は「全能」です。もし、リーマン予想が正しいのなら、彼はそれを瞬時に証明できます。もちろん、「全能」と言っても、数学的に証明不可能な 1+1=3 を証明できるわけではありません。 Interactive Proofの枠組みでは、「全能者 マーリン」を「証明者 Prover」と呼ぶことがあります。彼は、全知全能で、どんな問題も瞬時に答えを返す能力をもっています。ただし、ここが重要なのですが、彼は誠実ではなく、時々、人を欺く嘘をつきます。 一方の「普通の

マルレク「エンタングルする認識」 ダイジェスト #1

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認識の客体としての「エンタングルする自然」の理解の進行と、認識の主体としての人間の認識能力の深化は、お互いに絡み合っていますが、相対的には独立の過程です。4月のセミナー「エンタングルする認識」では、後者に焦点を当てようと思います。 【エンタングルメントの実在の認識 -- CHSHゲーム】 「それは馬鹿げた遠隔作用だ。」 アインシュタインは、エンタングルメントのことをそう呼びました。確かにそれは、二つの量子がどんなに離れていても、片方の量子の状態を観測すると他方の量子の状態が瞬時に分かる現象のように見えます。 それは、アインシュタインが特殊相対論で確立した、ある事象の影響は光のスピードを上限としてしか他の事象に影響を及ぼさないという「事象の局所性」に反しているように見えます。物理的な「因果関係」は、局所的な性質を持ちます。 物理的な「実験」では、単純化していうと、実験の対象と観測機器と観測者の知覚が、すべて物理的な因果関係のチェーンで結ばれたされたシステムを構成しています。 それでは、そうした局所的な因果関係を破るエンタングルメントのような現象の実在は、どのような「実験的」手段で確かめることができるのでしょうか? それは、物理的な因果関係に従わない「テレパシー」の存在を、物理的な因果関係に従う実験で証明しようというのに似ていないでしょうか?  ちなみに、こうした理論化は、1960年代になされたものですが、21世紀に入って、Interactive Proofの流れの中で再評価が行われ、次の認識の飛躍 MIP*=RE を準備することになりました。 詳しくは、セミナーで。 --------------------------------------------- 0または1を入力X,Yとして受け取り、0または1を出力A,Bとして吐き出す箱があるとしましょう。内部の仕掛けはわからないブラックボックスです。 ブラックボックスだとしても、入力と出力を観察すれば、両者の「相関 C」は知ることができます。入力と出力の「相関 C」は、入力X, Yが与えられた時の出力A, Bの条件付き確率で与えられます。C = P(A, B | X, Y) です。 今、ブラックボックスの入力 X, Yと出力 A, B が、ある関係 D(X,Y,A,B)=1を満たす時、青いランプがついて、そうでない時は赤

「自分の部屋を持ちなさい」#2

以前の「自分の部屋を持ちなさい。」という投稿 は、ヴァージニア・ウルフの  "A room of one's own" からの引用でした。文学を志す女性に向けた彼女の1928年の講演をもとにした作品です。 彼女が造形した、シェイクスピアと同じ才能に恵まれながら、その才能を発揮する環境も機会も与えられず、ついには自殺し、ロンドンの街の路傍に埋葬されるシェイクスピアの妹の Judithの「物語」は見事なものです。 この先品で、印象的な場面が、僕にはもう一つありました。 それは、この物語の「語り手」が、彼女は"OxBridge"大学 (!!)で学んでいるのですが、近道をしようとしてキャンバスの芝生を横切ろうとしたら、守衛が「とんでもない」という表情で飛び出してきて、行手を阻まれるのです。「芝生を横切れるのは、大学のエライ人だけ。女はダメ。」 嫌がらせを受けて、彼女は、大学の壮麗な図書館に向かうのですが、その膨大な書庫には、女性文学についていえば見るべきものは何一つなく、クソのような本だけが並んでいます。いわく「女性には、シェイクスピアのような作品が作れないことは、明らかである。」 実は、昔、この作品を読んだ時、このシーンはあまり印象に残っていませんでした。ただ、数年前、物理学者のサスキンドの本を読んだ時、このエピソードを思い出しました。 サスキンドも、Trinity Collegeの芝生を横切ろうとして、守衛に阻止されます。前日、教授と一緒の時には、何も言われないで同じ芝生を渡れたのに。大学のエライ人と一緒でなければ、芝生の横断は認められないと言われます。彼の "Black Hole War" という本に出ています。 サスキンドは、サウス・ブロンクスの配管工の息子です。配管工の青い仕事着をきて大学の面接を受けたというエピソードも、この本の中で語っています。 ウルフが、「イギリスの大学はこのクソみたいなルールを 300年も守り続けている」と書いたのは 1920年代のことですが、サスキンドの経験は、彼が32歳のときで、1972年のことです。1970年代にも、このルールは生き続けていたのです。 つい先日 (2021年3月8日)も、イギリスのバーガー・キングが " Women belong in the

