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Yet Another AI

現在のAI技術の主流は、ディープラーニング技術なのですが、それ以外のもう一つのAI技術("Yet Another AI")として、論理的・数学的推論をコンピュータで行おうというAI技術の流れが存在します。今回は、そうした技術を取り上げます。 ディープラーニングは、生物のニューロンとそのネットワークをモデルにしています。視覚や聴覚・嗅覚といった生物の知覚のシステムを機械でシミュレートし、また、生物の全身の筋肉を連携させてバランスをとって運動する運動能力を機械・ロボットで実現するにはとても優れた技術です。それは、生物との類似で言えば、蜜を求めて花を回るハチや、上空から獲物を見つけて急降下するハヤブサの、体内のニューラル・ネットワークの働きと同等のものを機械の上で実現しようという技術だと思っていいと思います。 ただ、人間には、そうした、ほとんど全ての生物に共通する感覚・運動能力とは別に、感覚と運動とをワンクッション置いて統合する機能があります。確かに、ハチも「迷う」かもしれないし、ハヤブサも「賢い」かもしれないのですが、人間は、知覚系の入力から条件反射的に運動系を動作させて行動するだけではありません。人間は、考えます。考えることができることが、人間の知能の大きな特徴だと僕は考えています。 そうした人間の「考える」知能の中核は「推論」する能力にあります。もう少し、抽象的に言えば、人間は論理的・数学的に推論する能力を持っています。それは、「人工知能」技術の重要な対象だと僕は考えています。 ディープラーニング技術は、「推論」する人間をシミュレートできるでしょうか? 答えはおそらくノーです。 ドンキーカーでも自動運転するBMVでも、ディープラーニング技術はとても重要です。ただ、彼らに右側通行か左側通行かといった「交通法規」を覚えさせるのに、ディープラーニングは役立つでしょうか? 多分、もっと上位の層で、ルールを覚えさせることが必要になります。 ネットワークのセキュリティでも、異常検出にディープラーニング的アプローチは役に立ちます。ただ、異常らしきものを検出したとして、それにどう対応すべきかは、「自動化」「機械化」しようと思ったら、たくさんのルールの構築が必要になります。 「推論する機械」の可能性の問題は、意外と我々の身近なところに現

AI = ディープラーニング ? -- AI「ブーム」の現在とRPA

次回の7/29マルレクは、次のような人にぜひ聞いてもらいたいと思っています。 ・会社のエライ人に「人工知能がはやっているようだから、わが社でもなんかやりたい。なんかプロジェクト考えて。」と言われて困っている人。 ・「人工知能プロジェクト」を立ち上げたけど、ビジネスに落とし込むうまい着地点が見つからなくて困っている人。 みなさんが感じている困難には理由があります。それは、会社に優秀な「データ・サイエンティスト」がいないからでしょうか? 多分、そうではありません。 「人工知能ブーム」でうまれた「人工知能万能論」に近い期待の中で、未来の人工知能技術の可能性と、現在のディープラーニング技術の可能性との混同が生まれて、ディープラーニング技術でなんでもできるのではという「幻想」が生まれています。 残念ながら、現在の大きな問題は、人工知能技術の一部としてのディープラーニング技術は、皆が信じ込んでいるほど万能ではないということです。 丸山は、ディープラーニング技術が与えるものは、これまでの手法では処理が難しかったデータ(画像データ、音声データ等)や、非常に大量のデータ(時系列データを含む)から、データに含まれる特徴量を抽出する「センサー」だと考えています。そのセンサーの精度は、他の手法では達成できない素晴らしいものです。 ただ、優れた「センサー」がいくら揃っても、それだけでは役に立つシステムはできません。「センサー」が抽出した特徴量をどのように生かすかは、「センサー」自身の設計とは別の次元の問題、システムの設計の問題です。 冷静に判断しなくてはいけないことは、このシステム設計のレベルでは、ディープラーニング技術は役に立たないということです。「ディープラーニング」が「万能」だと考えていると、このレベルでもAI技術で何かできるのではと考えたくなる人も現れるのですが、それはうまくいきません。ただ、人工知能技術ではなく、従来のシステムを設計した人間のノウハウは生かすことができるのです。 「人工知能ブーム」の中で生み出された「人工知能を応用したシステム」と言われるもののほとんど全てがこうしたものです。それは、悪いことではありません。 僕の当面のアドバイスは、「ディープラーニング技術で出来ることをリアルに正確に把握することで、ディープラーニング技術を現実

