投稿

ブラックホールと情報

イメージ
1. 1ビットの情報を追加すると、ブラックホールのエネルギーは、どれくらい増加するのか? それは、1ビットを運ぶフォトン一つのエネルギーに等しい。 2. 次に、このビットの追加で、ブラックホールの質量は、どう変わるのか? ここでは、有名なアインシュタインの $E = mc^2$ の式を使う。 3. 質量の変化がわかれば、シュワッルツシルド半径$R_s$の変化がわかる。 $$R_s=2MG/c^2$$ 4. 最後に、ブラックホールの地平の面積は、次の式で与えられる。 $$地平の面積=4\pi {R_s}^2 $$ 1ビットのフォトンの波長は、ブラックホールの中で、その位置が不確定になるように十分長い波長を持たなければならない。その波長は $R_s$に等しい。アインシュタイン・プランクの式で、振動数 $\nu$の光のエネルギー$E$は、$E=h\nu$ 、 $\nu R_s=c$だから(波の速さ=振動数 x 波長)、そのフォトンのエネルギーは、次の式で表される。 $$E=hc/R_s$$ $E = mc^2$だから、このエネルギーが与えられた時の質量の変化は、エネルギーを$c^2$で割ったもの。 $$質量の変化=h / R_s c$$ 太陽と同じくらいの質量のブラックホールのシュワルツシルド半径 $R_s$は、3,000メーター程度。光のスピード $c = 3 x 10^8$メーター。プランクの定数 $h= 6.6 x 10^{-34}$だから、1ビットの情報が、太陽程度の質量を持つブラックホールに落ちた時の質量の変化は、とても小さい。 $$質量の増加 = 10^{-45} キログラム$$ 先の質量と半径の関係を使えば、 $$R_sの増加=2MG/c^2=2 (h / R_s c)G / c^2 = 2 h G / (R_s c^3)$$ これは、$10^{-72}$メーターの変化。 この時の面積の増加は、$10^{-70}$ 平方メーター。 ブラックホールのエントロピーは、bitで計測すれば、プランクの面積単位で計測した地平の面積に比例する。 情報とは、面積である。 温度は、1bitの情報が追加された時の、システムのエネルギーの上昇である。

「エンタングルする自然 / エンタングルする認識」の参考資料について

イメージ
3月、4月に開催する二つのセミナー「エンタングルする自然 / エンタングルする認識」の参考資料をいくつか紹介したいと思います。  エンタングルメントの基本  ●「エンタングルメントで理解する量子の世界」           https://www.marulabo.net/docs/entangle-talk/ エンタングルメントの基本的な性質と量子論的な定式化について説明しています。是非、目を通していただければと思います。   歴史的背景  ●「コンピュータ・サイエンスの現在 — MIP*=RE定理とは何か?」            https://www.marulabo.net/docs/cs-mipstar/ 計算可能性理論から複雑性理論の誕生というコンピュータ・サイエンスの歴史の振り返りの中でMIP*=REを位置付けています。  複雑性理論  ● 「チューリングマシンの拡大と複雑性」     https://www.marulabo.net/docs/turing-complex/ 第一部の「複雑さについて考える」は、複雑性理論は、どういう問題意識から生まれたものなのか、それがどのように対象を拡大していったかを説明しています。  Interactive Proof  ●「Interactive Proofと複雑性」     https://www.marulabo.net/docs/ip-complexity/ Interactive Proofの発展についてです。   MIP*=RE  ●「MIP*=RE 入門 – Interactive Proofとnonlocal ゲーム」      https://www.marulabo.net/docs/mipstar/ MIP*=RE定理の概要の説明です。

マルレク「エンタングルする認識」 ダイジェスト #4

イメージ
【「エンタングルする知性」の認識 -- MIP*=RE 】 量子コンピュータの計算能力は、素晴らしいものです。それは、ある問題群(例えば、素因数分解のような)に対しては、古典コンピュータの計算能力の指数関数的高速化を可能にします。 量子コンピュータのアイデアの登場とともに、量子コンピュータが古典コンピュータで解くには指数関数的時間のかかる「NP-完全問題」を多項式時間で解くのではという期待がうまれました。ただ、それは不可能です。 先日の複雑性クラスの関係図を、改めて見て欲しいのですが、「NP-完全」のクラスは、量子コンピュータが多項式時間で解くことができる BQP クラスのはるか外側に存在しています。 今では、GPT3でさえ、「量子コンピューターを使用して、NP完全問題を多項式時間で解決することは可能ですか?」と質問すれば、「量子コンピューターを使用してNP完全問題を多項式時間で解くことはできません。」と答えてくれます。 それでは、量子の力を借りた人間の計算能力拡大の試み、それは人間の認識能力の拡大の試みを意味するのですが、それは現在のスタイルの量子コンピュータの進化の延長上の限界 BQPで頭打ちなのでしょうか?  もっとも、こうした問題意識自体が、そもそも混乱していることは、次のように考えればわかります。チューリングマシンが多項式時間で計算可能な能力の限界 P は、人間=機械の双方の計算能力の限界と見做せるのですが、BQPは機械のみが持ちうる能力です。人間は機械の助けなしには単独ではその能力を持つことは出来ません。 ですので、量子の力を借りた人間の認識能力の拡大というのは、量子機械の力を借りた人間の認識能力の拡大に他なりません。人間の認識能力の未来を考えるのなら、裸の人間の生まれ持った能力だけで、人間の認識能力を語ることは出来ないのです。宇宙のどこかには、古典チューリングマシンではなく量子チューリングマシンと同じ計算能力を、単独で生得的に持つ知的生命が存在するかもしれないのですが。 話がSFみたいになってきたのですが、2020年に証明された「MIP*=RE定理」も、それが想定していることを考えれば、SFみたいな話に聞こえるかもしれません。 先に、「数学的全能者」と「人間」の対話によって認識を拡大する枠組みとして「対話型証明  Interactive Proof」を

