夢の中の記憶

 【 夢の中の記憶 】

面白い夢を見ました。といっても、面白いと気がついたのは、夢から覚めてからだったのですが。

クレジットカードを無くしたという夢でした。

探し物をする夢は、何度か見たように思うのですが、今度の夢では、あちこち無くしものを探しませんでした。その代わり、僕が夢の中でしたことは、昨日の行動を思い出すことでした。これも、現実には、よくあることです。

いろいろと前日の記憶を引き出すことができました。(残念ながら、今はもう、その「記憶」の中身は無くなってしまいました。)

どうやら、カードを無くしたのは、昨日ではないらしいと気づきました。それじゃ、その前の日かな?

それで、さらにその一日前の日の出来事を思い出そうとして、目が覚めました。

夢から覚めて面白いと思ったのは、夢の中の自分が、夢の中の自分の「前の日の記憶」を思い出そうとしていることです。

今回の夢は、カードがなくなったことに気づくところから始まっていました。ですから、この夢の時間には、本当は「前の日」はないんです。

でも、夢の中で、記憶を辿ると、適当なこと思い出すんですね。そこで思いだされた記憶の実体は、どういうところにあるのでしょう? もちろん、夢ですので実体などないのですが。

夢のイメージと、夢の中の記憶のイメージは、同じものなのでしょうか? 不思議ですが、少し違うような気がします。夢の中で見る夢と同じようなものかもしれません。

夢を見たら、夢の中の「記憶」を過去に遡ってみてください。

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追記
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「集合的無意識」というものがあるかもしれませんので、「唯一無二」とは言い切れないとしても、「生物学的本能」を含めて、意識は「さしあたり」は、その人の意識として現れると思います。
夢の中でも現実でも、現実の意識と夢と、それから記憶の想起は区別されます。現実の中の現実の意識も、夢の中の現実の意識も、現在から未来に向かいます。こうした時間の流れは、現実に見る夢(普通の夢です)でも、夢の中で見る夢も同じです。
面白いと思うのは、記憶の想起は、現実でも夢の中でも、未来も現在もなく、過去にしか向かいません。
過去などないはずの世界でも、夢の記憶は、過去を作り出すのかもしれません。それは、ベクトルの方向は真逆ですが、未来に向けて、今はないものを作り出す「想像力」の働きと同じものだと思います。
もしも、未来に向かう「想像力」と過去に向かう「記憶の想起」が、同じ力の現れだとしたら、どちらがより根源的かを考えるのは意味があるかもしれません。
おそらく、想像する力は、記憶の力から生まれたのではと感じています。



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