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「楽しい数学」第一回開催さる

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今日の「楽しい数学 -- MaruLabo 数理ナイト」の様子です。今後の参考にしますので、参加された方、感想などを書き込んでもらえると嬉しいです。 今日の講演資料はこちらです。ご利用ください。 https://goo.gl/cyaby3 数学者の佐藤文広先生が、聞きに来てくれました。打ち上げにも参加してもらいました。(三枚目の写真、左側一番奥)いつか、先生招いて「数理ナイト・スペシャル」でもできればと思っています。

コンビニ弁当配達サービス

恥ずかしながら、いい年をしているのに、食生活はコンビニに依存している。セブン・イレブンがなければ、飢え死に必至である。 この前、「セブン・ミール」というサービスを初めて使って見た。「Uber イーツ」と同じような食べ物をうちまで届けてくれるサービスである。日本じゃUber乗ったこともないし、Pizza Hutの出前は高いし、毎日、出前を頼むのもちょっとなと思っていた。 ただ、セブン・イレブンが、弁当を届けてくれるとなると、コンビニ弁当好き(好きかはわからないのだが。本当は、僕は、フレンチが好きなんだけど。と、説得力のないことをいってみる。)としては、なぜか、心理的抵抗は低い。 ドア・ベルがなって出てみると、バングラディッシュの若者が立っていた。僕の部屋を訪れた最初の外国人だ。受け取ったのは、普通の「コンビニ弁当」だった。自分で頼んだのだから、当たり前なのだが。でも、ちょっと新鮮な気分。 弁当を食べながら考えた。 外出が困難になった老人に、外国人の若者が食べ物を届ける。日本は、そういう時代になっているんだなと。 でも、まてよ。これでいいのか? 多分、よくない。ただでさえ面倒臭がりで、外に出るのもおっくうで、ベッドでねたまま講演スライドをつくり、唯一の健康法は、タバコを買いにコンビニまで歩くことだというのに。 お腹がいっぱいになると、少しは高尚なことを考えられるのかな。これ以上、「寝たきり」状態を続けるのはよくない。このサービスつかうのは、やめよう。ぐうたらな僕としては立派な決心だ。 そのはずだったのだが。 腹がへってくると、高尚さは少しなくなるみたい。僕の場合だが。一週間もしないうちに、また、コンビニ弁当の配達を頼んでしまった。 ドア・ベルがなって出てみると、なんと、立っていたのは、僕より年上にしか見えない(違っていたらごめんなさい)おばあさんだった。 「老老介護」かよ! コンビニ弁当配達問題は、日本の老人問題の縮図なのかもしれない。 それはいい。(本当は良くないかも) 問題は、おばあさんが持ってきたのが、僕が頼んだ「ホイコーロー弁当」ではなく、その「材料」だということ。あわてて、ネットを見ると、「セブン・ミール」には、弁当の他にお惣菜の食材を配達するサービスがあるのだ。多分、僕の注文間違い。 突然、僕は

古川くんのお誕生会

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古川新 君のお誕生会二次会。@ Hideya Kawahara さんと一緒です。川原さん、MaruLaboにジョインしました。老壮若の三世代トリオ。老は別にして、川原+古川のペアは、なかなか強力です。 連休明け、このMaruLaboの三人とAWSの松尾さんとで、SageMaker + TensorFlow Hub + TensorFlow.js + PWA のハンズオンやります。内容を一新しました。有料ですが、面白いと思います。是非、いらしてください。 https://lab-kadokawa50.peatix.com/

山賀さん宅の飲み会

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今日は、エバンゲリオンのガイナックスの  山賀 さん宅で飲み会。  昌谷 さんの企画。いろんな人といろんな話をする。 山賀さん、先日まで、京都の禅寺の大徳寺で襖絵を書いていたという。 その様子は、明日(21日)のBS プレミア?で放送されるらしい。