自分の部屋を持ちなさい

「僕はAndroid」だ。 それでclubhouseに部屋を持てない。(iPadで入ることができたのだが、まだ始めていない。) 「僕はうなぎ」「彼はたぬき」「彼女はキツネ」 米津の「迷える羊」というアルバムに、「馬と鹿」という曲を見つけた時、ちょっと笑った。動物づくしをしたいわけではないのだが。実は、彼はAndroidだったので、clubhouseに入れなかったらしい。 冒頭のフレーズは、ある女性作家が、「女性」と「小説」について質問された時、答えた言葉だ。男性との差別に苦しむ女性、創作を志す女性に対するアドバイスだ。  「自分自身の部屋を持ちなさい。そして、お金も。」 興味深いのは、彼女がこのエッセイで紹介している、かつて、女性は自分の才能を発揮することが、いかに困難だったかをしめす、次のようなエピソードだ。(若干、補足が必要なのだが、それは後日。) シェイクスピアには、Judithという、彼と同じように才能に溢れた妹がいた。兄のように学校に行くことを許されず、両親に望まぬ結婚を押し付けられた彼女は、家出をしてロンドンに出て、兄と同じ役者の道を目指す。ただ、その道は厳しかった。 ある冬の夜、彼女は自殺する。彼女は、Elephant & Castle 郊外の、今はバスが通っている十字路の近くに埋葬された。  「自分自身の部屋を持ちなさい。そして、お金も。」 僕にとっても、いいアドバイスだと思う。 --------------------------------------------- Shakespeare had a wonderfully gifted sister, called Judith, let us say. Shakespeare himself went, very probably,—his mother was an heiress—to the grammar school, where he may have learnt Latin—Ovid, Virgil and Horace—and the elements of grammar and logic. He was, it is well known, a wild boy who poached rabbits, perhaps shot a deer, and had, ra

エンタングルメントをめぐるドラマ #4

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 【 3/27 「楽しい科学」ダイジェスト -- エンタングルメントをめぐるドラマ #4 】 【「時空」を生み出す「原理」としてのエンタングルメント 】 アインシュタインは、量子論の中に二つの量子の奇妙なもつれあった関係が存在することを発見して、それを「パラドックス」として提示しました。三人の著者 Einstein, Podolsky, Rosenの頭文字をとって、「EPR論文」と呼ばれます。1935年の5月のことです。 二ヶ月後の7月に、アインシュタインはローゼンとともに、"The Particle Problem in the General Theory of Relativity" 「相対性の一般理論における粒子の問題」という論文を公開します。この論文を「ER論文」と呼びます。   このER論文は、二つのブラックホールを結ぶ「橋」が存在しうることを指摘した論文です。この「橋」は、"Einstein-Rosen Bridge" と呼ばれ、別名「ワームホール」とも呼ばれます。 アインシュタインは、1935年に、「エンタングルメント」(ただし、パラドックスとして)と「ワームホール」を発見しているのです。同時期にアインシュタインによってなされた、この二つの発見に何か関連があるのでしょうか?  本来は、80年前になされるべきこうした問いかけを、現代に蘇らせたのは、あのマルデセーナとブラックホール/量子重力の専門家のサスキンドでした。 2013年の論文で、二人は、1935年にアインシュタインが発見した「エンタングルメント」と二つのブラックホールを結ぶ「ワームホール」は、スケールが全く違うのですが、同じものだという大胆な仮説を提示します。 「二つのブラックホールの間のワームホールは、二つのブラックホールのエンタングルメントによって生成される。」 時空の性質を記述する相対論(重力理論)と量子の世界を記述する場の量子論に「対応」が存在することをマルデセーナが発見したことは、既に述べました。ただ、その対応が、具体的にどんなものかについては、述べてきませんでした。 マルデセーナとサスキンドの主張は、AdS/CFT対応のもとで、相対論に現れる二つのブラックホールを結びつけるワームホールと、量子論に現れる二つの量子のエンタングルメントは、「対応