マルレク「エンタングルする認識」 ダイジェスト #3

イメージ
【 量子コンピュータの能力の認識 -- BQPクラス 】 先に、「人間の能力をコンピュータが超える」という「シンギュラリティ」の議論は、かなり怪しいと書きました。その大きな理由の一つは、「人間の能力」と一括りにするけど、人間の能力は非常に多様で複雑だからです。 例えば、前回の議論では、「全能者」の存在を仮定して「全能者」と「人間」の対話で認識できることを考えようというアプローチを紹介しました。そうした新しい推論方法を思いつく能力を機械が持てるかどうか、僕は懐疑的です。それにしても、そうしたアイデアやそのアプローチで得られる認識結果は、最終的には「人間の能力」に属します。 もっとも僕は、人間の数学的・論理的推論能力に関して言えば、それは機械的なモデルを持つと考えています。それは、おそらくチューリング・マシンの持つ能力に等しいと考えています。また、先日紹介したInteractive Proofのアプローチは、きちんと数学的に定義できます。 人間と機械の能力の比較は、いろいろ難しい問題があるのですが、機械と機械の能力の比較は、どちらも人間が作ったものですので、それよりは簡単にできます。この点で、近年、重要な認識が生まれています。 それは、私たちが普段使っているコンピュータの計算能力を、量子コンピュータの計算能力が上回っている認識が、理論的にだけではなく、実験的にも確立され始めているということです。 私たちが普段使っているコンピュータを「古典コンピュータ」と呼ぶことにします。今使っているものを「古典」と呼ぶのは抵抗があるかもしれませんが。どちらも人間から見れば機械です。どちらも「コンピュータ」と呼ばれます。ただその動作原理は全く異なった機械です。その違いをはっっきりさせるため、「古典」「量子」を頭につけます。 機械だけの世界に限れば、量子コンピュータの登場を、古典コンピュータに対する「シンギュラリティ」と呼ぶことは可能です。機械=コンピュータの世界では、それは「量子優越性」と呼ばれています。 2019年の10月23日は、特別な日です。それは、Googleが、古典コンピュータに対して量子コンピュータの能力が遥かに高いこと、「量子優越性」を実験的に実証した日です。 この点については、丸山の資料「量子コンピュータの現在 — 量子優越性のマイルストーンの達成 —」https://w

マルレク「エンタングルする認識」 ダイジェスト #2

イメージ
【「全能者」との対話で得られる認識 -- Interactive Proof 】 なんか怪しいタイトルですね。 怪しいついでに、もう一つ怪しい話を。 今から見ればだいぶ前になりますが、「AI=人工知能」の大ブレイクが起きたとき、盛んに使われたのが「シンギュラリティ」という言葉です。機械の知能が人間の知能を超える時がいつか来る。それをこの言葉で呼んでいたように思います。 ただ、この言葉やその意味に、僕はいささか「怪しさ」を感じていました。なにが人間の知能の限界であるのか? また、シンギュラリティの到来は、機械の知能が人間の知能をどのように超えることを意味しているのか? 当時流行した議論では、そうした基本的なことが、あまりよく考えられていないように感じました。 こうした問題を徹底的に考えるのは意味があることだと、僕は考えています。冒頭のタイトルの「全能者」は、いわば、機械の「シンギュラリティ」をはるかに超えた能力の持ち主です。ただし、「対話型証明 Interactive Proof」に登場する架空の存在です。 「対話型証明 Interactive Proof」というのは、こうした「全能者」と普通の人間が「対話」をしたときに、何が分かるかを考えようという枠組みです。 アーサー王伝説では、アーサーに仕えるマーリンという魔法使いが出てくるのですが、「対話型証明 Interactive Proof」では、「全能者」をマーリン、「全能者」と対話する普通の人間をアーサーと呼ぶことがあります。 アーサー王伝説のマーリンは、魔法使いですので、火を吹く竜を召喚したり、人間を豚に変えたり、文字通りなんでも出来るのですが、Interactive Proofのマーリンは、そういう魔法を使えるわけではありません。 ただ、理論的・数学的能力においては、彼は「全能」です。もし、リーマン予想が正しいのなら、彼はそれを瞬時に証明できます。もちろん、「全能」と言っても、数学的に証明不可能な 1+1=3 を証明できるわけではありません。 Interactive Proofの枠組みでは、「全能者 マーリン」を「証明者 Prover」と呼ぶことがあります。彼は、全知全能で、どんな問題も瞬時に答えを返す能力をもっています。ただし、ここが重要なのですが、彼は誠実ではなく、時々、人を欺く嘘をつきます。 一方の「普通の

