人工知能を科学する

今から約70年前、「機械は考えることができるか?」と問いかける論文がでました。今日の人工知能研究の出発点と言っていいチューリングの論文です。

この論文には、とても印象的な一節があります。

「「機械は考える事が出来るか?」という、最初に掲げた間題が、今では議論にも値しない程無意味なものである事は私も認めよう。... しかし、それにもかかわらず、今世紀の終わりには人々の意見が大きく変化して、ついには、矛盾していると考えることなく『機械の恩考』について語ることができるようになるであろうと私は信じている。」

チューリングの予想は、70年の時を超えて、見事に的中しました。今では、「人工知能」「AI」という言葉を、メディアで聴かない日はないと言っていいくらいです。「人工知能」の可能性を信じるものの一人として、僕は、こうした変化を歓迎しています。

ただ、僕は、皆が一斉に、「矛盾していると考えることなく『機械の恩考』について語」っていることに、少し、疑問を持ち始めています。

チューリングの予想は的中したのですが、「人々の意見が大きく変化する」その仕方は、かつてのチューリングの先見的で勇気ある深い問題提起に応えるものではないと感じています。メディアをみる限り、残念ながら、それは表面的で、ある場合には科学的でさえありません。

今回、「『人工知能』を科学する」というタイトルで、「人工知能」には、多様な科学的なアプローチがあることを伝えたいと考えています。

次の四つのコンテンツを提供しようと思います。

第一話 「人工知能と複雑性理論」

「昆虫や魚には、「理解」できないことあるだろうな」と考えるのは、自然なことです。ただ、同じことが人間にも言えると思いますか? 多分、人間にも認識できないことがあるのです。

「複雑性理論」は、人間の認識の限界を正確に境界付けようという数学理論です。興味深いことは、それは人間だけの限界ではなく、機械の認識の限界でもあるということです。その意味で、「複雑性理論」は、「人工知能論」の最も基礎的な土台を提供する理論だと、僕は考えています。

第二話 「人工知能と自然言語」

人間・機械の認識能力に、たとえ、限界があったとしても、他の動物たちとは明らかに異なる、優れた認識能力を人間は持っています。それは、言葉をもちいて、その力で、世界を「意味の連関」として捉える言語能力です。それは、個人間の多様なコミュニケーションを可能にし、文字の発明とメディアの発達は、世代を超えた情報・知識の蓄積を可能にしました。こうした能力は、人間という生物に固有のものです。

人間の言語能力の機械による実現は、人工知能のある意味最大の目標の一つです。

第三話 「人工知能と量子コンピュータ」

現在のコンピュータは、それがどんなに巨大で高速なシステムであっても、抽象的なレベルでは、古典的なチューリング・マシンと同等の能力しか持ちません。ただ、そうしたコンピュータの能力を大きく拡大する可能性が生まれています。それが量子コンピュータです。

古典的なコンピュータの限界を量子コンピュータが超えるのなら、それは、量子コンピュータに基づいた「人工知能」は、現在の「人工知能」技術をこえる可能性を持つことを意味します。

第四話 「人工知能と哲学」

「「人工知能」を科学する」というタイトルなのに、「哲学」ですかと思われる人も多いと思うのですが。ここは、「人工知能と私たちの未来」というタイトルでもよかったのですが、残念ながら、私たちには、技術的なことに限れば、未来については、意外とショート・スパンで、しかも貧弱な洞察力しか持っていません。私たちは、言語能力の機械での実装がどう進むか、あるいは、量子コンピュータがいつ個人レベルで実用化されるのか、いまはまだ予想できないのです。

ただ、冒頭に掲げたチューリングの論文は、技術的なものでも、ビジネス的なものでもありませんでした。それは、いわば「哲学」的な論文でした。「『人工知能』を科学する」ために、「哲学的」に考えることは、大事なことだと僕は考えています。

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