楽しい哲学 -- はじめに
【 4/10 マルゼミ「エンタングルする認識」「はじめに」を公開しました 】
4/10 マルゼミ「エンタングルする認識」の「はじめて」の部分を公開しました。ご利用ください。
サミナーは、現在受付中です。皆様のお申し込みお待ちしています。
https://philosophy-entanglement.peatix.com/
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はじめに
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先のセミナー「エンタングルする自然」では、21世紀の自然観の中核に「エンタングルする自然」という自然観が生まれていることを紹介しました。今回のセミナー「エンタングルする認識」は、こうした自然観を我々がどのように形成・獲得してきたかをみようとしたものです。
「自然の認識」は、「自然」と「認識」という二つの項からできています。ただ、その二つの項はまったく切り離された別々のものではありません。「自然」が新しい相貌の下に立ち現れ始めたということは、「認識」の飛躍が起きつつあるということに他なりません。それは、人間が新しい認識のスタイルを獲得しつつあることを意味します。
筆者は、エンタングルメントの認識が、現時点での人間の認識能力の飛躍の中心舞台だと考えています。小論は、こうした進行中の転換を、1964年のベルの定理(第一部)、1985-6年の対話型証明の登場(第二部)、そして2020年のMIP*=RE定理(第四部)の三つのトピックを中心に概観したものです。これらは、1930年代のアインシュタイン、チューリング、フォン・ノイマンの仕事に淵源するものです。
量子コンピュター(第三部)のトピックは、「自然」と「人間の認識」という二項のコンテキストからではなく、「自然と人間と機械」という三項の関係として捉えるのがいいと考えているのですが、あまり展開できていません。(このあたりの問題については、機械の利用と認識能力の拡大を扱った次のショートムービーをご覧ください。https://youtu.be/j8flZDzL6yA?list=PLQIrJ0f9gMcMlJbm6pdZKdXwrzWSGyeqL )
認識の「飛躍」と言いましたが、大きな飛躍には、歴史的に先行するやはり大きな飛躍があります。興味深いのは、歴史的飛躍を行った発見者自身(例えばアインシュタイン)でさえ、その飛躍がその後の歴史的飛躍の中で果たす役割を予見できないことがあるということです。その役割と意味は、現在から過去を見るときに、はっきりと浮かび上がります。
「ミネルバのフクロウは黄昏に飛び立つ」
自然科学は、自然の哲学から分離・発展したものですが、科学への「哲学的」アプローチも、少なくとも過去から現在の到達点をオーバービューするのには、意味があるのではと考えています。
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