ヴォヴォドスキーの「最後」の仕事

2ヶ月前に亡くなった数学者のヴォヴォドスキーが、「最後に」、どんなことに興味を持っていたのか調べ始める。
いったん、「晩年のヴォヴォドスキー」と書きかけたのだが、事故やその他の理由で突然死した人に(彼は動脈瘤が破裂して51歳でなくなるのだが)「晩年」というのは、あまり馴染まないなと気になって「最後に」に書き換えた。
ただ、「最後に」は、短い時間しか指し示さない。最後の論文は、最後の一つの論文だ。それに対して、「晩年」には、時間的な幅がある。いくつかの論文を対象にできる。「晩年」でもいいのかな? 
「晩年」には、年齢制限もあるのかも。若くして亡くなった尾崎豊やエイミー・ワインハウスには、「晩年」は、似合わない。(突然死だから?)
でも、子規は30代で亡くなっているのに、「晩年」といってもおかしくない気がするのはなぜだろう?(ずっと、病床にあったから?)
どうでもいいことで本題から外れたが、ヴォヴォドスキーが最後に取り組んでいたのは、"C-System"という対象のように見える。
"C-System"の'C'は、Contextual Categoryの'C'で、Contextのことだと思っていい。わかりやすい説明は、ここにある。https://ncatlab.org/nlab/show/context
平たく言えば(そう解釈できるという意味でしかないのだが)、コンテキストの意味論の形式化をやっているのだ。
僕は、現在の人工知能技術が、言語の意味理解と数学的推論能力という二つの点で人間の壁を乗り越えられていないと感じているのだが、それは、「シンボル」レベルの抽象を持たない、べったりした「コネクショニズム」還元論というディープラーニングの方法論自体の限界だと考えている。
グロタンディック=ローヴェール=ヴォヴォドスキーという、現代数学の、いわば、極めて抽象的なレベルでの探求が、こうした人工知能技術の具体的な課題と結びつくかもしれないと考えるのは、とても楽しいことだ。
少し、「意味の意味」、あるいは、その数学的把握である「意味の形式的理論」と言われるものを、紹介したいと思う。

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