マルレク「エンタングルする認識」 ダイジェスト #1

イメージ
認識の客体としての「エンタングルする自然」の理解の進行と、認識の主体としての人間の認識能力の深化は、お互いに絡み合っていますが、相対的には独立の過程です。4月のセミナー「エンタングルする認識」では、後者に焦点を当てようと思います。 【エンタングルメントの実在の認識 -- CHSHゲーム】 「それは馬鹿げた遠隔作用だ。」 アインシュタインは、エンタングルメントのことをそう呼びました。確かにそれは、二つの量子がどんなに離れていても、片方の量子の状態を観測すると他方の量子の状態が瞬時に分かる現象のように見えます。 それは、アインシュタインが特殊相対論で確立した、ある事象の影響は光のスピードを上限としてしか他の事象に影響を及ぼさないという「事象の局所性」に反しているように見えます。物理的な「因果関係」は、局所的な性質を持ちます。 物理的な「実験」では、単純化していうと、実験の対象と観測機器と観測者の知覚が、すべて物理的な因果関係のチェーンで結ばれたされたシステムを構成しています。 それでは、そうした局所的な因果関係を破るエンタングルメントのような現象の実在は、どのような「実験的」手段で確かめることができるのでしょうか? それは、物理的な因果関係に従わない「テレパシー」の存在を、物理的な因果関係に従う実験で証明しようというのに似ていないでしょうか?  ちなみに、こうした理論化は、1960年代になされたものですが、21世紀に入って、Interactive Proofの流れの中で再評価が行われ、次の認識の飛躍 MIP*=RE を準備することになりました。 詳しくは、セミナーで。 --------------------------------------------- 0または1を入力X,Yとして受け取り、0または1を出力A,Bとして吐き出す箱があるとしましょう。内部の仕掛けはわからないブラックボックスです。 ブラックボックスだとしても、入力と出力を観察すれば、両者の「相関 C」は知ることができます。入力と出力の「相関 C」は、入力X, Yが与えられた時の出力A, Bの条件付き確率で与えられます。C = P(A, B | X, Y) です。 今、ブラックボックスの入力 X, Yと出力 A, B が、ある関係 D(X,Y,A,B)=1を満たす時、青いランプがついて、そうでない時は赤

「自分の部屋を持ちなさい」#2

以前の「自分の部屋を持ちなさい。」という投稿 は、ヴァージニア・ウルフの  "A room of one's own" からの引用でした。文学を志す女性に向けた彼女の1928年の講演をもとにした作品です。 彼女が造形した、シェイクスピアと同じ才能に恵まれながら、その才能を発揮する環境も機会も与えられず、ついには自殺し、ロンドンの街の路傍に埋葬されるシェイクスピアの妹の Judithの「物語」は見事なものです。 この先品で、印象的な場面が、僕にはもう一つありました。 それは、この物語の「語り手」が、彼女は"OxBridge"大学 (!!)で学んでいるのですが、近道をしようとしてキャンバスの芝生を横切ろうとしたら、守衛が「とんでもない」という表情で飛び出してきて、行手を阻まれるのです。「芝生を横切れるのは、大学のエライ人だけ。女はダメ。」 嫌がらせを受けて、彼女は、大学の壮麗な図書館に向かうのですが、その膨大な書庫には、女性文学についていえば見るべきものは何一つなく、クソのような本だけが並んでいます。いわく「女性には、シェイクスピアのような作品が作れないことは、明らかである。」 実は、昔、この作品を読んだ時、このシーンはあまり印象に残っていませんでした。ただ、数年前、物理学者のサスキンドの本を読んだ時、このエピソードを思い出しました。 サスキンドも、Trinity Collegeの芝生を横切ろうとして、守衛に阻止されます。前日、教授と一緒の時には、何も言われないで同じ芝生を渡れたのに。大学のエライ人と一緒でなければ、芝生の横断は認められないと言われます。彼の "Black Hole War" という本に出ています。 サスキンドは、サウス・ブロンクスの配管工の息子です。配管工の青い仕事着をきて大学の面接を受けたというエピソードも、この本の中で語っています。 ウルフが、「イギリスの大学はこのクソみたいなルールを 300年も守り続けている」と書いたのは 1920年代のことですが、サスキンドの経験は、彼が32歳のときで、1972年のことです。1970年代にも、このルールは生き続けていたのです。 つい先日 (2021年3月8日)も、イギリスのバーガー・キングが " Women belong in the