Turing's Cathedral
【Turing's Cathedral】
スモーリンの"Einstein's Unfinished Revolution" にダイソンがエンドースを寄せてた。そのタイトルが面白そうだったので読み始める。タイトルは、"Turing's Cathedral"
(スモーリンの本が出た時、僕が書いたブログは、こちら。"Bohmian Rapsody"
https://maruyama097.blogspot.com/2019/05/bohmian-rhapsody.html )
読み始めてすぐに間違いに気づく。この本の著者は、僕が知っている 物理学者のダイソン(Freeman Dyson)ではなく、別のダイソン(Ggeorge Dyson)だった。もっとも、著者のGeorge DysonはFreeman Dysonの息子さんだった。
同じような間違いをしたことがある。チッパラとともに、Deep Specificationのムーブメントの中心人物の一人は、アッペルだったのだが、僕は、このアッペルをしばらくのあいだ、「四色問題」をコンピュータで解いた、アッペル=ハーケンのアッペルだと思っていた。Deep Specification のアッペル(Andrew Appel)は、「四色問題」のアッペル(Kenneth Appel )の、息子さんだった。
ちなみに、"Q is for Quantum" を書いた、Terry Rudolphは、シュレジンガーのお孫さんだという。
話を、"Turing's Cathedral" に戻そう。
この本は、チューリングについての本ではなかった。フォン・ノイマンについての本だ。1947年から1951年にかけて、当時プリンストンにいたフォン・ノイマンは、MANIACというコンピュータを作り上げるプロジェクトを主導する。
フォン・ノイマンが作ったこのIAS(Institute for Advanced Study)=プリンストン)製のコンピュータが、どのような動機で開発されたか、また、それがその後のコンピュータ技術の発展に大きな役割を果たしたことを詳述したものだ。
("MANIAC"でぐぐると、ロス・アラモスのマシンが出てくるのだが、それは、プリンストンで作られたこのマシンをコピーしたものらしい。なぜ、ロス・アラモスかについては後で述べる)
フォン・ノイマンの1945年の"First Draft of a Report on the EDVAC”は有名だが、それは未完の報告書で、実際につくられた最初の「フォン・ノイマン・マシン」は、このIASマシンだという。
フォン・ノイマンは、1936年のチューリングの「万能チューリングマシン」論文の意義を誰よりも早く理解していた。ただ、著者によれば、コンピュータの旧約聖書はライプニッツが書き、新約聖書はフォン・ノイマンが書いたという。チューリングは、その中間にいると。
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