Ex Libris

FacebookのLibraが話題だが、「Libraから」"Ex Libris"という題名の映画を見た。(これ嘘。libris は、ラテン語 liber の複数奪格。Libraはラテン語ではない。)「ニューヨーク公共図書館」という映画だ。 僕は、ほとんど紙の本を読まない。当然、図書館とは無縁の生活を送っている。ネットがあれば、紙の本も図書館もいらないと思っているのだ。ただ、この映画は、そういう僕にも、本当にそれでいいのかを、改めて考えさせるきっかけになったように思う。 この映画のメッセージは、「ネットの時代、複雑な現代に、図書館は変わろうとしている」というものだと思うが、そういう動き、図書館の具体的な取り組みを、僕は知らなかった。それは、「公共」性を旗印にした、とても魅力的なものだった。 映画冒頭、「利己的遺伝子」のドーキンスの市民向けの講座が出てくる。奇矯な人だと思い込んでいたが、とてもまともな人だった。ダーウィンの進化論を否定する「創造論教育」を批判し、「無宗教者」の権利について語っていた。それはそれで、アメリカでは「過激」な主張なのかもしれないが。 「過激」といえば、かつて パンク/ニューウェーブの旗手の一人だった エルビス・コステロも市民に向けて語っている。やはり歌手だったお父さんの映像を司会者と一緒に見ていた。なんとなく セックス・ピストルズとコステロの、その後の歩んだ道の違いがわかったように感じた。「敵だから認知症で死んでしまえとは思わないが、サッチャーがイギリスにしたことは許せない。」まだ元気である。(コステロ、今月、日本に来るんだ。) パティ・スミスが、ジャン・ジュネについて語っている。ジャン・ジュネは XXX-Tentacionと同じく「犯罪者にして芸術家」という類型に属するのだが、そうしたアーティストへの「共感」が語られる。文学講座では、僕の好きなガルシア・マルケスの作品が取り上げられていた。 最近のアメリカを見ていて、なんだかなと感じていたのだが、そうした印象は表面的だったのかもしれない。 アメリカは、イギリスからの植民地独立戦争と奴隷制解放の内戦である南北戦争という自身が経験した二つの戦争の意味を、市民レベルで、いまでも、問い続けている。そのことは、この映画で示されている、かつての黒人奴隷の子

現在のコンピュータと量子コンピュータがハイブリッドする未来

7/6 ハンズオン「量子コンピュータで学ぶ量子プログラミング入門」https://lab-kadokawa82.peatix.com/ の演習の目標である「量子テレポーション」について、少し補足しようと思う。 「量子テレポーション」。なんとも奇妙な名前なのだが、それもそのはずで、命名者は、SF映画の「スタートレック」から、この名前を取ったらしい。 「量子テレポーテーション」技術は、「スタートレック」のように、物体そのものを瞬間移動することができるわけではない。それが可能とするのは、情報を移動することだけである。それは、現代のネットワーク技術が情報の移動をおこなっているのと同じである。 少し違うのは、「量子テレポーテーション」が、一つ一つの量子が持つ情報(それをqubitという。qubit = quantum bit 「量子ビット」の略である)を送り出し、受け取ることができることであり、またその為に「エンタングルメント」という量子の性質を利用することである。 重要なことは、量子情報理論の情報通信技術への応用においては、本格的な量子コンピューが登場する以前に、この「量子テレポーテーション」等の「量子通信技術」が、実用化するだろうということである。 では、どこに、この「量子通信」技術は使われるのであろうか? それは、現在のコンピュータとコンピュータを接続する為にである。 量子コンピュータの時代というと、現代のコンピュータが全て量子コンピュータに置き換わる時代を想像するかもしれないのだが、それは正しくないだろう。現代のコンピュータ技術は、引き続き有用なものとして残り続けるだろう。 「量子コンピュータ」との対比で、現代のコンピュータを「古典コンピュータ」と呼ことがある。古典コンピュータと古典コンピュータとの通信に、まず「量子通信」技術が使われ始めるのである。 現代の通信技術の中核である「光通信」技術と「量子通信技術」は、実は、親和性が高い。また現代の通信技術の重要な課題であるセキュリティについても、「量子通信技術」では「量子暗号」技術と組み合わせると、飛躍的なセキュリティの向上が可能になる。 「量子通信」の導入によって、古典コンピュータと量子コンピュータのハイブリッドの時代が始まると、僕は考えている。 幸いなことに、すでに我々は、

チューリングの予言と現代のAI技術

今から約70年前の1950年、アラン・チューリングは、次のような予言を行いました。 私は、次の問題を考えることを提案する。 「機械は考えることが出来るか?」 この「機械は考えることが出来るか?」というオリジナルな問題は、議論にも値しないほどあまりに意味のないものだと、私は信じている。  ....... それにもかかわらず、この世紀の終わりには、言葉の使い方と教育を受けた一般の人々の意見は大きく変化して、 矛盾しているとは少しも思うことなく、機械の思考について語ることが出来るようになるだろうと、私は信じている。                              -- Alan Turing                                   1950年 チューリングの人々の意識の変化についての予言は、的中しました。 それは、かれの天才的な洞察力を示す素晴らしいものだと思います。 いまでは、誰もが 矛盾しているとはほとんど思わず、 「機械の思考=人工知能」について語っています。ある人たちは、「人工知能」技術を「万能の技術」と信じ始め、ある人々は、機械が人間を凌駕する時代の到来について語っています。「シンギュラリティーがくるぞ」と。そこまで行かなくとも、この数年で、人工知能に対する期待は、IT技術者を中心に、多くの人に共有されるようになりました。 ただ、大事な問題が残っています。 我々は、「考える機械」には、まだたどりつけてはいないということです。 こうした中で、僕は、次のような議論が出ていることに注目しています。  「日本の労働生産性はRPA(ロボットによるプロセス自動化)とAI(人工知能)で上がる。人間は(生まれた余剰時間で)創造性を発揮できるだろう。これが日本復活のシナリオだ」 ソフトバンクグループの孫正義社長(兼会長)は6月13日、RPAツール大手の米Automation Anywhereが都内で開いたイベント「IMAGINE TOKYO 2019」でそう話しました。 なぜ、注目したかについては、次のメールでお話しします。 次回のマルレクのテーマは、「Yet Another AI (もう一つのAI技術)-- RPAは「推論エンジン」の夢を見るか?」です