ランベックとカテゴリー文法

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ランベックは数学者で、60年近く昔の1950年代に言語学で重要な働きをする。ちょうどチョムスキーが活発に活動を始めた時期だ。彼は「ランベック計算(Lambek calculus)」という手法を導入して、「カテゴリー文法」という分野を作り出した。 ただ、ランベック自身は、その後長いこと言語学から離れていたのだが、晩年(彼は、2014年に死去する)に、また言語学に関心を寄せる。2008年の "From word to sentence: a computational algebraic approach to grammar"  https://goo.gl/b2DbFD  は、その時期の代表的な著作だ。 カテゴリー文法というと、先日紹介した「応用カテゴリー理論 ACT」のように、文法理論に数学のカテゴリー理論を適用したものと思うかもしれないが、実は、違うのだ。(もっとも、現在では、数学のカテゴリー理論の側からの、カテゴリー文法へのアプローチは、活発に行われている。それについては、後日に、紹介する。) カテゴリー文法でいう「カテゴリー」というのは、古い文法でいう「品詞」という分類を、さらには、最初期のチョムスキーの句構造解析での諸範疇を、文は語から構成されるという観点から、拡大したものだ。 例えば、「文(S)は、名詞句(NP)と、それに続く動詞句(VP)から成る。」とか「名詞句は、限定詞(Det)と、それに続く名詞(N)から成る。」という文法規則で、S, NP, VP, Det, N は、カテゴリーである。 ただ、それだけだと、句構造文法と変わらない。カテゴリー文法のカテゴリーは、もっと豊かである。簡単な例をあげよう。(これも、ランベックの初期のスタイルの簡単な例なのだが) "the boy made that mess." という文に出てくる一つ一つの語に、次のようなカテゴリー(「型」と言っていい)を割り当てる。   the --> NP/N   boy --> N/N   made --> (NP\S)/NP   that --> NP/N   mess --> N Nは名詞、NPは名詞句、Sは文 だと思えばいい。 ここでは、"the",

4年前、Bit Coinのマルレク、通信トラブルで失敗する

四年前のちょうど今頃(2014/4/16)、マルレクの特別編として「BITCOINと分散暗号通貨を考える」というセミナーをしていた。多分、日本ではもっとも初期のものだと思う。(もっとも、あのころもマウント・ゴックスの事件でマスコミには、さかんに取り上げられていたのだが) http://kokucheese.com/event/index/158760/ 登壇者もいい人を揃えたと思う。開催の形態も、東京の会場と九州の会場を結ぶという意欲的なものだったのだが、それが裏目に出て、両会場の通信がうまくいかず、セミナーの組み立てとしては、マルレク史上ワーストワンといっていい出来だった。(それぞれの講演は、とても充実していたのだが。) その時おもった。「僕には、ビットコイン向いていないんだ」と。非論理的に思うかもしれないが、この失敗は、何かの「啓示」だと思ったのだ。あれ以来、僕は、ビットコイン周辺に近づいていない。もともと P2P技術は、大好きなのだが。 この前、弟の葬儀の時、集まった甥っ子3人から、別々に、「おじさん、Bit Coin どうなの?」と聞かれた。甥っ子達は、一応、僕がIT関係の仕事を知っている。一人は、暴落したNEMをチャンスだと思って買っていた。 なんだろう。一般の人へのこの浸透力は? すごい関心だ。 四年前のセミナーの資料集は、こちら。 「マルレク特別編:「BITCOINと分散暗号通貨を考える」 資料集」   https://goo.gl/TJnWMF

コンピューター・サイエンスとカテゴリー論

1940年代、「純粋」数学の一分野として「カテゴリー論」が生まれた時、ある数学者はそれを "general abstract nonsense" 「ナンセンスな抽象化の一般化」と呼んだ。 数学は、もともと抽象的で現実離れしたところはあるのだが、そのなかでも馬鹿馬鹿しいくらい抽象化を進めて何の役にも立たないのが「カテゴリー論」だという意味だ。 その後、カテゴリー論の重要性の認識は、ローベールのトポスによる集合論の再構成の仕事や、グロタンディックの予見的な仕事(現在の膨大なStack Theoryの源流だ)を通じて、数学の中では、確固としたものになっていく。 カテゴリー論は、確かに「抽象的」だが、数学では「役に立つ」!  それどころか、カテゴリー論的アプローチは、「ナンセンス」なものではなく、現代数学の最も強力な武器だということが、多くの数学者に受け入れられて行く。 僕の院生時代は、そうした大きな転換の時代だったと思う。今では、カテゴリー論は、数学では普通のツールになったといって良いと思う。ただ、それは、まだ数学の中での話だ。 今また、面白い動きが出ている。それは、数学での応用に閉じない「応用カテゴリー理論」 Applied Category Theoryという新しい科学分野が急速に立ち上がろうとしていることだ。 「応用カテゴリー理論」がどのようなものであるかについては、ジョン・バエズの次のブログが、わかりやすい解説になっている。"What is Applied Category Theory?"  https://goo.gl/TYoW7G この中でも触れられているのだが、コンピュータ・サイエンスは、カテゴリー論との接点は、今までもなかったわけではない。ただ、それだけではないというのは、彼の次のような言葉を見ればわかる。 「私はプログラマではない。この点は弱点だと思っているので申し訳ないのだが、コンピュータ・サイエンスの中でのカテゴリーの扱いについては、かなりのことは知っていると思う。しかし、その知識はプログラミングのハンズオンでの経験からではなく、カテゴリー論の側から学んだものだ。例えば、私はHaskellの話を聴く前からモナドのことは理解していた。私の最初の反応は、「この人たちは、モナ