誕生日

弟の一周忌で、秋田大館に帰省しています。
去年の誕生日は、100歳まで30年だったのですが、今年は、30年を切りました。当たり前ですね。といっても、100まで生きようと思っているわけではありませんので、ご安心ください。そんな確率は、今後30年以内に、東京を大地震が襲う確率より小さいはずです。
「人生100年時代」というコピーがあります。その前に亡くなる人が大多数だろうというつっこみはおいておいても、100歳まで生きるということと、100歳まで元気ですごすこととは違います。このコピーには、「老い」と「死」の匂いがありません。
嫌なことは考えないようにするのは、悪いことではないかもしれません。「我亡き後に、洪水よ来たれ」という言葉があります。地震については、それでもいいのでしょうが。でも、「我亡き後に、我が死よ来たれ」と期待するのは難しいですね。
おととしに母を、去年弟をなくしました。それと前後して、尊敬する偉大な数学者が51歳でなくなるのを見て、鈍感な僕でも、いろいろ感じることがありました。
去年から、やることを変えました。去年は、新しいテーマでたくさん講演しました。準備に多少時間がかかりましたが、わかったことがあります。それは、自分には、まだ、勉強し考える時間があるということです。お金はないのですが。
まだ時間があるのなら、やれることやりたいことをしたいと思いました。老人にとっても、自由時間と自由意志は大事なものです。そのうち、自由な時間も、学ぼうとする意志と能力も、だんだんと消えていくのでしょうが。
今、僕は、バーチャルに時計の針を巻き戻してみようと思っています。それは、昔話や自慢話をするためではありません。その反対です。かつての自分ができなかったこと、志半ばで放棄したことを、「過去の失敗」としてではなく、もう一度考えてみたいと思っています。
今、40年ほど前の、大学教育とITの世界に飛び込む前の、30代の自分が考えていたことを、改めて考えようとしています。
できるかぎり、前向きに、残された時間を使いたいと思っています。
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以下、乱調です。
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でも、たとえバーチャルにでも、人生を二度生きることはできません。
それを可能にする一つの方法は、「ベンジャミン・バトン」のように、バーチャルなタイムトラベルを、30代、20代、10代へと、過去へ過去へと遡ることです。
丸山が、何か過激なことを言い始めたら、10代にトリップしていると思ってもらえばいいし、意味不明のことを言い始めたら、赤ちゃん返りしていると思ってもらえばいいのです。
ただ、このやり方にも、問題があります。
「丸山は、タバコの吸い過ぎでくたばるだろう」と思っている人が多いのですが、この前、道路を渡っていて、車に轢かれそうになったしな。神様は、サイコロを振るのが好きだしな。
.... 以下略
 わたしを束ねないで 
 あらせいとうの花のように
 わたしを区切らないで
 ,や・いくつかの段落
 そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには

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