R.I.P.

最近、よくオペラを聴いている。 クラシックは嫌いじゃないのだが、オペラはあまり好きじゃなかった。だいたい、聴いても歌の意味がわからないし、歌声が耳になじめない。 でも、 「鶏の首を締めたような」というけど、実は、「夜の女王」は大好きなのだ。どう首を絞めたって、鶏にあんな歌い方をさせるのは難しいだろう。 歌の意味がわからないというけど、少しは分かる英語でも、Eminemの歌詞、聞き取れたためしはない。 マタイは、意味はわからないけど、若い時からレコードが擦り切れほど聴いてきた(これ、言い回しが古い。今なら、「ギガがなくなるほど」というべきかな。) どんなにマタイが好きだったかといえば、当時の親しい友人に「僕の葬式にはこの曲かけて」と、 Erbarme dich を指定した。迷惑な話だったと思う。それから50年近くたっても、まだ、依頼人はピンピンしているのだから。今は、葬式の曲は、Lady GaGaでもいいやと思っているのだから勝手なものだ。 わかったことは、僕は、これまでモーツアルト以外のオペラを聴こうと思わなかったということ。 趣味のことだから、好き嫌いがあるのは当然である。 一転してオペラを聴き始めたのは、若い友人のテフ君が主催する「オペラ勉強会」に参加するようになってからだ。昨日が5回目だった。いつもは人の前で一方的に話すことが多いのだが、人の話を聞くのは楽しい。 ちょうど一年前の6月18日、二十歳のラッパー XXXtentacionが死んだ。若い才能が、いとも簡単に路上で殺されたのだがショックだった。一周忌には、何か書こうと思っていたのだが、その日を忘れていた。きっと何かのオペラを聴いていたのかもしれない。忘れてごめんなさい。  「XXXtentacion 安らかに眠れ!」 と書きたいところだが、どうもこのセリフが陳腐に思えて、筆が進まない。 若い男が教会の扉を開け、誰かの葬式に出る。まっすぐに花で飾られた祭壇に向かって進み、棺を見ると、そこに横たわっているのは自分だった。突然、その死体が起きあがり、棺から飛び出して自分に殴りかかる。その後は、二人の暴力的な殴り合いが延々と続く。死んだはずの自分と、生きているはずの自分の死闘だ。 きっと、生きていても死んでいても、安らかには眠れない人がいるのだろう。 URLを

テンソルとは何か?

今度、久しぶりにディープラーニング系の話をします。 調べてみたらマルレクでディープラーニングの話をしたのは、2年前が最後でした。https://www.marulabo.net/docs/20170528-marulec01/ 「先生、たまには人工知能の話もしてください。」(いつもしてますけど。) 「あと、数学、関心高いんですよ。」(「楽しい数学」、やってますけど、楽しくない?) 今回のセミナーは、こうした(角川 en藤さんからの)リクエストに応えたものです。 -------------------------------- 7/9 角川セミナー「初めてディープラーニングを学ぶ人のための数学入門〜ニューラルネットで行列を理解する〜」 https://lab-kadokawa83.peatix.com/ -------------------------------- 普通に線形代数の話をしても面白くないので、今回は、ちょっと新しい考え方を紹介できればと思っています。 それは、「テンソルとは何か?」という疑問に、絵解きで答えるアプローチです。 ディープラーニングのフレームワークとしては、 GoogleのTensorFlowは有名ですし、スカラー、ベクトル、行列 ....といった系列の拡張として「テンソル」という概念があることは、ご存知の方も多いと思います。 ディープラーニングの数学では、「テンソル」というのは大事な概念です。 今回紹介しようと思っているのは、Tensor Network という考え方です。 考え方は簡単です。マルを一つ考えます。マルから一つだけ「手」が出ているのが「ベクトル」で、マルから二つ手が出ているのを「行列」と考えるんです。一般に、マルからたくさん手が出ているのを、「テンソル」と呼びます。(手が無いマルは「スカラー」です。) マルとマルは、手をつなぐことができます。手をつなぐということは、ある演算に対応しているのですが、マルとマルがつながることで、テンソル(マル)のネットワークが出来上がります。これを Tensor Network と呼びます。 7/9 セミナーの参考資料 Youtube から視聴できるようにしました。 「テンソルとは何か? Tensor Network 入門(1) --