MIP*=REの含意

【 MIP*=REの含意 】

[ ゲーデルの不完全性定理と MIP*=RE定理 ]

「MIP*=RE定理」というのは、MIP*という複雑性のクラスが、「決定不能」だということを述べている定理です。それは、ゲーデルの「不完全性定理」に端を発する、一連の「決定不能」型定理の一つと考えることが出来ます。

ゲーデルの結果は、人間の認識可能性の一つの限界を示すものとして、多くの人にいわば認識論的・哲学的なレベルで衝撃を与えました。

ただ、その方法の適用は、数学の基礎の理論の内側にとどまっていて、科学の方法論そのものに影響を与えることはなかったし、ゲーデルの定理が、他の数理科学の分野の問題解決に応用されたことはなかったように思います。

21世紀の「不完全性定理」とも呼ぶべき「MIP*=RE定理」は、この点では、明らかに様相が異なります。

それは、新興科学としての「コンピュータ・サイエンス」の「決定不能」型定理として登場したのですが、その定理は、狭い意味での 「コンピュータ・サイエンス」の枠を超え、純粋数学や物理学の基礎理論に、重要な応用を持つのです。

エンタングルしたnonlocalゲームの値の「決定不能」性は、量子力学の基礎の「ティレルソンの問題」に対する否定的な答えを導きます。また、この結果は、数学の作用素環論の長年の難問だった「コンヌの埋め込み予想」否定的に解決しました。

  [ 計算可能性理論と計算複雑性理論の接するところ 「拡大されたCHテーゼ」の誤り]

計算複雑性理論は、計算可能性理論の達成を受けて、決定可能なもの(計算可能なもの)にフォーカスを合わせて、その現実的な計算の「手に負えなさ」の階層を研究することを課題としてきました。

MIP*=RE の左辺MIP*は複雑性のクラスで、右辺はREは、計算可能性理論の基本的カテゴリーです。

理論的には、計算可能性理論の枠組みの中でも、原理的には計算可能でも、いくらでも計算リソースを必要とする計算が存在することはよく知られていました。だからこそ計算複雑性理論が生まれたのですが。

ただ、計算可能性を「多項式時間」での計算可能性に制限することが当たり前のようになっていきます。これを「拡大されたチャーチ・チューリングのテーゼ」というのですが、それは間違ったものだと、思います。

[ 決定論的な認識と確率論的な認識 ]

証明へのInteractive Proofの手法の導入は、それまで決定論的なものと思われていた証明過程に、確率や近似の概念を導入することを可能にしました。そのことは、確率的なアプローチに基づく、量子論的な自然認識のスタイルに適合的です。おそらく、あまりに複雑なものに対しては、我々は確率論的にアプローチするしかないのだと、僕は考えています。そして「情報」というものは、もともとそういう性質を持ったものです。

[ エンタングルした 「全能」の「証明者」たちは何者か?]

第一に考えるべきことは、この定理の証明で中心的な役割をはたす、可能的には無限個のエンタングルメントを共有し、時には人間を欺く「不実」で、しかしながら「全能」の「証明者」たちは何者かということです。

それは、我々が認識の対象とする「自然」あるいは「宇宙」の「人格化」だと理解すればいいと僕は思います。

我々は、我々の「有限」な認識を組み合わせて、「近似的」に対象に迫ろうとします。しかし、「宇宙」は、あくまでも「無限」で、そうした「有限」の「近似」では、覆い尽くせないのです。ただ、それにもかかわらず重要なことは、我々は、そうした「関係性」自体を正確に認識できるだけでなく、その「有限」な認識への実効的な「還元」プロセスを、ある場合には数学的に定式化できるということです。これは大きな希望です。

[ 機械と人間の関係 ]

第二に考えたいのは、もっと問題を身近なものに引き付けて、「宇宙」ではなく「機械」と人間の関係、人工知能論の課題としてこの定理の含意を考えることです。

確かに、現実の量子コンピュータによる近年の「量子優越性」の実証は、かつて我々が、機械の知能と人間の知能の同一性の根拠に、両者の計算能力の同一性においた枠組みの見直しを迫るものです。

たとえ、エンタングルメントで結合されていなくても、量子機械は、古典的チューリング・マシンに等しい我々人間より、高い計算能力を持ちうるのです。

それでは、多数のエンタングルメントで結合された複数の量子機械のグループは、我々人間にとってどのような「知能」の持ち主に見えるのでしょうか? さらに、こうした量子機械たちとの「対話」は、我々の認識をどのように拡大してくれるのでしょうか?

こうした問題に応えるいくつかのヒントは、「MIP*=RE定理」の中に含まれていると僕は考えています。答えは、もちろん、まだありません。

ただ、我々は、新しい問題を新しく提起することができる段階の戸口に立ち始めています。適切に問題が提起されれば、答えはいずれ見つかるだろうと思います。

[ 新しい科学へ ]

すこし、空想的だったかもしれません。ただ、空想は楽しいものです。
いずれにしても、現在の「コンピュータ・サイエンス」のただ中から、その経験主義的外皮を脱ぎ捨てて、情報と計算の科学が、新しい数理科学として誕生するのだと思っています。
それは、空想ではなく、いつか現実になるでしょう。

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