クマ、海を渡る

クマがいなかった利尻島に、クマがあらわれたらしい。もともとは、クマのいない島だ。
昔、渋谷の街にサルが現れて大騒ぎになったことがあった。「サル山のボス」といえば、人間界ではあまりイメージは良くないのだが、捉えようとする人間を尻目に姿を消した、あの冒険心溢れる勇敢なサルは、生きていれば、きっとサルたちのいいリーダーになっていると思う。
で、このクマだが、ある意味、渋谷に現れたサルよりすごいなと思う。サルが井の頭線に乗って渋谷に来たとは思わないが、陸続きだ。歩いてこれる。でも、このクマは、20kmを泳いで海を渡った。
確かに、稚内から利尻を見れば、目の前にあるように見えないこともない。クマがあそこに行ってみようとおもったのは、きっと天気がいい日だったと思う。でも、きっと途中で後悔したと思う。泳いでも泳いでもつかなかったはず。だって、フェリーに乗っても1時間40分はかかるんだから。
僕には、大航海時代を切り開いた「冒険者」たちの気持ちが、あまり理解できないことに気づく。どこへつくかもわからないまま、何ヶ月も海の上を進むなんて。多分、プールに通って泳ぎに自信をもったとしても、海を渡ろうという気持ちは生まれないように思う。
大博打に大金を注ぎ込もうとする「冒険者」たちの気持ちのほうが、むしろ僕にはわかりやすい。
現代の人類をある意味で代表する、イーロン・マスクやジェフ・ベゾスが宇宙に行きたがっているのは、彼らが現代の「冒険家」だからかもしれないと思う。でも、その反面、それは「新世界」に夢があるというより(火星で暮らすのは嫌だな)、「旧世界」がどうしようもなくなるかもしれないからじゃないかと思ってしまう。
変わり者の魚が、どうしても陸の上に行って見たいと思った。我々は、その変な魚の子孫である。次は、宇宙なのかな?
ところで、クマの世界で伝説的な王になったかもしれない英雄的なクマのことだが、彼が冒険の末に到達した「新世界」は、夢の世界にはならないと思う。
彼は、遅かれ早かれ、我々によって、撃ち殺されるだろう。

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