初めにことばありき

旧約の「創世記」の「光よあれ」は、ビッグバンを思わせて、物理学者はちょっと萌えるかもしれないのだが、新約の「ヨハネによる福音書」には、言語学者が喜びそうなフレーズがある。

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」

僕が知っていたのは、「はじめにことばありき」という訳だったのだが。この口語訳での「言」は、英訳だとこうなっている。

"In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God."

「言」= "Word" である。はじめにあったのは、Wordであって、Language ではない。だから、新しい口語訳では、普段、あまり馴染みない「言」という訳語を使ったのかも。「初めに語があった」では、なんかしまらないんだろうな。(僕は、「はじめにことばありき」というフレーズの方が好きだ。)

ちなみに、「ヨハネによる福音書」は、英語では、"Gospel of John" という。「ジョンのゴスペル」である。でも、そう日本語に訳してしまうと、ジョン・レノンがバラードではなく、ゴスペルを歌っているようで、まずいんだろうな。

「ことば」・「言」・"Word" と訳されている、元々の言葉を調べてみると面白い。

キリスト教のオーソドックスな原典であるラテン語訳聖書では、この部分は、こうなる。

"In principio erat Verbum, et Verbum erat apud Deum, et Deus erat Verbum"

「イン・プリンキピオー・エラト・ウェルブム」

英訳 Word のラテン語の原語は、Verbum である。この単語、英語に直訳すれば、Verbである。「初めに、動詞があった。」 言語学の「従属性文法 (Dependency Grammar) 」理論の人たち、喜びそう。

もっとも、英語のVerbは、元々は、動詞というより広く言葉全体をさしてたらしい。そのことは、「ノンバーバル・コミュニケーション (Non-Verbal Communication) 」というのが、動詞を使わないコミュニケーションではなく、非言語的コミュニケーションのことを指すことに残されている。

ラテン語訳聖書より古いギリシャ語訳聖書では、この部分は、こうなる。

"Ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγος, καὶ ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόν, καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος."

もう僕には読めないのだが、ラテン語のVerbumに当たるのは、ギリシャ語の λόγος (Logos) である。英語の logic の原語である。

「初めにロゴスありき」

うーん。論理学好きで、言語理論ではCategorial Grammar好きの僕は、初めに論理があったのかと、かなり萌えるのだが。

ギリシャ語のロゴスは、現在の「論理」とは、ちょっと違った広い含意を持つ。ただ、大事なことは、ロゴスは、今はやりの"Alternative Truth" とか"Fake News" といった、単なる「お話」(そういうのギリシャ語では、「ミュトス」という)とは、明確に区別された「真理」を指すということ。

「初めにオルタナ・ファクトがありました」

じゃ、ちっとも面白くないもんね。

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